似た者同士が寄り合うことには
次の日の朝も、煙の匂いで曼珠は目を覚ました。それから、猛烈な空腹。
もう鬼を焼いてはいないのだろう。肺に絡まるような煤けた匂いが、戸の隙間からは流れ込んでくる。食欲の刺激される匂いではないが、鬼を焼くものよりはマシだった。
しばらくぼんやりと天井の染みを数えていると、鳥の声に混じって外から足音が近づいてくる。引き摺るような不規則な足音には、聞き覚えがあった。
堂のすぐ傍まで来たが、縁側に上がった足音の主は昨日と同じようにしばらくへたり込んでいるらしい。
待つのも暇になってきたので、今度は壁の染みでも数えるかと半ば本気で曼珠が考え出した時、ようやく建て付けの悪そうな音と共に白い光が室内に差し込んだ。
僅かに開いた隙間に、細い指がかかる。彼の身長からすればかなり低い位置なので、多分まだ立てていない。
思考を読んだかのように、指に力が籠る。ついで、戸を支えにして立ち上がったのか、指が曼珠の視線よりは高い位置に移動した。
一拍の後、景気良く戸が開け放たれる。
立っていたのは、曼珠の予想通り青白い顔をした桜である。すでに下ろされて見えはしないが、今日も袖の下は赤く爛れているに違いない。
開け放たれた戸口から流れ込んだ秋風が、堂内を一巡して空気を冷たいものへと入れ替えていく。
「起きてたのか」
別に曼珠のせいではないのだろうが、不機嫌そうな声で桜が問いかけた。睥睨してくるような青紫の瞳に、曼珠は軽く笑いかける。
「今起きたとこだよ。ねぇ、お腹減った」
身もふたもない要求に桜は片眉を上げた。
「元気だな」
「呆れてる?」
「いや別に。順調に回復してるようで嬉しいぜ? でも飯は、問題ないか診てからな」
あんたの方が辛そうだけど、と言いかけて曼珠は言葉を呑みこんだ。何だか三倍くらいになって小言を返されそうな気がしたからである。
桜の方は、相手のそんな細かい心情など知るよしもない。てきぱきと準備を整えると、昨夜と同じように傷の確認にかかった。
「お前さぁ……」
包帯をほどいた桜の口から、呆れのような感嘆のような、何とも微妙な声が漏れる。傷自体の酷さは相変わらずだが、悪化はしていない。むしろ昨日より目に見えて良くなっている。良いことではあるが、逆に怖い。
「そこらの犬猫の方が、もうちょっと可愛げがあるぞ」
「どういう意味さ」
「そのままだよ。傷以外に痛むところはあるか? あと口が開けにくいとか、首筋が張るとか」
桜の問いにしばらく考えてから、曼珠は首を横に振った。
「ないよ。口が開けにくいとなんかあるの? 飯が食いにくいから?」
「それとは関係ねえ。……というか、固形物を食わす気はねえよ。しばらく重湯だからな」
「えぇー。元気出る気がしないんだけど」
不満の声を上げる曼珠に、俯いた桜のこめかみが危険な感じに引き攣った。
「当たり前だろうが。内臓あれでそれなのに固形物とか、もう一回死にかけたいのか、てめえは」
「はいはい。……ところで桜ちゃん」
「なんだよその呼び方。言っておくけど、絶対駄目だからな」
「飯じゃなくて。――僕と組まない?」
真剣な声に、桜は顔を上げた。声と違って、曼珠の顔には相変わらずの感情の読めない笑みが浮かんでいる。本心を掴みあぐね、桜は眉を寄せた。
「なんで。お前、俺が嫌いだろ」
「よく分かったね」
「あれだけ突っかかってこられたら、そりゃあな」
言って、ますます桜の眉間の皺が深くなった。「なるほど確かに」と曼珠はおざなりに頷く。どうも、昨日の朝のことを根に持っているらしい。
「気が変わったんだよ。あんたの辛気臭い面と偽善者っぷりは気に食わないけど、今のところ医者の知り合いがいない」
「辛気臭くて悪かったな。口説き文句のつもりなら最悪だぞ」
「気にするのそっちなんだ」
もう一つの悪口は聞き逃したのかと曼珠は思ったのだが
「偽善者ってのは、言われ慣れてる」
ぼそりと続けられた言葉に、目を見開く。
それ以上の言葉を拒むように背を向けた桜が、おざなりに手を振って腰を上げた。この話はこれで終わり、ということだろう。
「お前の体が良くなるまでは面倒見てやる。けど、それ以上はやめとけ。言ったろ、俺は
「ああ、そういえば」
どうにも、曼珠はこの男が無資格というのを忘れがちになってしまう。堂々とした態度や、慣れた手つきがあまりにもらしく見えるからだろう。というより、むしろ
「あんたさぁ、なんで国試に落ちたの?」
単刀直入に曼珠は気になっていたことを聞いた。桜の動きが一瞬だけ止まる。と思っていたら、指先がわきわきと蠢いた。
「…………お前、よく人に無神経とか遠慮がないとか言われねえ?」
振り向いた顔は怒っていない。怒ってはいないが、先ほど回避した小言が降ってきそうな予感がする。
「もう少し言葉を選べ、ってーのはよく言われたかな」
隠しても仕方が無いので、曼珠は正直に、自分に対する他者からの評価を述べた。桜の口から、聞こえよがしな大きなため息が漏れる。
「何さ、その反応」
「別に。……で、だ。国試だったな。別に落ちたわけじゃない、受けてないだけだ」
「なんで? 自信ないの?」
「いや……」
口ごもった桜が、決まり悪そうに目を逸らす。
「面倒だから」
「はぁ?」
今度は曼珠が呆れの声を上げる番だった。
面倒。
あまりにも、あまりな理由である。金がないとでも言われた方が、まだ理由としては説得力があるというものだ。
「面倒って、帝都に行くのが? あんたそれ、他の医者に言ってみろよ。冗談抜きでぶん殴られるぜ」
曼珠の非難に、桜は慌てたように両手を振った。
「違う、行くのが面倒なんじゃない。大体、俺は元々帝都にはいたんだよ。ただまぁ……後見人だった師匠が死んじまってな。ちょっと色々あって、俺一人だと手続きが面倒なんだよ」
どうにも歯切れの悪い返答だ。手続きが面倒ということは、よほど生まれが特殊なのか、あるいは体質的な問題か。そう曼珠は訝ったが、それ以上問いを重ねはしなかった。
外から、聞き覚えのない足音が近づいてきたのに気がついたからである。
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