第5話

 それは私にとって、ごく自然な行動だった。


 サユを取り囲む人垣ひとがきのうしろで右手のスマートフォンを持ち上げて、カメラアプリを立ち上げる。画面に眼前と同じ光景が映し出されると、閉じた親指と人差し指を開いて彼女の顔をアップにした。そして息を止めて手ぶれを抑えて、軽くタップして撮影する。チャッという乾いたシャッター音は周囲のざわめきに掻き消された。


 不謹慎ふきんしんという思いは全くなかった。好奇心で死体を撮影したわけではない。もうすぐこの世界から消えてしまう親友の顔を写真にして残しておきたいと思っただけだった。それが常識知らずで失礼な行為だとは思わない。先生から撮ってはいけないとの注意も受けておらず、葬儀場にも撮影禁止とは書かれていなかった。サユの家族は怒るだろうか。美しく化粧された娘の最期を惜しいとは思わないのだろうか。少なくともサユ自身は絶対にこばまない。私からスマートフォンを向けられて嫌がったことは一度もなかった。


 帰りのバス内でも会話は少ないままだったが、皆どこか落ち着いた面持おももちで状況を受け入れたように見えた。サユに対する心配や悲しみは遺体を前にして涙とともに流れ落ち、彼女のいない世界を歩む気持ちへと切り替えられたようだ。


 私はそこまですぐには割り切れなかったが、目指す心境は皆と同じだった。もうこれ以上は引きずっていても仕方がない。日常はこれからも続き、止まってはいられない。こんな形で別れるのは理不尽で、悔しくて、残念だが、嘆き続けたところでサユは帰ってこないのだから。窓の外で遠ざかっていく葬儀場を見つめながら、今まで付き合ってくれてありがとう、本当に楽しかったよとつぶやいて、心の中で静かに決別した。


 翌日には平静を取り戻したがやはり学校生活に一抹いちまつの寂しさを感じずにはいられなかった。もう誰も待っていないコンビニエンスストアの前を通って登校し、机に向かって普段通りに授業を受ける。午後には窓から五月晴さつきばれの空をふと眺めて、もうサユの火葬は済んだ頃だろうかと思った。


 棺に収められたまま、真っ暗で奥に長いロッカーのような部屋に運び込まれて、2時間後には骨と灰になって運び出される。高齢で骨がもろくなっていた祖父は白い瓦礫がれきのような残骸ざんがいになったが、若い人だと理科室の標本のように骨が残るのよねと叔母おばが疲れた顔で話していた。サユは私よりも骨太だったので、きっと綺麗な骸骨がいこつとなって戻ってきただろう。


 放課後にはバドミントン部の部活動もあり、皆も声を上げて練習に励んでいた。私もサユ以外の部員と組んで、いつもより少しだけ熱心にコート内を動き回った。きのう、あれだけ泣き合ったはずなのに、皆がサユの話題を出すことはなかった。いや、気軽に語ることははばかられたのだろう。私も今はまだ口にしようとは思わない。変に気をつかわれるのも嫌なので、皆にはいつもより少しだけ積極的に話しかけるようにした。


 こうして村井紗雪は私の高校生活の道程に、まさしく墓標ぼひょうとなってのこることとなった。一緒の学校に通い、一緒の部活に入り、語り合い、ふざけ合った親友。なんとなく、これからも、ずっと一緒にいるだろうなと思っていた彼女。その突然の別れにこの世の無情と儚さを知った。多分この思い出は何十年経っても忘れることはない。彼女が死んだその瞬間、二人の友情は永遠になった。


 それから4日が過ぎた夜、ベッドに寝転んで落としたての電子書籍をスマートフォンで読んでいる時に、ふとサユのことが頭をぎった。あすの予定を思い浮かべていると、ちょうど一週間前に彼女が死んだことに気づいたからだ。いつまで経っても待ち合わせ場所に現れない彼女に不安を抱いてから、もう一週間も過ぎてしまった。まるで実感のない時間の速さに驚かされた。


 私は読む気を失った電子書籍のアプリを消すと、代わりに撮影写真を収めたアルバムアプリを立ち上げた。SNSエスエヌエスもやっていない私は撮影にもあまり熱心なほうではなく、何気なく撮った友達との自撮り写真や、やけに美しかった夕焼けの日の風景写真や、人懐ひとなつっこい近所の犬の動画くらいしか保存していない。その少し前には、あの日に撮ったサユの死顔しにがお写真があった。


 人差し指を伸ばしてサユの鼻をタップして写真を全画面に表示させる。たった一週間前のことなのに、胸の内ではすでに懐かしさが込み上げてきた。頭の先から白装束の襟元えりもとまで見える彼女の顔は本当に愛らしくて、優しげで、瑞々みずみずしくて、それだけに切ない気持ちにさせられる。このまぶたを閉じて眠る少女が目を覚ますことはもうない。この顔すらもうどこにも存在しない。私は彼女の顔を見つめながらうれいの溜息をついた。かわいそうなサユ、でも本当に綺麗だよ。やっぱりこの最期の顔を撮っておいて良かった。


 その時、写真のサユがぱっちりと目を開いた。


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