八章
我らバイオハッカ−ズ(1)
「病原菌? どういうこと⁉」
「トゥナ! とにかく、部屋えもんに運ぶんだ。それですぐ町の病院に運んで。話はそれからだ!」
「あ、ああ、うん……!」
一馬に言われてトゥナもようやく我に返った。そうだ。いまはのんびり話を聞いている場合じゃない。とにかく、一刻も早くアネモネを病院に運ぶことだ。
トゥナはアネモネを抱えて走り出した。女性とは言え、幼い頃から畑仕事で鍛えられている身。羽のように軽いアネモネを抱えて運ぶなど造作もないことだった。
一方、一馬は仲間たちのところに駆けつけていた。なぜ、あのとき、あのタイミングでむさ犬が自分を襲えたのか。その理由はひとつしかない。仲間たちがことごとく返り討ちに遭ったのだ。となれば、全員が斬り捨てられて転がっているはず。一刻も早く助けなくてはならなかった。
トゥナはブリュンヒルト号に乗り込むと全速力で病院に直行するよう指示した。意思も感情ももたず、ただ主人の命に従うだけのAIは即座に命令を遂行した。部屋の形の飛行船が浮きあがり、全速力で町へと向かった。
その途中、トゥナの家の上空を通過した。その姿を地上から見上げている者がいた。キオだった。
「トゥナ……!」
戻ってきた。その思いにキオの顔が一瞬、喜びに沸いた。それからすぐに後ろめたそうな表情になり、泣きそうになり、結局は控えめな喜びの表情になった。
しかし、すぐに途方に暮れた表情になった。ブリュンヒルト号が着陸することなく全速力で飛んでいくのを見たからだ。
「トゥナ……」
キオは地上に取り残されたままポツリと呟いた。
ブリュンヒルト号のなかではトゥナが必死にアネモネの看病をしていた。と言っても、できることはほとんどない。積載量に限りのある部屋えもんのなかには重量のあるメディカルマシンなど置いておけない。治療もできず、できることと言えばせいぜい、ベッドに寝かしつけて体が冷えないようにしてやることぐらい。その他にできることと言えば、側にいて手を握りしめ、励ましてやることだけだった。
だから、トゥナはそうした。アネモネの小さな手を痛いぐらいに握りしめ、必死に声をかけつづけた。
「アネモネ、アネモネ、しっかりして! すぐに病院に連れて行ってあげるからね!」
「トゥナ」と、弱々しいアネモネの声がした。
「なに?」
「ごめんなさい、あなたを巻き込んで……」
「えっ?」
「わたしの体には脱走防止用に病原菌が打ち込まれている。定期的に緩和剤を打って眠らせないと活性化して死に至る。でも、安心して。伝染性のものではないから。飼い主まで感染させてしまったら大変だものね。あなたに移ることはないわ」
「何言ってるの! そんなことどうでもいいわよ」
アネモネに目の前で死なれるぐらいなら同じ病原菌に感染して死んだ方がましだ。
トゥナはそうとすら思っていた。
「あなたを巻き込みたくなかった」
アネモネが弱々しく繰り返した。
「だから、何も答えられなかった。知らせてしまえば巻き込んでしまうから。ごめんなさい。こっそり逃げだそうかとも思ったけど、それではきっと、あなたがわたしを逃がしたと思われて、あいつらに狙われると思った。あなたを巻き込まないためにはおとなしく捕まることだと思った。本当はわたしの方が先にあいつらを見つけて自分から捕まるつもりだったけど……気付かなかったばかりにあいつらを家のなかに侵入させ、あなたを巻き込んでしまった。本当にごめんなさい」
「何言ってるの、子供のくせに気を使いすぎよ! もっと頼ってくれなきゃ許さないんだからね!」
その叫びにアネモネは弱々しく微笑んだ。
「トゥナ、聞いて。わたしはお母さんに連れられて、あいつらのアジトを逃げ出したの」
「お母さん?」
思いがけない言葉にトゥナは戸惑った。合成DNAを使って、バイオ3Dプリンタによって作られる人造人間に、DNA的にも、肉体的にも母親などいないはずだった。
「わたしはバイオ3Dプリンタで作られたんじゃない。受精卵として作られて、母の胎内で育てられた」
ああ、そうか、そう言うことか。だから、機械にも強かったのか。トゥナはようやく納得した。
「グリムはセレブ用の最高級品を作ろうとしていた。お母さんはそれを知って必死に説得したの。『機械で作るより、自分の胎内で育てた方がずっと情緒豊かな高級品になる』って。グリムはそれを認め、わたしとなる受精卵を母の胎内に埋め込んだ。
お母さんはいつも言っていた。
『自分は人間じゃない。合成DNAとバイオ3Dプリンタというモノから作られた道具。でも、あなたはちがう。あなたはわたしがお腹を痛めて産んだ子供、紛れもない人間だ』って」
「その通りよ! あなたは人間。あなたのお母さんだってそうよ。だって、そんなにあなたのことを愛してくれていたんだもの。ただの道具にそんな心はない。あなたのお母さんは立派な人間よ!」
トゥナの言葉にアネモネは弱々しく微笑んだ。
「……うん。お母さんはわたしにこっそり名前をくれた。番号じゃなく、人間としての名前を。『アネモネ』って」
その言葉にトゥナは目を丸くして驚いた。
「それって……」
「アネモネの花言葉は『あなたを愛する』。お母さんがありったけの思いを込めて付けてくれた名前。ふたりだけのときしか使わない秘密の名前。お母さんと別れて、もう誰もわたしをその名で呼んではくれないはずだった。だから……トゥナ、あなたがわたしに『アネモネ』と名付けてくれて嬉しかった」
「アネモネ……」
「わたしもね。お母さんに名前をあげたの。『カーネーション』って」
「最高の贈り物ね」
トゥナはめいっぱいの優しい微笑みでそう言った。
アネモネは弱々しい息の下からつづけた。
「わたしは〝美しいヒト〟の願いを込めて生み出された。バイオ3Dプリンタで作られる人造人間は過去のどんな生物とのつながりももっていない。この世界にあって、世界の誰ともつながりのない孤立した存在。だから、お母さんは自分の体を使って〝美しいヒト〟を自然の一部にしようとした。他の生物と同じように、親から知識と経験を受け継いだ『歴史をもつ生き物』にしようと。いつか、〝美しいヒト〟という種族が自然の生き物として、自然の一部として生きていけるように。その願いを込めて……」
「何言ってるの⁉」
トゥナは叫んだ。その表情にやりきれない悲しみと、やはり、やりきれない怒りとが浮いていた。
「なれるわよ! って言うか、最初から世界の一部じゃない。合成DNAと言ったって、ゼロから作られたわけじゃない。あくまで、あたしたち人間のDNAを改造して作られたんだもの。あなたたちは人間の歴史を受け継いだ、れっきとした人間よ!」
「……わたしはね、トゥナ。セレブ用の最高級品として、生まれたときから最高の教育を与えられた。その銘にふさわしい教養を身につけるために。あいつらのアジトのなかだけでの生活だったけど……それ以外は何不自由なく育てられた。あいつらは商品であるわたしには決して手を出さなかったけど、その分、お母さんを道具としていた。わかるでしょう?」
「え、ええ……」
わかりたくはない。わかりたくはないけどわかってしまう。
「そして、お母さんは隙を突いてわたしを連れて脱走した。ニジュウゴが手伝ってくれたわ」
「ニジュウゴ?」
「わたしの前に作られた〝美しいヒト〟。その日はニジュウゴを売るためのお披露目の日だった。ニジュウゴはそのお披露目の席で暴れたの。騒ぎを起こして、わたしを逃がすために……」
「そんなことが……」
そのニジュウゴはどうなったのだろう? 『商品』とは言え、せっかくのお披露目をぶち壊すような真似をした相手に、あのグリムが辛抱強く振る舞うとは思えなかった。
アネモネはつづけた。
「そして、わたしは、その騒ぎの間に母に連れられて脱走した。わたしには無駄なことだとわかっていた。だって、わたしにもお母さんにも脱走防止用の病原菌が打ち込まれているんだもの。逃げたところで、どこかで野垂れ死にするだけ。でも、お母さんは言ったわ。『人里につけば何とかなる。きっと、誰か助けてくれる人がいる』って」
「そうよ、その通りよ!」
たまらずトゥナは叫んでいた。
「あたしが助ける! あたしがあなたを助けてみせる! あたしはバイオハッカーよ。世界中に何百万という仲間がいるわ。どんな病原菌か知らないけど……絶対に退治してみせる!」
その宣言にアネモネは弱々しく微笑んだ。歳に似合わないその落ち着いた笑みはまるで、自分のために必死になる子供を見守る母のようだった。
「脱走したけどすぐに見つかって……お母さんはわたしを逃がすために囮になった。きっと、とっくに殺されているわ。あいつは本当のサディストだから。きっと、口にも出せないようなひどいことをされて……わたしはお母さんに言われた通りに、とにかく逃げたけど、どこをどう逃げればいいのかもわからないし、疲れはてて倒れてしまった。そして、あなたに拾われた……」
「アネモネ……」
アネモネは弱々しく、それでも確かに幸せそうに微笑んだ。
「ありがとう、トゥナ。あなたのおかげでほんの数日だけど人間として生きることができた。わたしは幸せだった。本当にありがとう……」
アネモネはそう言うと、目を閉じた。
「アネモネ!」
トゥナは叫んだ。呼吸はまだある。死んではいない。しかし、昏睡状態だ。このままでは……。
「死なせない」
トゥナはまるで呪いの言葉でもあるかのように呟いた。
「絶対、死なせないわ、アネモネ!」
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