第16話 サウンド・オブ・サカバ

「お酒はぬるめの燗がいい」

 「舟歌ふなうた」を聞きながら酒をると酒が旨くなるのだが、邦画「駅 STATION」の劇中歌としてこれを楽しむと、燗酒の旨みがもう二段階は増す。

 高倉健と倍賞千恵子のつややかな絡みの中で、年の瀬とやがて至る悲哀への布石とが苦み走った顔立ちと共に無二の世界観を創るのだが、この良さを知ったのは酒をたしなむようになってからであった。

 それまでの私は何か明るい、それこそ笑いの取れる歌の方が好きではなかったか。

 これは落語も同じで、ある瞬間までは滑稽噺こっけいばなしを好きであったのが、今では人情噺にんじょうばなしを聞いて酒をるのがたまらない。

 なに、人の好みというのは花のようなもので、咲いたと思えば散るように変わってしまうものだ。

 しかし、いずれは涙腺が脆くなり、泉が沸くように涙することが多くなるのは避けられぬらしい。


 格好をつけてみたはいいが、その中身は呑兵衛でしかなく、あくまでも酒が旨くなるのであればなんでもよいというのが実情だ。

 冒頭で挙げた「舟歌」にもある通り、霧笛の音で十分に酒を飲むことはできる。

 確かに、港町の一角にある酒場でしっぽりといただくには最も心地よい。

 しかし、これが山奥の宿で聞こえてこようものなら興めであり、何事も場が大切である。


 場末のスナックやガールズバーで流れるカラオケというのは、時に苦笑することもあるが、なければないで寂しいものがある。

 流行りの歌が流れることもあるが、各々が気に入った曲や多くの人に愛される曲が流れるとそこから話が弾み、さらに酒が進む。

 私なぞは下手の横好きというものであるから、勧められねばなかなか歌いださぬのだが、場を繋ぐために歌うのは悪い気はしない。

 そして、こうした時に若い頃の流行歌を歌い、若人から懐メロだなぁと言われた時の酒の味は中々忘れられない。


 食堂や小さな居酒屋で酒を飲むとき、何かよく分からぬテレビが点いているのは絵になる。

 あまりに殺伐としたニュースばかり流れていると流石に酒が不味くなるが、季節の風物詩や旅先の長閑な景色などが流れてくるともうたまらない。

 ただ、あまりに集中してしまうのは野暮ったいため程よく意識を逸らそうとするのだが、テレビのない家に暮らす私はついつい目がいってしまう。

 まだ呑兵衛のんべえとしては甘いなとぼやきつつ、一杯るとちょいとほろ苦い。


 バーなどで音量を抑えたジャズなぞが流れているのをよく耳にするが、普段は気にせずとも酒を選ぶときに聞こえてくると心が躍る。

 その一方で、飲み進めていくうちにその音が心より遠ざかり、次第にカウンターの音量が増していく。

 特に知らぬ世界の話が入ってくると、ウィスキーに浮かぶ氷が輝き、香りが一層立ってくる。

 そのような飲み方ができればよいのだが、呑兵衛はバーでも呑兵衛であり、下世話な話で盛り上がることも多い。


 バーはバーでもスポーツバーでは、スポーツの放送がされていることが多く、それを何気なく耳にするのは悪くない。

 しかし、それよりも良いのは熱の入った応援や慣れた方の解説であり、店内が熱狂の渦に包まれた時のビールはこの上なく旨い。

 私に話を振られると少々困ってしまうが、それでも雰囲気で酒を飲んでしまうのが呑兵衛だ。

 流れにさお差すような在り方だが、許されたし。


 そのような事を気にせず飲めるのが居酒屋であり、どのような話であれ店内が活気に満ちているとそれだけで酒が旨くなる。

 上司の愚痴であろうと、趣味の話であろうと、酒と肴の話であろうと中身は何でもよい。

 居酒屋に最も似合わぬのは沈黙であり、粛々と進む飲み会など真っ平ごめんである。

 笑い声こそが最高の肴であり、酒を最も旨くする。

 だからこそ、居酒屋の中での説教ほどいただけないものはない。

 これを客側がするのであれば良いが、長々と部下を叱りつける声が聞こえてこようものなら河岸かしを変えようと思い至る。

 これより居酒屋に活気が戻るご時世、慣れぬ店員も増えてくるのだろうが、店側には少々気を配っていただきたい。


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