命の値段
再び意識が戻り、真っ先に曼珠の目に入ってきたのは見覚えのないようである天井だった。
二回目。さすがに面白くない。
ありがたさの欠片もない首なしの神にもうんざりする。もう日は暮れたらしく、木戸はぴったりと閉じられており一筋の光すら入ってはきていなかった。時間の経過に反して、身体の芯にはいまだに熾火のような痛みが燻っている。
息をするだけで苦しいが、ふと、あの男はまだ近くにいるのだろうかと気になった。
確かめようと、わずかに力を入れて起き上がろうとするが。
「……いっ……」
その瞬間、身体の中の熾火が爆ぜた。
激痛に指は一本も動かず、代わりのように漏れたのはしゃっくりにも似た引き攣り声である。しかも体が動かないので、満足に悶えることもできない。
必死に悲鳴を押し殺していると、暗がりから微かに衣擦れの音がした。
「起きたか。分かりやすいな」
声とともに、シャンという涼しげな音が闇に落ちて波紋のように広がっていく。その音色の余韻が消えた時には、これまた見覚えのある白い顔が曼珠を見下ろしていた。その手に持たれた蝋燭に照らされ、呆れの表情がありありと見て取れる。
「朝も思ったが、自分で自分の傷口広げてんじゃねえよ。野生動物の方がまだ動かないだけ賢いぞ、このタコ」
「……なんで、まだいるのさ」
「ああ?」
かろうじて反抗を口にした曼珠に返ってきたのは、ヤクザ者のような不機嫌な声だった。もしかしたら、向こうも朝は距離感を測りかねていたのかもしれない。
「不良医師……見習い」
「なんか言ったか」
「別に……。それで、何でさ」
枕元に座り込んだ桜はすぐ答えず、大きく息を吐いた。ため息の多い男である。だから幸せに逃げられて、辛気臭い顔になっているのかもしれない。
「せっかく助けたのに死なれちゃ、寝覚めが悪いだろうが」
「…………それだけ?」
「おうよ、それだけだ」
大真面目に返され、曼珠は肩透かしをくらった気分になった。枕元に乱暴に置かれた手桶には、並々と水が満たされている。
「ちと痛むが、お前が悪いから我慢しろ」
拒否権はなさそうである。どのみち抵抗もできないので、曼珠は黙っていた。
右腕に巻かれた包帯と貼付薬が外されると、夜の冷気が素肌を撫でる。薄闇に、膿んだ傷特有の臭いが広がった。
「腐ってる?」
「まだ大丈夫だ。それに、昨日に比べるとだいぶとマシにはなった」
言いながら、桜は水に浸した布で傷口を拭いていく。予告はされていたが、沁みてかなり痛い。なんとか喉の奥で唸るにとどめる曼珠に、桜が鼻を鳴らした。
「意外と我慢強いな。もっと暴れられるかと思った」
乱暴なもの言いに反して、手つきは――手つきだけは柔らかである。あっという間に貼付薬と包帯を新しいものに変えると、水を変えて今度は左腕。同じように胸、腹、右足、左足、頭部。
一通り終えると、目の前には包帯が小山になっていた。それを眺めた桜が、何度目かわからぬ溜め息を漏らす。
「どっかで仕入れねえと足りねえ」
「
鬼は金になる。
転んでもタダでは起きない国民性ゆえか、あるいはそうでもしないと生きていけないからか。
この国では、鬼を焼いた後に残る灰すら生活に利用される。
鬼灰が通常の灰と違うのは、その粒がまるで雪の結晶のように個体差があることだ。鬼となった動物は、体を構成する物質が変化するためだというのが通説ではある。
灰と名付けられてはいるが、成分は通常の木灰などとは全くの別ものであり、その使い方も様々だ。
国民の大半が知っている使い方で言えば、やはり
『焼けば白 練れば漆黒 鬼の灰』とはよく詠まれたもので、鬼灰は油などと混ぜて練れば美しい黒の顔料となる。蝋に鬼灰を練り込んだ漆黒の蝋燭は夜蝋と呼ばれ、燃える際に発される甘い香りは鬼が忌避するものの一つだ。腕の良い職人の作る夜蝋はそれだけで強い鬼すら退散するとされ、高額で取引される。
その他、絵画や染髪など広く世で利用されている鬼灰だが、その用途の広さに反して個人間での売買は禁止されていた。
役場の窓口にさえ持っていけば、鬼灰は換金してもらえる。逆に言えば、そこ以外で金に換えることはできない。国に黙って灰を売り買いすることは、極刑に相当するからだ。
国によって集約された鬼灰はその一部を役人の手によって各地方に分配され、一律の価格で売られる。そうして、ようやく職人を含めた庶民の手に届くのだ。
「いっつも思うんだけどさ。役人共は鬼灰を集めて、ちゃんと役立ててるの?」
曼珠の不満に、桜は苦笑した。
「役立ってるよ。使うのは役人じゃなくて、都の鬼法医だけど」
「ああ。そういえばあったねえ、そんな制度。鬼の研究する、すごい偉いお医者さんだっけ?」
「……間違ってはないな」
間違ってはいないが、色々と足りないのだろう。桜の半眼がそれを物語っている。
「成立が大鳳元年だから――制度として確立されたのは今から五十年くらい前か。まぁ、鬼の研究以外は都に篭って宮人とか皇族、貴族を看たりしてるし」
どうでも良さそうに補足した桜は、包帯の山を紙で包んで隅に押しやった。おそらく後で燃やすのだろう。
入れ替わりのように傍に置かれたのは香炉だった。
これまた手慣れた様子で幾つかの乾燥された葉や木を放り込み、火をつける。曼珠がぼんやりと見ていると、やがて白い煙が立ち昇ってきた。
血と膿の澱んだ臭いが、緩やかに駆逐されていく。不快ではないその香りに、眠気が押し寄せてくるのを曼珠は感じた。
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