廃ビル(2)





「ごめん、突然だったから。」


桂は濡れたタオルを頭の後ろに当てソファーに座っていた。

あの女性は慌てたようにその周りをうろうろしている。


「いや、良いんだ、俺が悪い。」


頭には小さなこぶが出来た程度で痛みもそれほどでもない。

それより女だと思い油断をして醜態をさらしたショックの方が大きかった。


「ところでお嬢さん。」


彼はタオルをはずすと話を変えるように女を見た。


「昨日俺をつけてたな。」


それを聞いた彼女の大きな目が泳ぐ。


「何か用があるのか。」


自分の気まずい思いをぶつけるかのように

桂は少し不機嫌そうに彼女に聞いた。


「まあ……。」


女性は少し口篭もるように返事をした。


「仕事か。」

「そのつもりだけど。」


桂は自分が座っているソファーの向かいの椅子を指差した。


「座れよ。」


すると彼女はそこにすとんと座った。


彼女は部屋を見渡した。

天井と壁は薄汚れた白の漆喰、

扉は木造りでガラスがはめ込まれ、

そこに『遠山桂相談事務所』と書かれた文字が裏返しに見えた。

手書きの様で少し歪んでいる。

横壁には金属のロッカーが並んでいた。


彼女は一枚のメモを取り出し桂に渡した。

そこには雑な字で彼の事務所の名前と住所が書いてあった。


「紹介されたのか。」

「うん、ここで断られたら諦めろって。

私は北川ミツキ、ここは探偵事務所だろ?」

「ん、まあ、そんなもんだが。」


桂はミツキの様子を伺った。見た目は17、8歳か。

彼女は真剣な目で桂を見た。




人種が雑多に生活するこの明開めいかいでは様々な人々が存在する。


今は2055年、

30年前トウキョウが既に飽和状態を迎えており、

日本の新しい入り口が必要となった。


トウキョウ近郊にある明開市に2025年に新しく港が開かれて

国際都市として市は違う顔を持つ様になった。

完璧な計画都市としての外観と

ゴミ一つ落ちていない美しい街並み。


そしてその陰で分けられる豊かな人々と貧しい人々。


明開市には巨大なコンビナートがあった。

いわゆる工業都市だ。


コンビナートから都市部の反対側は再開発はされなかった。

その地域には昔からコンビナートを始めとする

工業地帯で働く人々が住んでいた。

団地やコーポ、アパート、長屋、街並みは雑多に広がり、

計画都市とは対照的な景観だった。


そこは昼間はコンビナートに隠されて見えず、

夜はコンビナートの明かりに隠されている。

都市中心部からはほとんど見えなかった。


明開市にはそのように隠されるように存在している影の街並みがある。

そして目の前のミツキの様子は明らかに、

その街並みの市民だった。


そしてこの遠山桂探偵事務所は、

明開市の最大の負の存在である場所にある。


彼はミツキの様子を見た。

髪は薄い茶色だった。顔立ちは悪くはない。

日本人でなく他の人種も混じっているのかもしれない。

身につけているものはいかにも安物だった。

そして彼女はひどく痩せていた。


物がたくさん入った古ぼけたリュックを背負っており、

豊かな層の者は出歩く際にこんなには物を持ち歩かないだろう。


「俺んちは何でも屋みたいなものだが、金がいるんだぜ。」


人を値踏みする訳ではないが、桂も仕事となれば報酬を貰わなくてはいけない。

依頼がどんなものかはまだ分からないが、関わらない方が良い気がしていた。


「お金だったらあるよ。」


彼女はむっとした顔をするとリュックを下ろして中をちらりと見せた。

すると札束の角がある。桂の口がぽっかりと開く。


「ちゃんと払う。」

「払うってお前、どうしたんだこの金。」

「家にあった。」

「家って誰のだ。人の家じゃないだろうな。」

「親父の家だよ。そこから持って来た。」

「親って、それでも黙って持って来たらダメだろう。」

「親父はこの前死んだよ。」

「死んだって本当か。」

「本当だよ。」


そっけなく彼女は言う。桂は訳が分からなくなった。


「とりあえずそれは外では絶対に見せるなよ。ところで依頼はなんだ。」


ミツキはにっこりと笑った。お金の威力を彼女は良く知っているらしい。


「人と会うのを手伝って欲しいんだ。」

「誰だ。」

未戸田みとだ夫妻。スーパーとか店舗をいっぱい持っている人。」

「それって大企業の未戸田コーポレーションか。

会うって一体何の用だ。」

「私、あの人達の娘なんだよ。」


桂は未戸田夫妻を思い出した。

彼らはこの街に限らず、全国規模で有名人だった。

どの街にも一つは彼らの傘下の店があり、そこには夫妻の写真が飾ってある。

CMにもちょくちょく顔を出す。


アピールの仕方がかなり派手だった。だからこそ桂も彼らの顔を知っている。

夫婦は日本人だった。間違っても日系ではないだろう。


「あの夫婦は完璧に日本人だぞ。娘って養子縁組でもしたのか。」

「違う、実の娘だよ。」

「だってお前、明らかにどこかのハーフかなにかだろう。

その髪色とか。」

「でも娘。」


後悔先に立たず。

おかしな者を引き入れてしまったと。

桂は考え込むようにあごに手を当てた。


「私はあの人たちの15年前に死んだ娘だよ。それで生まれ変ったんだ。」

「生まれ変り?」

「そう。良く分からないけど転生とかそんなだと思う。」


桂は大きく溜息をついた。

そして片手で彼女を追い払う仕草をした。


「なんだよ、その態度。」

「なにを、って、」


桂は立ち上がり彼女を覗き込んだ。

長身の彼が上から覆い被さるように立っているのは妙に威圧感があった。

ミツキは見構えるように居住まいを正した。


「帰れ。俺はオカルトは扱わん。」

「オカルトって、どういう事。」

「生まれ変わりなんて信じられんだろう。

嘘をつくな。」

「嘘じゃない。私はあの人達に殺されたんだよ。」


桂はミツキの顔を見た。

その目は真剣だった。








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