霊峰にて
霊峰の麓、神々の結界で守られたこの神聖な山の麓に集落を構える一つの種族がある。
その名はアーランダ族。
彼らは魂の獣と呼ばれる不思議な獣を操り、その者達と共に生を過ごす。
ある種、自身が二人に分かれる摩訶不思議な種族である。
そんな集落の片隅、朽ち果て、捨てられた倉庫で蹲り、泣きじゃくる子供が一人。
その小さな子は大変見目麗しく、まるで美少女と思われそうな美少年であった。
彼が泣きじゃくる理由は一目見るだけで明らかなのだ。
彼は一人である。
周りに魂の獣らしき動物は見当たらない。
彼には居ないのである。
永遠の友となる獣が。
大人達は何故なのか理解はしている。
だが、それを伝える事は出来ない。
結果的に、彼は同年代の子供達から揶揄われ、度々一人、この誰も居ない倉庫で泣きじゃくる。
大人達も何とかしようとは思うのだが、子供のコミュニティでは大人に守られることほどの屈辱は存在しない。
何気にプライドも高いこの少年には益々苦痛を与える結果となっている。
今日も一人、泣きじゃくる彼。
涙ばかりが零れていき、心に雨ばかりが降っている。
そんな少年の前に、ひょっこりと小さな白いネズミが顔を出した。
しかし少年は目が滲み、視界に何も映ってはいない。
そんな中、ネズミは急に少年に飛び掛かり、カプリと手の甲の肉を少し奪い去っていった。少しとはいえ、肉を持っていかれたのである。
その痛みが余計に少年の心に傷を負わせていった。
少年が無き疲れ、眠りに就いてからほんの少し後。
霊峰の結界を素通りし、村の門を叩く一人の女性が居た。
体の殆どが布で覆われ、素肌を確認できるのは目元のみである。
それでも女性だと分かるのは、彼女の実に素晴らしきプロポーションという他あるまい。
先ほど迄雨に打たれていたせいもあり、マントを脱いだ彼女は、実に眩しい存在である。
そのような魅惑的で神秘的な女性が村の門の前に立っているものだから、いい年をした若い男衆を介しあっという間にうわさが広まり、塀の上には男共のギャラリーで埋め尽くされた。
そのような事に成れば、長老集の耳にもすぐに伝わり、彼らは急いでその人物を出迎える事となった。
この場を訪れるというだけで、彼らにとっては大切な客人である。
急いで盛る男共を下がらせると、門を開くよう、門番に指示をした。
分厚い石の扉が開くと、長老集7人が彼女を出迎えた。
「ようこそ御出でくださいました。美しき女子よ。まずは、名を聞いても宜しいかな。」
最年長である熊のジークが尋ねる。
「私の名はエミリア・マクリスタ。神々より水の法を貸し与えられた魔法使いよ。」
そう彼女が名乗ると、周囲から感嘆の声が上がった。
咄嗟に長老の兎のミラが睨むと男共は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「……こほん。失礼いたしました、水の魔法使い殿。では、ご用命を伺いますので、村の中へどうぞ。」
そう言って、長老はエミリアを村の中へと招き入れた。
エミリアは自身が潜った門が閉まる様子に感嘆を漏らす。
「素晴らしいですね、この村は。」
「はい。我々の誇りで御座います。」
「この塀は、一枚の岩なのですか。」
そう言って彼女がぐるりと辺りを見回す。この村の大きさは異様である。単に大きさだけで見るのならば、それこそ小国といっても差し支えない大きさである。
その中に田畑が広がり、間にポツン、ポツンと家が建っている。
そして、何より、この村には途轍もなく立派で分厚い塀がぐるりと聳え立っている。
彼女が見るに、その塀にはつなぎ目というものが存在しなかった。
「はい。そうです。正確には、器型の大岩です。」
「どういうことですか。」
「この岩は、深い深い地の底で繋がっています。その上に地面があり、我々が暮らしています。これこそが、我々が神々の大災害を生きぬいた選ばれし種族である証拠なのです。」
「なるほど。確かに神々は貴方達がお好きなようだ。このような箱庭に閉じ込めて置く程に。」
それを聞いた長老集の何人かは険しい表情を一瞬見せたが、エミリアに対して嚙み付く人物は一人として居なかった。
しばらく無言で歩き続け、長老集の館にエミリアは通された。
「して、今回はどのようなご用向きで。」
エミリアはゆっくりとキセルをくぐらせながら、
「この地に魔法使いが生まれたようなので、出迎えに参りました。」
と答える。すると、長老集はひそひそと言葉を交わしあう。
「すみません。その魔法使いは何という御名前なのでしょうか。」
どうやら誰も魔法使いの誕生を知り得なかったらしい。熊のジークが尋ねるが、
「知りません。」
と答えられてしまった。
これには困った長老集。
急いで一人が席を外すと、部下に緊急指令を出し、村から誕生した偉大な神の御使いを探し当てるべく、大規模捜索が発令された。
「では、新たなる魔法使いが見つかるまで、迎賓館にて、旅の疲れを癒してください。」
そう言うと、長老集とエミリアは、村で唯一の白い建物へと向かうのであった。
朽ちた倉庫の中、少年が目を覚ますと、小屋に漏れ入る光は茜色に染まっていた。
「あ、早く帰らなきゃ。」
飛び起きた少年は、急いで小屋から出ていった。小屋の隅、石のように固まった白いネズミがいることも気が付かずに。
少年は急いで家に帰る途中、あらゆる人が慌ただしく村の中心へと向かっていることに気が付いた。
「どうしたんだろ。」
そうは呟いたものの、少年にとって、今恐れるべきは暗い夜道である。
幾らこの村が安全だからと言って、暗いものは怖い。
少年は再び家路へと駆け出した。
「ただいま。」
急いで帰宅した少年。だが、
「やっと帰ってきた。ほら、行くよ。」
そういって、すぐさま母親に手を引かれ、彼女の魂の獣であるトナカイの背に乗せられた。
「母さん、どこ行くの。」
「それは走りながらね。」
そう言うと、普段の母からは想像もできない華麗な飛び乗りを披露し、すぐさまトナカイは走り出した。
「それで、どこ行くの。」
「村の広場よ。」
広場は、確かに村の中心である。
が、そもそも祭りや儀式でない限り、あそこはただの何もない広場である。
「今日って、何かあったの。」
「突然にね。お昼を過ぎたあたりだったかしら。」
「何があるの。」
「さあ、とりあえず集まれしか言われてないからわからないわ。」
なんでそんな曖昧な。
と、少年は思ったが、他の村人も集まっているようなので、母の勘違いでは無い事は確かである。
とりあえず、広場に行けば分かるだろう。
そう切り替えると、少年は母の背にしがみつきながら、暗くなる空に対して、その力を強めていくのであった。
すっかり日も落ちたころ、少年と母親はようやく広場までたどり着いた。
とはいえ、未だ人数もまばらであり、周りに事情を聴く余裕はありそうだ。
早速少年の母は彼を連れて広場で皆を待つ長老集の一人、自身の祖父に事を訪ねた。
「おじいさん。これは何の集まりですか。」
「おお、トナカイのエミ。会いたかったぞ。」
「それは良いから、おじいさん。」
「なんじゃ、冷たいのぉ。まあ、よい。実はの、この村に新たな魔法使い殿が誕生したらしい。」
「まあ、それはめでたい。」
「しかし、誰かわからんから皆を集めとる。」
「まあ、それは難儀なことで。」
「まあ、大方若いのの誰かだろう。内の曾孫だったりしての。」
「うちの子もいますよ。」
「ん、何処にじゃ。」
「どこって、」
そう言うと母親は横を見る。
すると、先ほどまで隣にいた少年が居なくなっていた。
「あれ?」
ふっと後ろを振り返ると、彼女により遮られた死角に隠れるようにおどおどする我が子がいた。
「こら。」
そう言うと彼女は少年の肩を掴み、無理やり曽祖父の前に突き出した。
「おお、我が曾孫よ。相変わらずかわいらしいな、シュルトは。」
「あの、ひいおじいちゃん。お久しぶりです。」
「うんうん、久しいのぉ。もっと、顔見せに来てもええんじゃぞ。」
「は、はい。」
そう言うと、少年はすっと後ろに下がり、再び母親の陰に隠れてしまった。
「全く、この子は。」
「よいよい。儂は気にしとらんからの。」
「甘やかさないでください。」
そういう彼女に
「お主も、昔と比べてしっかりしたのぉ。」
「もう、その話はやめてください。とにかく、私達は後ろの方で待機しています。」
「うむ、それがよかろう。では、またな。」
「はい、また。」
彼女が背を向けて歩き出すとき、ひ孫の顔が再び見られるのではないかと期待してみたが、器用に彼女の陰に隠れながら移動していく少年に、苦笑いを浮かべる他無かったのであった。
後方に歩いていくと、先に出発していた少年の父と妹二人、小さな弟が牛車に乗ってこちらに向かってきた。
「お待たせ、やっぱり抜かれていたか。」
父は牛の手綱を捌きながらそう言った。
「早いに越したことは無いでしょ。」
「まあ、そうだけどね。」
父は少し言いたげではあったが、女性に小言を言うと十倍で帰ってくることを、身をもって知っているため、笑みを浮かべながら停牛所の方まで牛を動かした。
降りてきた妹達は相変わらず兄である少年にちょっかいを出している。
少年は止めさせたいのは山々だが、両親から預けられた小さな弟を抱いているため、怒ろうにも怒れない。
下手に怒ると、確実にこの小さな暴君は目を覚ます。
そうなれば、一時間はぐずられる。
そんな面倒なことは少年にとって勘弁願いたい事象である。
結果として、妹達が彼の髪を複雑に編んでいることを黙ってやり過ごすしかなかったのである。
一時間もすれば、村中の人間が集まっていた。
ガヤガヤと喧騒が支配する広場に熊のジークが銅鑼を叩く。
ピタッと広場の喧騒が嘘のような静寂に包まれる。
すると、普段、長老が立つ小さな舞台に一人の怪しげな人物が上っていく。
真っ黒なハット、真っ黒なマスクに真っ黒なマント。全て黒で身を包んだ怪しげな人間はぐるりと広場を見渡す。少年も何事かと其方を眺めている次の瞬間、壇上にいたはずの人影が鼻先数センチの距離にいた。
「君だ。」
するとその人は小さな弟を手に取り、隣にいる彼の妹に渡した。
「あの、」
「君だ。」
その人は同じ言葉を大きな声で張り上げる。と、同時に少年の肩を掴むと、空へ飛び立ち、迎賓館へと戻っていった。
唖然とする村人に、
「えー、以上です。」
と、長老の困惑感満載の閉幕の挨拶がなされた。
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