決意の行方
次の日、ミシェルは午前の授業を終え昼食を摂ると、いつものように自室で一人になった。
部屋に唯一ある半楕円形の窓に歩み寄る。縁に手を付いて外を見たが人は居ないようだった。
次に自室のドアの前に行き、扉を開けずに廊下の様子を窺う。番の者以外は近くに誰の気配も無かった。
金色の丸いドアノブに手をかけ、ミシェルはゆっくりと扉を開けた。それに気付いた番の者が「どうされましたか?」と声を掛けてきた。それに対しミシェルは何も言わずに金色の瞳でその信者の目を見つめた。信者も囚えられたかのようにミシェルの瞳を見る。彼女はそのまま念を送るかのように相手の目を強く見据えた。十秒程そうしていると、信者は虚ろな顔になりその場に座り込んだ。目は開いているが意識はどこかに行ってしまったようだ。
ミシェルはそれを確認すると素早く部屋に戻り、机の上に予め用意しておいた書き置きを残した。そして先程の窓を開けると縁に足を掛け、外に飛び出るとふわりと降下していった。
人間のように逆さになったり一気に落ちたりすることはなく、重力が存在しないかのように静かに下へ向かった。十秒程かけて地上に辿り着くと、緑の地面にそっと足をつけた。
いつからかミシェルは、教団の者の前でむやみにこういった特別な力を使わないようにしていた。内部の人間達を信用していなかったからだ。よってこれらの力は誰も把握していなかった。もし知っていたらミシェルの軟禁はもっと厳重なものになっていただろう。改めて彼女は自分の判断が正しかったのだと実感した。
地上に降り立ったミシェルは周囲の状況を確認し、二年前脱走した時と同じようにドレスの裾をつまみながらひたすら走った。目指すは遠くに見える細長い時計台だった。
時計台自体が高い上に周囲に遮る建物が無いため、その存在自体は昔から知っていた。
ミシェルの部屋の異変に信者が気づくのは時間の問題だと思った彼女はひたすら全速力で走り続けた。
時計台が近くまで見えてきた。背後を振り返るが、信者が追って来ている様子はない。運良くミシェルの脱走の発覚が遅れているようだった。ミシェルを特別扱いして彼女の部屋を奥まった場所にしたのが彼らにとって災いした。
走り続けて息が切れ切れになった頃、ようやく時計台へと辿り着いた。気付くと農村部も抜けて市街地へと入っていた。茶色く細長いその建物は大きさと古めかしさが相まって荘厳な雰囲気を放っていた。上部に丸い時計盤が付いており、その更に上にはバルコニーがある。その上に三角錐のグレーの屋根が乗っていた。
市街地なので周囲にはそれなりに人が歩いている。ミシェルはその目をかいくぐり、時計台の中へと入った。
建物内は薄暗くて狭かった。その室内のほとんどを黒色の螺旋階段が占めていた。ミシェルはそれに足をかけ、上へ向かって登って行った。
彼女が進む度に、鉄製のそれはカン、カンと音を立てる。その音を聞きながら、ミシェルは揺らぐ自分の心を落ち着かせようとした。
階段を一番上まで登ってしまうと、ミシェルは扉を開けてバルコニーへと出た。床や壁の色は建物全体と同じ茶色で、周りには落下防止用に黒い柵が張られている。ミシェルは柵の手前まで歩を進めると、短く息を吐き出した。
“時計台で待っています。教祖様を連れてきてください”
自室に残した書き置きの内容だった。果たして教団内で最重要人物の教祖を信者が素直に連れて来るかは疑問だったが、連れてこなければ教祖を伴ってくるまでここに居座るつもりだった。
柵に背を向ける形で佇み、ミシェルは目を閉じた。
それから十分経つか経たないかのうちに、階段をバタバタとかけ上がる音が聞こえてきた。思っていた以上に良いタイミングだった。
最初に姿を見せた信者がミシェル様、と言って彼女に手を伸ばしたが、ミシェルがきっ、とその信者を睨むと彼はその場から動けなくなった。睨まれた信者と後ろにいた信者達は茫然とミシェルを見つめていた。
その背後からアドリアンがやって来るのが見えた。信者達は足音からして十人程は居ると思われたが、入口が狭く把握は出来なかった。
「教祖様を入口に、他の者はその後ろに下がりなさい」
広くないバルコニーだった為、信者達に捕まらないようにする目的で全員を入口より後ろに待機させた。ミシェルの使える力がどれほどのものかを計りかねた信者達は彼女に従うしかなかった。
「教祖様、皆様。この度はここまでご足労いただいてありがとうございます。皆様にお話ししたいことがあって、このような
・・・さて、皆様もお気づきのことかと思いますが、私は「偉大なる存在」の魂だけではなく、人の魂も宿した状態で生まれてきてしまいました。今まで生きてきた中で、それを感じるような出来事がいくつかありました。
・・・私は葛藤しました。このまま皆様が思い描くような存在になってしまってもいいのかと。それが本当にこの世界の為になるのかと。
・・・そしていざ「その時」が近付いているのを感じると、私は恐ろしくなりました。自分はどうあるべきか悩みました。・・・そうして出した結論が、「私は悪魔にはなりたくない」ということでした」
彼女が伏し目がちに、且つ慎ましやかに話すと、アドリアンが焦ったように口を挟んできた。
「おかしなことを言うんじゃない。大体、拒否したところで時がくればお前は有無を言わさず完全な存在になるのだぞ」
ミシェルは「ええ」と教祖に向かって返事をした。
「ですから、そうなる前に終わりにします」
その台詞を聞いたアドリアンの目が開かれた。
「お前、何を言って・・・」
アドリアンが一歩前に踏み出すと、同時にミシェルの体がふわりと浮いた。彼女の意図が読めないのと、目の前の光景が信じられないのとで教祖達の顔には驚愕が張り付いていた。
焦った教祖が前に出てミシェルを捕まえようと手を伸ばしたが、彼女はそれをかわし宙に浮いたまま柵を越えて後退した。柵の中からは手が届かない位置まで移動していた。
「ミシェル、何をしている・・・!戻って来なさい・・・!頼むから、戻って来てくれ・・・!」
教祖やバルコニーになだれ込んできた信者達が柵から手を伸ばしたが、その手は全て虚しく空を掻いた。
そんな彼らを静かに見下ろしていたミシェルは口を開いた。
「今まで育ててくださってありがとうございます。あと、皆様の期待に沿えなくてすみません。・・・わたしは、悪魔にはなれません。この世の支配者にはなれません。でももう、きっと時間が無い・・・。
だからせめて、せめて人間でいられるうちに、私は穢らわしい魂と共にこの世を去りたいと思います!」
叫び終わると同時にミシェルの身体は浮遊をやめ、そのままぐんと落下していった。黒色のドレスをひるがえし落ちていく様は、まるで黒い花弁が舞っているかのようだった。教祖達が必死で縋り付いたが、彼女を掴むことはついに出来なかった。
こうして教団の一方的な大望を背負わされた少女は、悲しくも強い決心を経て、身に宿した二つの魂と共に散っていったのだった。
時計台という人目がある場所での出来事だった為、一連の事件は通行人によって通報され、アドリアン教祖含む教団の人間達は、過去の殺人等の罪で捕らえられた。ミシェルが市街地の目立つ所を選んだのにはこういった理由があってのことだった。
かくして教祖率いる宗教団体の野望は、一人の少女の決意と犠牲によって潰えた。アドリアンにはもう同じようなたくらみを企てる時間も労力も無いと思われた。さしては、同じような思想を抱く人間がもう現れないことを願うばかりである。それが人間として消えることを願った少女への、せめてもの追悼となるであろうから。
黒色の花弁 深雪 了 @ryo_naoi
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