もう自分が書かなくてもいいんじゃないか

 最初は楽しかったのだが、だんだんと書き直していくうちに別の感情が芽生えるようになってきた。それは、


「どうせまたごっそり直されるんじゃないか」


 と。それだけではない、ある程度必要なことがわかってくると、色々アイデアを思いついても、途中で「ここは長すぎるな」とか「ちょっとインパクトに欠けるな」とか考えていくうちにアイデアが消えてしまうのだ。そして経験豊富なI氏とやりとりしているとだんだんこう思うようになってきた。


「もうI氏が書いた方がいいんじゃないか」


 と。自分が書く意味があるのか、と。

 作者が書いた作品は、最初から最後まで色々流れがあって、雰囲気があって、それらは全てが繋がっており、会話、テンポ、主人公の行動はどれひとつも欠けることのない有機体なのである。しかし打ち合わせの中では、もう少し短く、との要求があるとどこかを削らなければならない。そこを削って後で振り返ると、じつはそのシーンがあるからこそ喋る別のシーンのセリフが残っていると、違和感が発生する。そして出来上がったものが、最初に思ったものと全然違っていると感じたとき、これは自分の作品なんだろうか、と思う。誰が書いたんだろうか、と思う。他人の作品であればそれでいいのだが、自分が最初に書いたものに対してそんな感情を抱くようになるとより一層辛くなってくる。


 それに加え、金銭面についても気になることが出てきた。

 給与体系も面白い仕組みになっていて、一話いくら、というものなのだ。

 元々お金なんていらないとは思っていたが、せっかくもらえるのならと、資料となる専門書も沢山購入し、サブスクリプションもいくつか申し込み、知識を蓄えた。

 しかし、創作を始めてから一ヶ月(結局半年近く)たってもいっこうに収入はない。なぜなら、創作をしている期間に対する報酬ではなく、あくまで一話、に対して支払われるので、いくら自分が原作を完成させても、他の色々な手順を経て、実際に連載が開始されるまでは一円も入ってこない。それなりに創作や打ち合わせに時間を費やしてくると、それも徐々に重しとなってくる。


 最初こそ自分が認められて、人生で初の体験をさせていただき、お金を払ってでもさせてください、と思えた今の環境にまさかこんな感情が生まれるとは思いもよらなかった。編集者のI氏は私が送った作品にすぐ意見も下さるし、淡々とされている。あくまで自分が変わったのだ。

 これが間違いなく私に訪れた最初の試練だった。これをなんとかして乗り越えなければならない。


 一体これをどうやって乗り越えたらいいのか?

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