第10話

 私はスマートフォンをしまうとその場から逃げるように自転車を走らせて帰路きろにつく。首元くびもとを通り過ぎる冷たい風が興奮を抑えて冷静さをもたらしてくれた。それでも夕食中には親から何か良いことでもあったの? と聞かれた。この頃はずっと気持ちがふさぎ込んでいるように見えて心配していたらしい。私は事情を話すこともできず、かといって心を読まれた焦りを見せるわけにもいかず、結局は別にと冷たくこたえるのが精一杯だった。


 入浴を終えて宿題を済ませると待望の自由時間となった。でもまだ今までの習慣が抜けきらないのか、胸の奥が妙にざわつき気持ちが落ち着かなかった。本を読み始めても没頭できず、スマートフォンでネット動画を見始めてもすぐに画面を消してしまった。そして無意味に写真フォルダを展開しては、あるはずのない画像を探してはまた画面を消して端末をベッドに投げ捨てた。


 何も手につかないのは仕方のないことだった。私は今日、一人の親友を殺してしまった。それは半年も前に死んだ人で、魂だけが私のスマートフォンの中で生き続けていた。そのことは誰も知らない。親にも学校の友達にも話していない。今となっては話したところで信じてもらえないだろう。しかし、確かに彼女はそこに存在していた。そして私がタップ一つで削除した。そうするしかなかったとしても、罪の意識にさいなまれるのは仕方なかった。


 それだけのことだと思っていた。


 布団に入って明かりを消すと、部屋は暗闇に包まれた。脱力すると心臓の音がやけに強く体に響いた。鼻から漏れる呼吸音も騒がしく、目は閉じているのか開いているのか、そのうち分からなくなった。興奮が収まらないのは決断の名残なごりか、宿敵しゅくてきを排除した喜びか、束縛そくばくからの解放感か。だがその根底に、得体えたいの知れない不安と恐怖が潜んでいることに気づいた。


 どうして、あんなことをしてしまったのか。


 頭まで布団をすっぽりとかぶって、両手で耳を押さえて目を閉じる。さらに暗く静かになると、黒い視界の右側辺りに、ぼんやりとサユの死顔しにがおが浮かんでいた。眠るように目と口を閉じて、微笑ほほえみみをたたえているかのようなあの時の顔。スマートフォンからは削除したが、毎日見続けていたせいで目の奥に焼き付いていた。


 私は視線を左に動かしてまわしい記憶に追いやる。しかし現れた死顔はかすれて消えるどころか、さらに色濃く像を結んでいった。これが不安の原因か? 私は、自分の記憶に脅えているのか? 唇を噛み頭を強く振って否定する。忘れろ。もう終わったことなんだ。サユは死んだ。体は骨と灰になり、魂は削除されてこの世から消え去った。私のせいじゃない。私は悪くない。だから消えろ。消えてなくなれ。穏やかに眠る死顔に向かって心の底から叫んだ。


 その時、幻覚であるはずのサユがぱっちりと目を開いた。


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