来客
「ねぇ、客だよ」
曼珠が声を上げたのと、桜が振り向いたの。そして、開け放たれていた戸口から勢いよく人の顔が突き出したのはほぼ同時だった。
覗き込んできた相貌は、まだ幼い。よくて十二か三だろう。
頭の上で雑に束ねただけの黒髪に、同色のくっきりとした瞳。たくし上げられた臙脂の着物からは、よく日焼けした手足がすらりと伸びている。
堂の外の、鬼を焼いた跡から先客がいることは承知だったのか。あるいは話し声が漏れていたのかもしれない。子供は驚く様子も見せず、むしろ「しめた」とばかりに、縁側に片膝をついたまま二人を素早く見比べる。
包帯だらけの曼珠と、呆気に取られて目を瞬かせる桜。闖入者が選んだのは後者だった。
「追われてるの、助けて!」
桜に向けられた高い声で曼珠にもわかった、少女だ。二人の返事も聞かず、彼女は背後を振り返る。
少女は一人ではなく、左手で女性の手を引いていた。
歳の頃は曼珠と同じか、少し上くらいだろう。薄衣から覗く結い上げた美しい黒髪とほっそりとした首筋は、見るからに活発そうな少女とは真逆の儚さがある。少女にしっかりと握られた白い右手は、恐れのためか小さく震えていた。
二人の尋常ならざる様子に、唖然としていた桜が顔を引き締める。
「わかった。とりあえず上がれ」
言いながら彼女達の方へと歩いて行った桜が、身を屈めて手を差し伸べる。小柄な少女を慮ってのことだろうが、彼女はその手を取らずに、左手の女を桜の方へと押しやった。
「姉ちゃん、先行って」
「きゃっ……」
有無を言わさずに押し込まれ、体勢を崩した女が桜の腕に抱かれるようにして転がり込んできた。
だが、転がり込まれた方には女性一人を咄嗟に支えるほどの腕力は備わっていない。鈍い音を立てて女ともどもひっくり返った桜が、呻き声を上げる。
「す、すみません……!」
期せずして桜を下敷きにした女が、慌てて縁側に膝をついた。四つん這いのような妙な姿勢なのは、履物を脱ぐ暇がなかったからだろう。
「良いから。早く奥行っとけ」
呆れたような桜に促され、女はもたもたと草鞋を脱ぎだした。足裏を床に付けないように気を使っているのだろうが、とろ臭いことこの上ない。
ようやっと室内に足を踏み入れた女は、そこで初めて、隅の方で寝ていた曼珠の存在に気がついたようだ。
声こそ上げなかったが、薄布越しにも分かるほどに身を硬くするのが分かった。
ついで、自分の履物を手にした少女が身軽に転がり込む。こちらは驚きこそしなかったが、女を庇うように曼珠との間に体を滑り込ませた。黒い瞳には警戒と――少しの怯えが見える。
「
「大丈夫。ただの怪我人だよ、姉さん」
袖を引いて自分の後ろに退かそうとする女にぴしゃりと言うと、少女は無言のまま曼珠を睨みつける。
手負いの獣にも似た必死さがおかしく、曼珠は喉の奥で低く笑った。
「君ら、
「ち、違うわよ! 失礼なこと言わないで!」
小さいながらも鋭い声で叫んだ少女が手を閃かせる。腰布から引き抜かれたのは、その手の大きさに相応しい小ぶりな木刀だ。
「あ、あんたこそ何よ。鬼狩りの割には弱そうだけど?」
「そりゃ失敬。僕は元からここにいた先客だよ」
挑発を流された上に、突然飛び込んできた無礼を指摘され、少女の顔が羞恥に赤く染まる。もっとも、曼珠は元から彼女の相手をするつもりはない。
子供は嫌いではないが、今はひたすら面倒な予感がした。外からは足音と、金属が打ち鳴らされる硬い音と匂いが近づいてきている。恐らく数は十を下るまい。
チッと舌打ちして曼珠は二人に問いかける。
「君ら何したのさ?」
「な、何も……。あたしも姉ちゃんも、何もしてないよ」
「野盗じゃあるまいし、何もしてないのに農民が襲ってくるかよ」
今度こそ、二人は揃って息をのんだ。閉めた戸の陰から外の様子を伺っていた桜も同様だ。
「わかるのか?」
「刀や槍の音じゃない。もっと薄いから、農具の類じゃないかな。それに、血じゃなくて土と草の匂いがする」
姉妹の顔がいよいよ青ざめる。ということは、正解なのだろう。間違えていれば鼻で笑えば良いだけだ。
「……確かに、お前の言うとおりみたいだな」
桜が呟く。すでに足音は彼にも聞こえるほどに近づいてきており、その主達の姿も視認できるほど近くに来ていた。
刀に手を伸ばす曼珠を一瞥し、桜は告げる。
「俺が出る。大人しくしてろ」
言外に刺された「余計なことはするな」という太い釘が見えるようだ。もっとも、世の中には「糠に釘」という諺もある。細い体が戸の隙間から出ていくのを見送った曼珠は、ごろりと寝返りをうって床に手をついた。歯を食いしばって体を持ち上げようとする曼珠に、慌てて女が腕を伸ばす。
「お怪我が……」
「ちょ、あんた起きて大丈夫なの?」
「大丈夫、じゃないけど……気になる。あんたらは下がってて良いよ」
二人の手を取らず自力で身を起こした曼珠は、刀にすがるようにして片膝立ちになる。たったこれだけの動作で息が上がることに、無性に腹が立った。
なんとか息を整えて顔を上げた時には、細く開いた戸の隙間から声がこぼれてきたところだった。
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