白き迎賓館
白い迎賓館に連れ去られた少年はひとり、木彫りの丸椅子に座らされていた。
先程まで居た黒尽くめの人間は、少年がおとなしく座っていることを確認すると慌ただしく部屋を後にしていった。
別段、少年はこの状況を良しとしている訳ではない。
しかし、歯向かう勇気もない。そんなどうしようもない小心者であった。
黒尽くめが出て行ってから暫しの時が経ち、段々と恐怖心が薄らぎ、暇を持て余すようになってきた少年は部屋を散策することにした。
といっても、この部屋自体、ぱっと見で何もない部屋である。
木製のベッドに薄い布団が敷かれており、その隣に白色のローテーブル。焦げ茶色のキャビネットに四人掛けの机、丸椅子が四つ。
窓が無いという点を覗けば、凡そどの家とも変わらない平凡なものであった。
迎賓館と呼ばれる建物の為、何か特別なものがあるのかと期待して探索してみたが、卓上のフルーツ籠以外は別段何もなかった。
そう、問題は卓上のフルーツである。
少年はもう一度椅子に腰かけ、フルーツ籠に手を伸ばす。
赤く熟れた果実を手に取り、一口。爽やかな酸味と溢れんばかりの甘みを口にし、思わず笑みがこぼれる。
一口、もう一口。どんどんと食べ進め、最後に綺麗な芯だけが残った。
少年は耳を澄ます。
物音はしない。
もう一つくらいなら、と手を伸ばす。
果実に齧り付いた瞬間、
「お待たせ。」
勢いよく謎の美女が部屋へと入ってきた。
少年は慌ててかじり後のある果実をテーブルの上に置く。
警戒心をあらわにし、下を向く少年。
それに対し、美女は真正面に座り、
「私を見て頂戴。」
と、何とも挑発的な文言を少年に繰り出す。
少年という年頃の男児にとって、美女からの誘惑に対して対抗できる術など皆無である。
ちらりと横目で、だがしかし。
凝視もする。
黒髪は何処か青みを帯びており、瞳は深い夜空を映し出している。
肌は少年と同じような白い色合いではあるが、淡い桃色を帯びており、何ともエキゾチックに見える。
少年は見たことも無い髪色や肌に対して、初めて彼女を外から来た人間だと認識する。
外からの人間は門番の彼等なら何度も見たことはあるだろう。
しかし、子供で友達のいない少年にとって、外からの人間というものは言葉でしか聞いたことが無い物であり、皆一様に浅黒く、むさ苦しいものと話していた。
少年ら神の子は聖域と呼ばれる特殊な場所に住んでおり、外部との交流は殆どない。
殆どというのは、この聖域でも一年に一度、姿を見せる祭りがある。
ここでは、霊峰の周辺の住民数名が門の前で祈りを捧げる。
それらを務めあげるのは代々歴戦の猛者たちであり、筋骨隆々のナイスガイである。
加えて、この聖域付近の人間は浅黒い肌をしている。
その為、このような美しい外の人間を目の前にした興奮で少年はすっかり舞い上がってしまった。
「ふふっ。」
その揶揄うような視線に少年はすっかり舞い上がってしまった。
真っ赤に頬を染める少年に何かを思い出したのか、笑みが零れるエミリア。
彼女は、間違いなくこの子が新たな魔法使いだと確信する。
この子は私を女性だと認識できた。
姿の偽りを許さない。
それは、魔法使いの根源的才能の一つである。
エミリアが喚起に震える中、少年は美女の体に夢中であった。
生まれて初めて沸き起こる本能に抗いつつも、獣のように、嘗め回すように飢えた視線をちらちらと送る。
流石にエミリアもその視線に気づき、微笑みながら机に脚を伸ばす。
「まずは、お互い自己紹介でもしましょうか。私はエミリア・マクリスタ。水の魔法使いであり、今回あなたを迎えに来た案内人でもあるわ。よろしく。」
エミリアの生足からの挑発に抗うかのように、少年は挨拶をする。
「シュ、シュルト。歳は14。」
ガチガチに緊張する少年というものも、エミリアにとっては非常に興味深い観察対象であった。
「へえ、シュルト。良い名ね。獣名は無いの。」
すると少年は目に影が差し、一言
「……ない。」
と呟いた。エミリアはわかっていた。
あえて言った。
それが必要な事であるから。
それでも彼女は少しだけ、心が痛んだ。
エミリアは僅かに憐れみを見せながら、
「そう。私も無いわよ。」
と答えた。
それが例え嘘だとしても、少年にとっては救いだった。
憐れみさえ気づかないほどに。
「本当⁉」
端に零れた涙は喚起か同情か。
「ええ、本当よ。」
純朴無垢な少年。
彼女は今度こそ、憐れみをひた隠しにする。
今思うこと、それは同志の幸福だけ。
彼女はグラスを取り出す。
色ガラスでできた美しいコップに少年は目を奪われる。
初めて目にするガラス細工。
エミリアから手渡されたコップを恐る恐る手に取り、じっくり眺める。
美しく透き通り、繊細で、儚くて。
まるで―――。
烏滸がましいにもほどがある。
それでも、何処かで思わずにはいられなかった。
「気に入った?」
そう聞かれた途端、これは他人のモノであり、自らの手には借り物が乗っている。
そんな当たり前に気づかされる。
「これは何というものなんですか。」
シュルトは机の上にグラスを置く。
そして、手を膝の上で固まらせた。
「これはグラスという、ガラスでできたものよ。綺麗でしょ。」
「はい。こんなにきれいなコップ、初めて見ました。」
彼の言葉はとても切なく、エミリアは思わず抱きしめそうな愛おしさを抱え込む。
彼にしてあげる事は、いまはこれしか。
彼女は小さな小瓶を手に取り、グラスの中に注いでいく。
そして、くるくると水を生み出し、グラスの半分までを満たす。
「これが魔法よ。」
魔法。
シュルトにとって初めて目にした魔法。
指先から水が現れ、グラスを満たした。
その摩訶不思議な現象が魔法という未知の力によって軽々と成しとげられたことに、少年は無反応だった。
まるで、それが当たり前かのように。
「飲みなさい。飲んで、歩みだすの。」
その一言は、シュルトにとって麻薬のように脳をしびれさせる。
頭ではわかっている。
これを飲めば、もう二度と戻れないことを。
それでも、手は勝手に、心は更に足早に。
もう、どうしようもなく。
気づけば眼下には、空のコップが転がっている。
「大丈夫。全て忘れて、眠りなさい。」
緩やかに落ちていく。
冷たい海に、落ちていく。
瞼が重い。
それでも目覚めはやってくる。
幾ら重くても、いつかは瞼を開かなくてはならない。
それでも、あと少しだけ。
夢を見ていてもいいのかも。
それが甘えと罵られても、シュルトは夢を見ていたい。
どうしようもない事。
救いようも無い事。
それでも、夢の世界を憧れずには、居られない。
「起きなさい。」
優しい女性の声が聴こえる。
耳馴染みのない声ではあるが、何故か母の声と重なって聞こえる。
「おかあ、さん。」
「私は君の母上にはなれないよ、シュルト。」
その声に、ふと目を開ける。
「おはよう。」
ぼやけた目に映るのは、昨晩に出会った黒髪の美女である。
彼女はまだ居たのか。
「おはよう。」
そう答えた矢先、
あれ、さっき、僕―――。
「うれしいが、私は君の母にはなれないんだ。すまないね。」
その言葉に、シュルトは再び布団にもぐり込んだ。
目を瞑り、必死に夢から目覚めようとする。
柔らかな布団にゆったりと包み込まれる中、瞼を。
「ここは、何処ですか。」
僕は知らない。
こんな柔らかな寝具達を。
辺りを見回せば、全面がつるつるとした白い石で出来ている。
ベッドもよく見れば、見たことも無い装飾がされている。
それは自然を大切にするアーランダ族の里では絶対に見る事のない、無駄極まる芸術の都であった。
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