人の心は何処へ宿るか
青い空に、白い煙が細く立ち昇る。その行方を見上げていた桜が、再び視線を地面に向けた。
「焼いたから、とりあえず二次被害の心配はねえんだけどな」
「じゃあ処理は終わってるじゃん。他に何を――」
言いかけて、曼珠は口を噤んだ。桜が先ほどまで掘っていた穴の近くに、真新しい土の盛り跡がある。ご丁寧に石まで添えられて。
「あんたさぁ」
それを見た時、曼珠は怪我のせいだけではなく胃の腑が重くなったのを自覚した。見えないしこりが出来でもしたかのように、胸から腹にかけて不快さが渦を巻く。
先ほどと同じように「鬼ではなくお前が死ねば良かった」と、この聖人ぶった医者に自分の人生を否定されているような気分になるのだ。
別に責められる謂れはないし、曼珠とて後悔はしていない。
ようは面白くないだけなのだが、口は勝手に動いていた。
「馬鹿だろ。鬼に墓なんて作ってどうするんだよ。参る人もいないし、どうせ持っていける分の鬼灰は換金するんだろ」
「そうだな。だが、せめて残った分くらいは人として葬ってやりたいんだ」
「はっ。人、ねぇ」
わざとらしく吐き捨てると、桜の肩がぴくりと強張った。ゆっくりと振り返った彼の瞳にあるのは、明確な怒りの色だ。そのことに、曼珠は暗い愉悦と――少しだけ安堵を感じた。
「何が言いたい?」
「いーや、別に。あんたの偽善者っぷりに呆れただけだよ」
相対する目の中に、冷たい光が混ざる。視線は外さぬまま縁側へと上がり込んだ桜が、胡座をかいて正面から睨みつけてきた。前屈みであってもも曼珠より高い位置に顔があるので、もしかしたら上背は向こうが上なのかもしれない。
「冗談か? それともまさか、知らないのか。鬼は」
「あいにくと、そんなネタで笑いを取るほど悪趣味じゃないよ。あと、学者先生ほどじゃないけど読み書きくらいは出来るし、最低限の常識は持ち合わせてる」
見下ろしてくる剣呑な瞳に皮肉を返し、曼珠は続ける。
「鬼が元は人間だってのは知ってる。でも、だからどうした。アレはもう人じゃないし、そこに人間性を見出すのはただの優越感と自己満足だ。あんただってどっかで思ってるはずだろう」
桜の唇が引き結ばれる。視界の端でその拳が握りしめられるのを見ながら、曼珠は嘲笑した。
「ああなるのが、自分じゃなくて良かったって」
殴られるなら、たぶん――満足だった。それで怒るなら、心のどこかでそういう気持ちを抱いていたということで、認めたくないから目を逸らしていたということだ。
だから、その偽善を剥ぎ取って、己の中にある醜さを突きつけてやれるなら満足だった。澄まし顔で正論を吐けるのは、しょせん他人事だからだ。
綺麗事をぬかす余裕を持ったままその年まで生きてこれたのは、単に恵まれていたからだと、そう思うと我慢ができなかったのだ。
だというのに、目の前の男は怒らなかった。虚をつかれたように曼珠を見つめる顔に広がるのは困惑である。それがまた、面白くない。
「鬼になった時点で、人間としてはもう死んでる。墓を作って灰を
「それは違う」
「違わない。何度でも言ってやる。アレはただの化物だし、人間と同じ感情なんて持ってない」
真に鬼と人間が同じだというのなら、“鬼灯”など作られることはなかっただろう。鬼をも殺せる武器を作るため刀匠は技を磨き、自分達はそれを――人であっても鬼を殺せると証明してみせた。
人と鬼は違う。
彼の
怒りを吐き出すように、桜が大きく息を吐いた。だが、どうもそれだけでは不足だったようで、伸びた手が曼珠の胸ぐらを掴む。
普段なら動くこともないような弱い力だったが、あいにくと今は足腰もガタガタで踏ん張りが効かない。
座り込んだままの曼珠を引き寄せた桜が口を開く。
「弔いは」
そこで言葉に悩むように、少しだけ間が空いた。
「弔いは、生きた人間がケジメをつけるためにやるもんだ。故人に別れをつけるために。そういう意味では、確かに俺たちの自己満足だよ。死者が為したことは生きてる人間にしか決めれないし、語れない。だが、鬼になったからといって、その人生までも否定するな。本人がいなくとも、それは必ず誰かを傷つける」
「記憶の中で生き続けるとでも? 詭弁だよ。人は死んだら何もできない。死人の評価を決めるのは大多数の人間で、たった一人が覚えていても無意味なんだよ。鬼は化物だ。この評価は覆らない」
どれだけ想いを馳せようが、死人は戻ってこない。交わした契りも、果てない夢も、全ては消えてしまう。
どれだけ徳が高い者でも、鬼となればその記憶は忌むべきものとして忘れ去られるのと同じだ。
死人は何もできない。
己の罪一つ否定できず、ただ冷たい肉塊に変わるだけだ。
貧血で瞬く視界に、夢で見た紙吹雪が重なる。
「お前……」
曼珠を掴む桜の腕に力が入るのが、はっきりとわかった。
その瞳に宿る怒りの真っ直ぐさが、ひどく疎ましい。
「別に殴っても良いよ。悪いね、助けたのが僕みたいなロクでなしでさ」
「そうだな、お前が怪我人じゃなければ一発くらいは殴ってるかもしれん」
「お優しいことで」
答える代わりに、桜は目を細めた。人形のように整った顔立ちの中で、いやに深い青紫の瞳だけが薄暗い中に浮かび上がる。
何となく、嫌な予感がした。
「……誰のことを思い出しているかは知らんが、一つ言っておいてやる。目を背けても、お前が背負った罪悪感は消えやしないぞ」
見透かされていた羞恥と、何もかもわかったような上から目線の言葉に、曼珠の頭に血がのぼる。
気がつけば彼の腕を振り払い、そのまま逆に引き倒してやろうかと腕を伸ばしたところで――間抜けなことに、身体中をはしった激痛に気を失った。
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