第6話

 何が起きたのか、全く理解できなかった。


 次の瞬間、私とサユは画面しに目を合わせていた。お互いじっと見つめ合ったまま微動だにしない。そのうちサユはまばたきをすると辺りをうかがうように眼球をぐるりと回した。そして再び正面に向けて私を見ると、リッちゃん? と問いかけるような声がスマートフォンから聞こえてきた。


 一週間前に死んだサユがスマートフォンの画面から声をかけてくる。テレビ電話ではない。動画ですらない。私が撮影したのは間違いなくただの写真画像、静止画だった。サユは戸惑とまどった様子で、ここはどこ? どうなっているの? と記憶喪失にでもなったかのように話し続けている。私はただ、あ……え……と言葉にならない声を返していた。


 夢や幻覚などではない。サユは確かに現在進行形でここに存在している。恐怖はまるで感じられず、ただ信じられない光景だった。私はようやく気持ちを落ち着かせると、改めて彼女の置かれている状況を確認する。画面に映っているのはあの時と同じ、白装束を着て死化粧しげしょうほどこされたサユだった。そして彼女からは、驚いてベッドから起き上がった今の私が見えているようだった。


 サユはたった今、目が覚めたような気持ちでいるらしい。日付を聞くとちょうど一週間前と思い込んでおり、事故にった前日の出来事も私と交わした会話もはっきりと覚えていた。しかし当日の記憶は一切なく、布団へ入った次の瞬間にはこうなっていたらしい。朝、起きたらなぜか私に顔を覗き込まれているので驚いたようだ。


 今、サユは暗い部屋に閉じ込められているという。顔も体も動かせないが周囲に何も存在しないように思える。背中や足に触れるものもなく、経験はないが深海や宇宙空間にただよっているような気分がする。苦痛は全くなく、空腹や喉の渇きもないそうだ。


 私の姿は、目の前に空いた四角い窓の中に見えるらしい。ただし単なる窓ではなく、私が離れると一気に小さくなり、近づくと極端に大きくなって窓一杯に顔が貼り付いたように映っていた。テレビやネット動画みたいに? と私が尋ねると、そうそうと返事する。つまりカメラで撮ったような映像であり、彼女の目からはまるで私のほうがスマートフォンの中に入ったようにも見えているようだ。


 サユからの話は以上だった。自分の身に何が起きたのか、これからどうすればいいのかも分からない。そして、リッちゃん何が起きたの? どうしたらいいの? と私に尋ねてきた。この状況や私の態度を見て、何か知っているのだろうと推測したようだ。彼女は不安げに眉をひそめているが、口元にはまだ笑みが浮かんでいる。何かの冗談、それが何の冗談かは分からないが、私の顔が見えているので大したことはないと安心しているようだ。


 私はサユが話をしている間、何度となくスマートフォンの画面表示を消したい衝動に駆られていた。これは現実ではない。スマートフォンが故障したか、謎のコンピューターウィルスに感染したか、私の頭がおかしくなったに違いない。サユは確かに死んでいる。6日も前に交通事故で死亡して、死んだからこそお通夜つやで撮影した死顔しにがおの写真がスマートフォンに保存されていた。


 では今、私に話しかけてくるサユはなんだ? 深呼吸を繰り返して早まる心臓の鼓動を抑えると、驚かないでね、と無意味な念押しをしてからサユに事実を伝えた。


 サユ、あなたはもう死んでいるはずなんだよ、と。


 中学生の頃、歴史の授業で聞いたことがある。写真という物は江戸時代の終わりにオランダから日本へと伝えられたが、当時は写真を撮影されるとたましいを取られると思う人たちがいたそうだ。白い小さな紙に人の姿がそっくりそのまま現像げんぞうされる写真は不気味で、体の何かを取られたと思っても不思議ではないかもしれない。もちろん実際にはそんなことがないからこそ今も写真はたくさん撮影されている。もし撮影で魂を取られるなら私たちはみんな抜けがらになっているだろう。


 一方、これは祖父が亡くなった際にお寺の住職じゅうしょくから聞いた話だが、人間は死ぬと7日間かけてあの世へ行くという。魂が肉体を離れて現世をさまよったあと、新たな世界へといざなわれるそうだ。初七日しょなのかは遺族が死者の魂が無事にあの世へ行けるようにお祈りをすることらしい。あくまで仏教の教えだが、大体どの宗教でも死ねば魂や霊や精神が遺体から抜け出すようだ。


 それらの逸話いつわを考えると、今スマートフォンの中で私と会話をしているのは、サユの魂ではないだろうか。死後に遺体から抜け出してお通夜の場にとどまっていた彼女の魂は、しくも私が死顔しにがおを撮影した際にスマートフォンの中へ吸い込まれてしまった。そして出る方法も分からずその場にとらわれることになった。この信じられない状況をそんな風に解釈した。


 私はまじめな顔でゆっくりとさとすように説明する。サユが思う翌日に何が起きたのか、それから私はどんな体験をしたのか。初めは何を言っているの? と苦笑にがわらいを見せていた彼女はやがて表情を失い、画面越しにも分かるほど顔を震わせて目を泳がせた。普段から冗談を言っては笑い合っていた仲だからこそ、私がそんな嘘はつかないことを彼女は知っている。なんで? どうして? と何度も尋ねる声に、ただ、本当だからと返事を繰り返す。そして、まるで証拠を見せるように、涙が溢れる目を精一杯開いて彼女を見つめ続けた。本当だよ、本当にあなたは死んだんだよ。


 私が話を終えると、サユは綺麗な顔をくしゃくしゃにして自分の死に号泣ごうきゅうした。


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