夜の森の戦い(2)

 必死の叫びが響いた。ローターの回転する爆音が鳴り響き、一台のフライングバイクが突っ込んできた。それは騎士団の正式採用バイク。その上に乗るのは騎士の制服に身を包んだ若い男。

 「一馬!」

 トゥナが叫んだ。我に返った。後ろに飛び退いた。

 「食らえええっ!」

 一馬が叫んだ。アクセルを全開にした。ローターが限界まで回転速度をあげた。一馬はペダルを踏んで飛んだ。フライングバイクが全速のまま、むさ犬めがけて突っ込んだ。

 フライングバイクの先端がむさ犬の腹に激突し、その巨体ごと木々の向こうに消えた。轟音が鳴り響き、閃光が走った。爆発が起こった。

 「一馬!」

 トゥナが叫んだ。

 「トゥナ!」

 一馬がトゥナに駆けよった。

 「一馬、一馬!」

 トゥナは一馬の胸に飛び込んだ。泣きじゃくった。ようやく頼れる相手を見つけて怖さが一気に吹き出していた。

 「もう大丈夫。おれがいる。おれがお前を守るから」

 一馬はトゥナを抱きしめながら言った。その周りに次々と騎士団のフライングバイクが着陸する。

 「一馬。あの〝強いヒト〟は我々が取り押さえる」

 「えっ?」

 リーダーらしい年配の男に言われて一馬は顔をあげた。そして、見た。燃えあがる森のなか、緋色の炎を背景に太刀を手にたたずむ男の姿を。

 むさ犬。

 全速でフライングバイクをぶつけられ、爆発に巻き込まれ、それでもなお、この〝強いヒト〟は傷ひとつ受けることなくそこに立っていた。

 ゾクリ、と、冷たいものが一馬の背筋を走り抜けた。

 「お前は人質を救出しろ」

 「ですが……」

 「早く行け! 騎士団の役目は敵を殺すことではない。市民の保護だ!」

 「はい!」

 言われて一馬は反射的に背筋を伸ばした。

 いくら〝強いヒト〟とは言え相手はひとり、こちらは一一人。しかも、騎士団の誇る最新鋭の麻痺銃をもち、超硬度ガラス繊維と対衝撃用ゲル、防刃用微小金属の三重構造の防護ジャケットを身にまとっているのだ。そして、言うまでもなく全員が厳しい鍛練を積んだ格闘技の達人たち。いくら〝強いヒト〟相手でも後れを取るはずがなかった。

 一馬は墜落したフライングカーめがけて駆け出した。ふと気がつくと、すぐそばをトゥナが同じように駆けていた。

 「トゥナ! 危険だ、隠れていろ!」

 「いやよ!」

 トゥナは涙の跡を吹きながら答えた。

 「アネモネが捕まっているのよ、助けないと……」

 その表情を見て、一馬はどんな説得も無理だと悟った。子供の頃からの付き合いだ。こうと思い込んだら一直線のトゥナの性格はよく知っている。ここで置いていってもどうせ後からついてくる。だったら、一緒に行動した方がいい。

 「よし、わかった。なら、これを着ろ」

 一馬は走りながらジャケットを脱ぐとトゥナに放り投げた。トゥナは反射的に受け取りながら戸惑いの表情を浮かべた。

 「でも、それじゃ一馬が……」

 一馬は白い歯を見せてニヤッと笑った。人を安心させる笑みだった。

 「心配無用! おれにはまだ、金属繊維で作ったメタルシャツと鍛え抜いた筋肉がある」と、走りながらポーズなど作ってみせる。

 トゥナは思わず吹き出してしまった。

 「わかった。ありがたく着させてもらうわ」

 「よし。おれの側を絶対に離れるなよ!」

 「ええ!」

 その頃、グリムはすでにフライングカーから降りて逃げ出そうとしていた。アネモネの腕をしっかりとつかんで引きずっていこうとする。この期に及んでアネモネを売り払うことをあきらめていないのはいっそ、あっぱれだった。

 しかし、今回はトゥナの家を出たときとはちがう。アネモネは別人のように必死に抵抗していた。脚を突っ張り、グリムの手首をつかみ、引っ掻き、噛みついて、何とかして逃れようとしている。

 グリムの商人としての計算もついに底をついた。抵抗をつづける小娘への怒りが燃えあがり、脳天を貫いて、憎悪となった。アネモネを見るその目は『憎しみ』と名付けられた彫刻そのものだった。

 グリムは腕を振りあげた。そこには一本のナイフがあった。いままで何人もの無抵抗の人間の皮膚をはぎ、鼻や耳をそぎ落とし、目玉をえぐり、『頼むからひと思いに殺してくれ!』と泣き叫ばせてきた愛用のナイフ。それをいま、アネモネの目玉に突き刺そうと……。

 「アネモネ!」

 叫びと共に黒い影がアネモネの上に覆い被さった。トゥナだった。トゥナが体ごとアネモネの上に覆い被さったのだ。

 グリムの振りおろしたナイフがその背に当たり跳ね返った。防護ジャケットの効果だった。もし、このジャケットがなければナイフは深々とトゥナの背中をえぐり、心臓まで届いていただろう。そうなっていれば、いくらスペアの肉体さえ作れるこの時代でも助かったかどうか。

 一馬の気づかいがトゥナの生命を救ったのだ。

 「きさまあっ!」

 一馬の怒りの声が響いた。すさまじい勢いで拳が繰り出され、グリムの頬をぶん殴った。

 拳はグリムの頬にめり込み、顔を変形させた。鼻がひしゃげ、血が噴き出した。歯が何本も吹き飛んだ。

 グリムは音を立てて地面に倒れ込んだ。一馬はその上に馬乗りに乗りかかった。ナイフを手にしたままの右手首をつかんだ。容赦なくねじり上げた。

 「ギャアアッ!」

 枯れ枝が折れるような音がしてグリムが悲鳴をあげた。手首が折れていた。他人に痛みを与えるのは大好きだが、自分が痛みに耐えたことなどないグリムである。その痛みに恥も外聞もない悲鳴をあげていた。

 悲鳴をあげる口に一馬の拳がめり込んだ。

 殴った、

 殴った、

 殴った!

 馬乗りになったままメチャクチャにぶん殴った。グリムの顔が血にまみれ、変形した。それはもはや騎士としての職務を超えていた。大切な幼なじみを殺そうとした相手への個人的な復讐だった。

 ゾクリ、と、一馬の首筋の毛が逆立った。訓練を受けた騎士だからこそ感じることのできた殺気。一馬は反射的に飛び退いていた。その直後、つい先ほどまで一馬の頭があった場所を白刃がないでいた。

 むさ犬だった。

 むさ犬が太刀を振るって一馬を追い払い、グリムの腕を取って飛んだ。天然ものの人間には身ひとつでも到底不可能な距離と高さを、〝強いヒト〟は人ひとりを抱えたまま軽々と飛んでのけた。

 むさ犬は開いている方の手で何かを操作した。一馬は直感した。

 「伏せろ!」

 アネモネの上に被さっているトゥナのさらに上に被さって、その身をかばった。爆音とと共に閃光が巻き起こった。グリムのフライングカーが吹き飛んでいた。

 バラバラになったフライングカーが吹き飛び、火の塊が散らばった。ようやく爆風が収まった後、一馬は立ちあがった。フライングカーはものの見事に粉々になっていた。一馬は舌打ちした。

 「……何てやつだ。フライングカーのAIからアジトを知られないよう、爆破していきやがった」

 一馬のその呟きはトゥナの必死の叫びにかき消された。

 「アネモネ、アネモネ! しっかりして、アネモネ!」

 「どうした?」

 一馬もこのときばかりは〝美しいヒト〟の魔力を忘れて近寄った。そして見た。わずか一〇歳ばかりの少女が両目を閉じ、頬を紅潮させて、ハアハアと息を切らしているのを。

 「どうしたの、アネモネ。しっかりして!」

 トゥナはほとんどパニック状態で叫んだ。頬をピシャピシャ叩く。

 あたしのせい? あたしが爆弾を投げつけてフライングカーを落としたりしたから、アネモネがこんなに苦しんでいるの? だったら……。

 自分を殺したくなるトゥナだった。

 「ちが……う」

 「アネモネ!」

 アネモネはトゥナの思いを見抜いたように、苦しい息づかいの下から言葉を絞り出した。

 「あなたのせいじゃ……ない。わたしの体、病原菌が打ち込まれている」 

 その言葉に――。

 トゥナと一馬の脳裏に稲妻が落ちた。

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