七章

夜の森の戦い(1)

 「ブリュンヒルト、奴の上に付けて!」

 「了解、マスター」

 トゥナの声にブリュンヒルトが答える。ブリュンヒルト号が速度をあげて、先行する大型フライングカーに肉薄していく。

 ブリュンヒルトは〝心を持つ〟ロボットではない。部屋えもんの制御用AIであり、自分の意思や感情はもたされていない。あくまでも主人の命令に従って部屋えもんの操縦をするだけのAIであり、相談に乗ってくれたり、趣味の話で盛りあがったり、などという役には立たない。しかし、いまはそれがありがたかった。とにかく、いまだけは臆病な〝心を持つ〟AIの泣き言などは聞きたくなかった。

 ブリュンヒルト号は部屋えもんであり、部屋えもんはあくまでも飛行船。そもそも高速移動など考えて設計されてはいないし、原理的にも高速移動できる乗り物ではない。

 それでも、四つあるローターを全力で回転させれば短時間なら二〇〇キロ近くは出る。グイグイと追いあげ、近づき、覆い被さるように上空に位置した。

 グリムの乗るフライングカーが大型でさほどスピードの出ないタイプであることが幸いした。もし、四~五人乗りの小型車だったらとても追いつけないところだった。

 「ナイス! ブリュンヒルト、この位置をキープして!」

 「了解、マスター」

 ブリュンヒルトの明快な答えが響く。とは言え、部屋えもんは飛行船であり、その機動性はフライングカーにはるかに劣る。もし、相手が小刻みに動きながら飛びはじめたら、とてもその動きには付いていけない。その前に止めなくてはならなかった。

 トゥナは窓を開けた。身を乗り出した。

 「食らえ!」

 叫びながら火の付いたビンを投げつけた。

 ビンが空中で爆発し、炎の塊となって夜の闇のなかに消えていく。空のビンに水素ガスを詰めて、ビンの口に紙を突っ込んで封をしたお手製の爆弾だ。紙に火を付けて投げつければ、火が水素ガスにふれた時点で爆発する。

 原料となる水素ガスはブリュンヒルト号の気嚢のなかに充分、ある。トゥナは手当たり次第にお手製爆弾を投げつけた。

 素人が作っただけのお手製爆弾だ。爆発のタイミングをコントロールできるわけもない。ほとんどはフライングカーにぶつかる前に爆発して消えていった。しかし、たまにはまぐれ当たりもある。五~六本に一本はうまいことフライングカーに当たり、グラグラと車体を揺らした。

 驚いたのはなかにいる犯罪集団だった。お手製爆弾とはいえ、水素ガスの塊。その破壊力はあなどれない。まともに当たれば人ひとりぐらいは殺せるだけの威力がある。

 別段、強化しているわけでもないフライングカーでは何発か食らえば致命的なダメージとなって墜落しかねない。それでなくても空を飛ぶ乗り物がグラグラ揺れているとなれば、たいていの人間は本能的に恐怖と不安を感じるものだ。

 グリムが葉巻を食いちぎって叫んだ。

 「お、おい、お前ら、何とかしろ! あんな奴、とっとと落としちまえ!」

 口から泡を飛ばして叫ぶ。顔色が青から赤になり、また青になる。しょせん、抵抗できない相手を痛めつけるしか能のないサディスト。自分自身が危険に立ち向かうだけの胆力はなかった。

 その横でアネモネはじっとフライングカーの天井を見上げていた。まるで、天井も夜空もすべて透視して、自分を助けようと必死になっているトゥナの姿が見えるかのように。

 「トゥナ……」

 アネモネは小さな両手をギュッと握りしめた。

 「戦士になったか」

 むさ犬がポツリと呟いた。

 巨体が動いた。いつ席から立ちあがったのかと思わせるほどのなめらかな動きだった。他の手下たちが呆気にとられているなかで、スルリと身を動かすと窓を開け、そこから外に出た。まるで、せまい穴にもぐり込むタコのような動きだった。

 むさ犬はフライングカーの天井に立った。大した速度は出ないとは言え、それでも一〇〇キロ以上は出ている。空気が塊となってぶつかってくるそのなかで、二本の足だけでしっかりとフライングカーの屋根をつかみ、立っている。それだけでもう、天然ものの人間には不可能な芸当だった。

 むさ犬が太刀を振るった。勢いよく、ではない。まるで、金魚すくいでもするかのように柔らかく、そっとした動き。ビンを斬ったり割ったりしないよう、太刀の腹でそっと押し出し、払いのける。もちろん、その気になれば一瞬のうちにビンを千切りにすることもできる。素人でもそうとわかる腕の冴えだった。

 トゥナはかまわずお手製爆弾を投げつづけた。騎士団にはすでに連絡してある。もうすぐ、一馬たちが助けにきてくれる。そうなれば助かる。自分も、アネモネも。それまで、こいつらを足止めさえできれば!

 その一心でお手製爆弾を投げつづけた。そのすべてはむさ犬によって阻まれた。火の付いたビンはそっと優しく押し出され、飛んでいき、遠く離れた場所で爆発した。

 むさ犬のおかげでフライングカーへの直撃はおろか、至近での爆発もなくなった。

 とりあえず、危険はなくなった。それと知ったグリムがふうっと息を吐き出した。新しい葉巻をとりだし、一服した。それからたちまち残忍な顔付きとなり、いまだに座ったままの役立たずの手下たちを怒鳴りつけた。

 「てめえら、何やってやがる! さっさとあの邪魔くさい飛行船を撃ち落とせ!」

 言われてやっと手下たちは自分が何のためにいるのかを思い出したらしい。銃を手に身を乗り出した。レーザー照準付きの大型拳銃。その銃口から撃ち出される弾丸を食らえば、戦闘など想定していない部屋えもんではひとたまりもない。たちまち穴だらけにされ、水素ガスを吹き出し、引火して大爆発を起こす。空の塵となって消える。そして、グリムは危険から逃れ、大切な売り物である『ニジュウロク』を連れて悠々とアジトに帰ることができる。そのはずだった。ところが――。

 車内にはグリムの予想もしない危険が潜んでいた。しかも、かの人のすぐ横に。

 グリムの横で小さな影が動いた。アネモネだった。男たちの注意がブリュンヒルト号に向かったその瞬間、席から立ちあがり、コンソールへと飛びついた。

 「きさま……!」

 グリムが叫んだ。アネモネを取り押さえようとした。その手が途中で止まった。相手は貴重な売り物だ。ここまで育てるのにずいぶん金もかかっている。それをここで傷物にしてしまったら売れなくなる。例え、売れるにしても価値は暴落、最初のもくろみの十分の一の値段も付かないだろう。そんなことになったら大赤字だ!

 その思いがグリムの腕を止めさせた。手下たちも手を出せなかった。まかりまちがって顔に傷でも付けてしまえば、グリムがどれほど怒り狂うことか。生皮をはがれる程度では済まないだろう。グリムのサディスティックな性癖を知るだけにそれは切実な恐怖であり、とっさにそのリスクを超えて行動できる者はいなかった。

 むさ犬がここにいれば――。

 何の問題も起きなかった。むさ犬ならばアネモネごとき、わずかな傷ひとつ付けることなく指先ひとつで気絶させ、おとなしくさせることができる。しかし、むさ犬以外の誰にもそこまでの技量はなかった。

 グリムはようやく覚悟を決めた。動こうとしない役立たずの手下どもを罵りながらアネモネを取り押さえようとする。

 だが、アネモネにはすでに充分な時間があった。コンソールを操作し、緊急停止用のボタンを押した。すべてのローターが同時に停止し、フライングカーは高度を落としはじめた。

 ゴガアッ! と、グリムが獣染みた叫びをあげた。アネモネを放り投げ、ローターを再始動させようとした。そうはアネモネが許さなかった。グリムの腕にしがみつき、かみつき、ひっかき、必死に阻止する。

 グリムは怒り狂った。殴りつけてアネモネを引き離そうとした。できなかった。いくら標準より小柄で華奢な女の子とは言ってもすでに一〇歳。本気で暴れれば大のおとなであってもそう簡単に取り押さえられるものではない。まして、グリムは『ボス』だった。いつもいつも部下に相手を押さえつけさせ、抵抗できない状態でいたぶることしかしてこなかった。追い詰められた子ネコのように死に物狂いで暴れるアネモネを押さえつけることなどできるはずもなく、コンソールを操作することができなかった。他の手下たちにしても相争うふたりの体が邪魔になってコンソールに近づけない。

 ローターの止まったフライングカーはグングン高度を落としていく。本来、フライングカーはローターが止まったところで一気に墜落したりはしない。安全確保のためにローターが止まると自然に滑空し、胴体着陸するようにできている。胴体下部にはそのためのクッションもついている。

 しかし、それはあくまで車体が安定していればの話。いま、このフライングカーの屋根の上では三メートル近い巨体の主が太刀を振るい、車内ではふたりの人間が相争っている。安定を保てるはずもなく、車体はグラグラと揺れ、傾き、一気に失速した。

 まともに地面に突っ込んだ。大きな音がしてローターがへし折れ、回転しながら宙を飛んで手近の大木にぶつかって跳ね返った。低空飛行でしかも、腐葉土の積み重なった柔らかい森の土であることが幸いした。フライングカーは先端を土中にめり込ませ、逆立ちする格好で動きを止めた。もし、高空飛行で舗装された道路に突っ込んでいたなら車体はへし折れ、火を吹き、爆発していた。もちろん、そんなことになれば誰ひとりとして生きてはいられなかっただろう。アネモネも含めて。

 しかし、柔らかい腐葉土が受けとめてくれたおかげで火が付くこともなかった。墜落のショックはあったが、なかにいた人間たちに怪我をした者はひとりもいなかった。

 「ナイス!」

 ブリュンヒルト号のなかでトゥナが叫んだ。

 「ざまあみろ! あいつ、落ちたわ。ブリュンヒルト、奴の前に降りて!」

 「了解、マスター」

 ブリュンヒルトが変わることのない静かな声で答え、墜落したフライングカーの前に着陸した。逆立ち状態のフライングカーのなかからバラバラとグリムの手下たちが現れた。

 犯罪の専門家が一〇人以上、しかも、手にはクマでも殺せる大型拳銃。それに対してトゥナはたったひとり、それも武器など何ひとつない。誰が考えてもトゥナに勝てるはずがなかった。それでも――。

 トゥナは勢いよくブリュンヒルト号を飛び出した。その手にあるものは――。

 一丁の水鉄砲。

 グリムの手下たちも状況を忘れて呆気にとられたにちがいない。なかには吹き出した者もいた。まさか、本物の拳銃をもった自分たちに対して、水鉄砲などと言う玩具で立ち向かおうなどとは。

 いっそ、微笑ましくなってしまうほどだ。

 ちょうどいい、この生きのいい小娘を捕まえて、グリムさまに献上しよう。こいつ相手に持ち前のサディスティックな性癖を発散してくれれば、自分たちは生皮をはがれた上に塩水のプールに放り込まれ、紫外線を当てられ、のたうち回らずにすむ……。

 グリムの手下たちは何の警戒もなくトゥナに近づいた。銃口を向けることすらない。こんな小娘のひとりぐらい素手で取り押さえられる。そのもっともな、しかし、油断しきった考えが、かの人たちの命取りとなった。

 「食らえっ!」

 トゥナが叫んだ。水鉄砲の引き金を引いた。銃口から勢いよく緑がかった液体がほとばしった。グリムの手下たちは失笑した。おとなが一生懸命な幼児を見てついつい笑みをこぼすように。

 グリムの手下たちはほとばしった液体をよけようともしなかった。それが自分たちに恐ろしい運命をもたらす魔の液体であることも知らずに。

 ビシャッと音を立てて液体がグリムの手下たちの皮膚に跳ねた。その途端――。

 「ひいいいいいっ!」

 グリムの手下たちの悲鳴があがった。

 「かゆい、かゆいいいいいいっ!」

 全員がその叫びをあげていた。液体のかかった部分をメチャクチャにかきむしっている。あまりにかきむしったせいで皮膚が裂け、血がにじんだ。それでも収まらずにかきつづけた。しかも、かゆい場所はどんどん広がっていく。グリムの手下たちはたまらずに地面を転げ回った。それでもなお、全身をかきむしった。たちまちのうちに真っ赤な肉袋と化していた。

 トゥナは水鉄砲を掲げて見せた。会心の笑みを浮かべた。

 「バイオハッカー、舐めんな!」

 実はこれはトゥナが護身用に開発した生物兵器だった。白癬菌、いわゆる『水虫』の菌をもとにその効果を高めたもので、皮膚にかかるとたちまち繁殖して全身を覆い尽くし、途方もないかゆみをもたらすのだ。

 ただかゆいだけ?

 などと思ってはいけない。人間は痛みには耐えられるが、かゆみには耐えられない。そういう風にできている。事実、かゆみを与える拷問というものもあり、これを食らうとどんなに強靱な意志の持ち主であっても最後には必ず発狂する。まして、これはただの白癬菌ではない。DNA組み換えによってその効果を極限まで高めている。放っておけば全身の皮膚がボロボロになるまでかきむしり、それでも収まらず、ついには骨がのぞくまでかきつづけるというえげつない代物なのだ。

 「どう? そのかゆさには耐えられないでしょう。中和剤が欲しかったらアネモネを返しなさい!」

 トゥナは叫んだ。しかし、そんな取り引きは成り立たなかった。ヒュッと小さな笛のような音がして『かゆい、かゆい!』と叫びながらのたうち回っている手下の首が飛んだ。

 「………!」

 トゥナは息を呑んだ。

 ヒュッ、

 ヒュッ、

 ヒュッ!

 小さな笛のような音が鳴り響く。そのたびに手下たちの首が飛び、あるいは脳天を貫かれ、悲鳴が消えていく。

 むさ犬だった。

 むさ犬が手にした太刀で次々と手下たちを仕留めていた。

 トゥナはその光景に呆気にとられた。まさか、仲間をこうも簡単に殺すなんて。一般人であるトゥナの想像の限界だった。生粋の殺戮者相手に一般人の常識が通用するはずもないというのに。

 血がしぶき、生首が飛び、動いている人間が物言わぬ死体に変わる。

 おぞましい光景だった。その光景を演出している殺戮者と対峙しているのだという極限の緊張感がなければ、地面に突っ伏して体がひっくり返るまで吐いていたところだ。

 トゥナは水鉄砲をむさ犬に向けた。引き金を引いた。勇気とか、度胸とか、そう言うレベルではない。ほとんど生存本能だけで行った動きだった。

 ふ、と、むさ犬の巨体が消えた。と言うか、消えたように見えた。次にむさ犬の姿が見えたときにはその巨体はずっと横にずれており、放たれた液体は一滴たりともかかることはなかった。

 「クッ……!」

 トゥナはムチャクチャに引き金を引いた。狙いも何もない。とにかく、辺り一面にまき散らしてまぐれ当たりを狙う。そういう撃ち方。〝強いヒト〟と言えど人間。あらゆる細菌を寄せ付けない人造の皮膚をもっているわけではないし、金属製のロボットでもない。ほんの一滴、ほんの一滴だけでもその皮膚にかかれば、たちまち猛烈なかゆみに襲われ、何もできなくなる。そのはずだった。しかし――。

 その一滴が当たらない。むさ犬の巨体は消えては現れ、現れては消えを繰り返し、液体が当たる気配すらなかった。それこそ、一瞬、異次元に逃れ、そこから再び現れているのではないか。そう本気で思いたくなるような動きだった。

 ――殺される。

 その動きを見るうちにトゥナはそう悟った。この男はただの〝強いヒト〟ではない。もって生まれた強力な筋力と身体能力に加えて、気の狂わんばかりの修行をしてきた本物の武芸者だった。例え、自分が一〇〇人いて、しかも、完全武装していたとしても、かすり傷ひとつ付けることはできない。一〇〇人全員が殺されるだけ。

 そのことを悟らずにはいられなかった。

 むさ犬が一歩、前に出た。右手に太刀をもったまま。表情にはわずかの感情さえも浮いていない。いっそ、涼やかさとさえ言える風情だった。

 歩き方はあくまでも自然で力みもなく、力感すらもない。まるで散歩でもしているかのよう。歩調に合わせてきらめく白刃が夜の闇のなかで光っていた。

 トゥナはもう水鉄砲を撃つのをやめていた。と言うより、撃つだけの気力が失せていた。身動きひとつとれなかった。額は汗で滝のようになり、前髪が張りついていた。

 「……素人の娘を手にかけるのは趣味じゃないんじゃなかったの?」

 それだけを言った。

 むさ犬は静かに答えた。

 「お前は武器をもって挑んできた。お前は戦士となった」

 ――ああ、そうか。

 トゥナは納得した。自分はむさ犬に挑むことで、むさ犬の敵となったのだ。つまり、いつ殺してもいい相手になったと言うことだ。

 絶望がジワジワと心を覆った。それは恐怖ではなかった。むしろ、安らぎとさえ言えた。逃げようなどとは考えることもできなかった。それどころか、自分からむさ犬に向かって足を踏み出していた。迫り来る絶対の死。その恐怖から逃れるために早く殺してもらいたい。そう思わせる催眠術めいた力こそ、正真正銘のプロの殺戮者の格というものだった。

 あと数歩でトゥナはむさ犬の間合いに入る。そうなれば、いつ動いたかすら感じさせずにむさ犬の腕が動き、トゥナの体を真っ二つにする。あと数歩で。そのとき――。

 「トゥナー!」

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