遠山桂相談事務所

ましさかはぶ子

廃ビル(1)





ほとんど人の来ないビルに誰かの足音がした。


1階の手動の扉に仕掛けたセンサーが

小さな音で知らせたのを遠山とおやまかつらは聞くと、

読みかけの本を近くのテーブルに置いた。


鼻からずり落ちそうな黒い太フレームの大きな眼鏡を押し上げると、

寝転がっていた色のはげた大きなソファーから立ち上がった。


外を見ると3階のこの部屋からの眺めは結構良い。

何しろ周りは廃墟ばかりだからだ。

所々崩れた建物があり人気は全くない。

廃墟の向うには真っ青な明開めいかいわんが見えた。

左手には元コンビナートの廃墟もある。


このビルは周りと比べればわりとしっかりと建っている。

でも外壁はボロボロで見た目は廃ビルだ。


彼は下に車など止まっていないことを確かめた。


彼の少し皺の寄った背広は何年着ているのだろうか。

皺防止が常識の現代の衣服に皺が寄るなどとは、

かなり年季が入っているのだろう。


それを彼はまったく気にしていない様だ。

ひょろりと背の高い桂がそのくたびれかけた背広を着ているのは

少しばかり貧相だったが、なんとなく愛嬌も感じさせた。


「おっ。」


彼は扉付近の映像を映したモニターを見ると声を上げた。

扉から入ってすぐの廊下に立っていたのは

髪を三つ編みにした女性だった。

上から撮っているせいか頭が大きく見えて子どもっぽく見える。


「来たか。」


彼はふふと笑うと事務所のドアを開けて廊下に出た。

木造のドアの蝶番が少し音を立てる。

今時こんな扉を使っている者は他にはいないだろう。


来たかとは言ったが、彼は彼女と知り合いではない。

昨日彼が出掛けた時に見かけた女だ。


小腹が空いたので近くのコンビニに行こうとしたのだ。

愛用のママチャリでしばらく走ると、

廃墟群のはずれに一人の小柄な若い女性が立っているのに気が付いた。


彼女は一瞬こちらを見たがさっと視線を逸らす。

別に怪しい行為ではない。

だがここは人気のない廃墟近くだ。

女が一人でいるのは少しばかり怪しい。


そしてつい最近同業者から流れて来た噂だ。

『貧乏くさい女が探偵を探している』

その人が自分の所に来るかどうか分からなかったが、

見かけた女はかなり貧乏くさかった。


彼女はずっと後をついて来た。

隠れているつもりの様だったが丸見えだった。

ついて来ても良いように彼はわざとゆっくりと走った。

そしてコンビニで肉まんを買い、半分からかうつもりでそこで食べたのだ。

彼女が見ているのは分かっていたからだ。


そして今日その女はここに来た。

入り口から彼の事務所に上がるための見える階段はこれ一つしかない。

彼は相手に気付かれぬよう薄暗い階段を静かに降りて行った。


相手の気配を桂は感じると近場の物陰に身を隠した。

しばらくするとそこを背の低い女性が

恐る恐ると言った様子で通り過ぎて行く。

彼女が通り過ぎるのを確かめてから

彼は静かにそのすぐ後ろに立つと声を掛けた。


「何の用かな。」


桂は彼女が金切り声を上げて走り出すか、

驚いて立ち竦むだろうと予想していた。

だが彼女は間髪を入れず身を沈めて片足で彼の足を払おうとした。

それはまるで条件反射のようだった。


「おおっ。」


桂はとっさにそれを避けたが、

その予想外の動きに驚きバランスを崩すと

壁に強く背中をぶつけて、ついでに後頭部も硬い音を立てて打ち付けた。


「あっ!」


その音に驚いた彼女が素っ頓狂な声を上げた。


「痛い。」


桂はそこ座り込み、手で後頭部を押さえた。








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