辛気臭い偽善者と語らふこと
なぜ、と言われても困る。
こんな郊外の山奥にいた理由なら「追手を撒いてたらいつの間にかいた」だし、一人でいた理由ならば「
わざわざ“鬼灯”の名を出したということは恐らく後者だろうと検討をつけ、曼珠は答えた。
「逃げてきたんだよ。いわゆる足抜けってやつ。それより、よく僕が“鬼灯”って分かったね」
「日焼けしたみたいな赤毛してるくせに、肌は白い。――幼い頃から鬼毒を少しずつ取り込んで、耐性を無理やりつけてる“鬼灯”の特徴だ」
身内以外から満点の回答をされるとは思わず、曼珠は声をあげて笑った。
その笑い声に、男が眉を寄せる。仏頂面、というのがしっくりくる顔つきで周囲を眺め回した男は、視線を合わせぬまま低い声で言い放った。
「この村な、お前が暴れてたすぐ近くにあったんだ。覚えはあるか?」
「ないよ。でも、予想はしてた。どっかの村で鬼が出たけど、逃げれなかったんだろうなって。それがどうかした?」
「そこまで分かってて、よく笑えるな」
糾弾じみた言葉に、曼珠は顔から笑みを消した。
男が何を言いたいかは朧げながら理解できる。理解はできるが、同じ気持ちになることは一生無いだろう。
「じゃあ、鬼の代わりに僕が死ねば良かった?」
惑ったような瞳に、曼珠は挑発的に唇を歪めた。
「あんたが言うのはそういうことだ。後悔するとわかってるなら刀なんて持たないし、はなから“鬼灯”なんてなってねぇよ」
男が何かを言いかけるように口を開け、閉ざす。やるせないとでも言うように、頭を振って伏せられた目に宿るのは罪悪感と後悔だ。世間一般で言うところの“鬼灯”の評価などそんなものだった。「どうしてそんな生き方を選んだのだ」と聞かなかっただけ、まだこの男はマシな方だろう。
「ざまあみろ」と曼珠の胸に暗い感情が湧き上がる。同情なぞ真っ平ごめんだが、さりとて自分の人生に、他人に土足で上がられたくはなかった。
特に、この男のような偽善者面をした人間になど、考えただけで吐き気がする。
「すまない。そういうつもりじゃ……」
「別にいーよ。助けてもらったのは本当だしね」
男から顔を背けた曼珠は、自分の草鞋を探す。だが、ない。
「僕の草鞋は?」
男の細い指が、死体を焼いていた炎へと向けられる。
「鬼の血が染み付いてたから、悪いが一緒に燃やした」
そういえば、と曼珠は改めて己の格好を見下ろす。見覚えのない襦袢である。
「着物は?」
男の指が、風上の方へと動いた。
割り竹で作られた物干し竿に、
「どうりでスースーすると思った。身ぐるみ剥がす系の追い剥ぎかな?」
「剥がれるほど持ってねえくせに、何言ってやがる」
男が大きくため息をつく。
「鬼の毒は血液、小便、唾液などの体液に触ることで感染する。熱には弱いから薬湯で煮りゃ大抵は死滅するが、てめえの履きもんみたいに染み込んでたら燃やす方が確実だし早えんだよ」
「医者みたいなこと言うね、あんた」
「悪かったな、医者だよ。一応な」
ぶっきらぼうに答え、男がふらふらと覚束ない足取りで寄ってくる。曼珠の方にというよりも、その前にある濡れ縁にと言った方が正しいかもしれない。
まるで炎天下に日影を求めるような動きに、曼珠は空に目をやった。日中もよく晴れそうな、透き通った青空が広がっている。
確かに日はさっきよりも高くなっているが、まだ朝と言っても差し支えない時間だ。何より今は夏の盛りも過ぎた時分である。だというのに、崩れるように縁側に腰を下ろした男の腕は日焼けでもしたかのように赤くなっていた。
何げなくその細腕を見ていた曼珠は、ギョッと目を剥く。
色だけではない。男の腕には、数えきれないほどの傷跡がはしっていたのだ。
直線上の切り傷から、抉られでもしたような楕円状のもの、火傷のように肌の色素が変わっている部分もある。
ぐるりと一周回っているものに至っては、まるで――
(斬り落とされたみてえ……)
曼珠の視線に気がついたのだろう。一瞬だけ男と目があったが、気まずそうにすぐに逸らされてしまった。隠すようにそそくさと袖を下ろすと、男は陰気な顔のまま口を開く。
「履き物を探してたが、まさかお前もう出ていくつもりか?」
「そうだよ。悪い?」
さすがにこれは虚勢ではあった。本当は喋るのも億劫であるし、今すぐ横になりたいくらいには身体は痛いし、気持ちが悪い。だが、医者だと名乗るこの善人面をした男の前で弱音を吐くのは癪にさわったのだ。
青い顔をしたまま、男が目だけを動かして曼珠を見た。
「やめとけ。途中で倒れるのがオチだ」
「やってみないとわからないだろ」
「喋るのもやっとのくせに、つまらん意地を張るな」
全てを見透かしたような口ぶりが、ぴくりとも動かない表情と相まってまた一層不快さを煽った。
「今のあんたよりはマシな顔色してんじゃない?」
曼珠の挑発にも、男はつまらなさそうな一瞥をくれただけだった。顔色が悪いのもそうだが、抑揚のない喋り方といい、必要以上に目を合わさない
世界の不幸を全て背負い込んだよう青白い顔に、ひどく苛ついた。
「あんたとなら、やり合ってもすぐ勝てそうだし」
「だろうな」
身を捩った男が、祭壇に置かれた曼珠の大刀を見やる。
「鬼と同じように斬ってみるか?」
今の曼珠にその体力がないことを見越して言っているのだろう。だが、そこには不思議と挑発的な響きはない。自嘲か、あるいは諦観。何にしても問答無用でぶん殴りたくなる枯れた声音ではある。
「斬れないと、そう思ってる?」
「そうだな。それもある、か」
曼珠の敵意を感じていないはずもなかろうに、男の態度は変わらない。
「お前、名は?」
あまりにも自然に訊かれたものだから、咄嗟に反応ができなかった。罵り言葉も浮かばず、結果として口をついて出たのはあまりにもつまらない返しである。
「人に聞くなら、まず自分から名乗りなよ」
「なるほど、道理だな」
男の薄い唇に、ようやく控えめな微笑が浮かんだ。
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