第3話

 暗い空から雨が降りしきる、5月なかばの朝だった。


 自転車通学の私とサユは、途中にあるコンビニエンスストアの駐車場で待ち合わせてから一緒に登校するのが日課だった。お互いに自転車なので大して話もできないが、なんとなく始まった習慣にどちらも文句はなかった。卒業するまで続くだろうと思っていた。


 その日も私はレインコートを身に着けて、かばんを入れた前カゴに防水カバーを付けてサユが来るのを待っていた。ゆるいシャワーのような雨音がフード越しに響き、服の中でもった熱気が気持ち悪かった。何度も切り替わる信号のランプを見つめながら、今日の授業内容について考えていた。2限目の体育は校庭ではなく体育館での授業になるだろうとか。


 いつもの時刻になってもサユは現れず、私はにわかに焦り始めた。寝坊したのだろうか。雨の日は窓から入る日射ひざしも弱く、とめどない雨音もかえって眠気を誘うものだ。確認のために送ったメッセージにも既読きどくのマークは付かず、電話を掛けても通話に出ない。まだ眠っているか、遅刻に慌てて自転車を走らせている最中なら気がつかない。夜の内に体調を崩して倒れたか、家族に何か異変が起きたのかもしれない。


 なんにせよ連絡がなければ仕方がない。私はサユに『先に行くよー』とだけメッセージを送ってから自転車のペダルを踏んだ。これ以上待っていてはこちらも朝礼に間に合わなくなる時刻だった。


 午前中もメッセージに既読は付かず、昼休みにサユのクラスに立ち寄ったら登校すらしていなかった。嫌な予感を抱いて他のクラスメイトに尋ねると、交通事故にって救急車で病院へ運ばれたと聞いた。朝礼の場で担任から話があったらしい。しかしそれ以上の情報はなく皆も心配しているようだった。


 サユが交通事故に遭った。突然の事態に私は寒気を覚えて心臓が弾んだ。スマートフォンに反応がないのは既読も返信もできないほどの怪我けがを負ったのか、運悪く端末たんまつが落ちて壊れてしまっただけかもしれない。もっと詳しく状況を知りたいが、治療を受けているか、病院か家のベッドで寝ているなら邪魔をしないほうがいい。結局私は心配を募らせながら午後の授業を受け続けた。いつまでってもサユからの連絡はなく、窓から見える校庭では雨が水溜まりを広げていた。


 サユの死は授業が終わったあとの終礼の場で担任から伝えられた。3組の村井紗雪さんが今朝、交通事故に遭って亡くなられました。女子生徒の短い悲鳴が聞こえて皆のざわつく声が教室に響いた。ただ、別のクラスの生徒だったので面識のない人も多く、パニックになることはなかった。お通夜つやは明日の夜を予定しており、希望者は学校に集まって葬儀場へ向かうことになると説明があった。その後は登下校とうげこう時の交通安全についての話が続いた。


 私は同じ部活動だったことを知られていたのか、担任から個別に呼び出されて話を聞いた。事故に遭ったのはサユの家と待ち合わせのコンビニエンスストアとの間にある交差点で、自転車で横断歩道を渡っている途中で左折してきた車にねられた。その時に頭を強く打って意識を失い、病院で緊急手術を受けたが死亡したとのことだった。担任も教頭先生から聞いた話なので詳しいところまでは分からないようだ。


 私は担任からの話を冷静に、恐らく無表情で聞いていた。驚きや悲しみは不思議と生まれず、まるで歴史上の人物の説明を聞いているような気持ちだった。昔この学校には村井紗雪という女性がいて、通学途中に交通事故で亡くなったそうだよ。そんな話を聞いても、へえ、可哀想かわいそうですね、という感想しか思い浮かばない。でもそう返答するのも薄情に思えたので、ただ黙ってうなずいていた。


 振り返れば、あの時から私はもうおかしくなっていた。親友の急死というあまりに非現実な事態に遭遇そうぐうして、頭の中でどう受け止めればいいのか分からなくなったのだろう。その後バトミントン部の部活動でも改めて話をされたが、今度は教室と違って全員がサユと知り合いだった。顧問の先生が目を赤くして説明し、他の部員たちがすすり泣く声を聞いている内に、急に私も涙があふれて止まらなくなった。泣き叫ぶことはなかったが、胸は肺に穴が空いたように息苦しくなり、目の奥がズキズキと痛み、涙と鼻水が延々と流れ続けた。そして頭の中ではただ、サユがいなくなったという言葉しか考えられなくなった。

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