第8話 はじめに酒ありき

 酒と肴の話をすると宣言しておきながら、酒について論じた段がこれまでなかったというのは、看板に偽りありと言われても仕方がない。

 心の赴くままに題材を切り出していくため仕方のない部分があるが、それにしても確信に長らく触れなかったというのは及び腰が過ぎる。

 しかし、すでに三合ってエンジンのかかった今、大いに斬り込んでやろうという気概にあふれている。

 まあ、斬り込んだところで何かが変わるわけでもないのだが。


 では、どの酒の話をするかと言えば、今回は初めから湧き水……もとい、日本酒の話をしようと思う。

 日本酒といえば何故なぜか強い酒の一角として語られることがあり、純朴じゅんぼく呑兵衛のんべえとしては困惑するばかりだ。

 確かに醸造酒としては極めて高いアルコール度数を誇り、中には二十度を超えるものもある。

 ただ、原酒に加水をして味の調整を行っているため、まだ優しいと思っているのだが、どうやらこの感覚はおかしいらしい。

 水で薄めるといえば、昭和初期の「金魚酒」の話もあってあまり良い印象を持たない呑兵衛もいらっしゃるかもしれないが、バーで飲む水割りのように職人が割ったものは格別なのだろう。


 かく言う私も、氷を浮かべて飲む日本酒に対して忌避きひ感があり、そのままでいただいていた。

 これを動画作成の際に試みで氷を浮かべてみたところ、確かに味わいが変化して面白く、素直に酒蔵へ頭を下げたものだ。

 今ではすっかり日本酒もロックを楽しむ――ようになっていれば救いがあるのだが、呑兵衛とは度数の高さにかれるいやしさもあり、いまだにそのままる頻度も高い。


 そういえば、という言葉も扱いに困る言葉である。

 呑兵衛諸氏におかれては、原義である「常温の日本酒」という意味で使われていると思うが、「冷やした酒」という意味で捉えている方も多い。

 呑み助として駆け出しの頃は、こうした言い回しに苛立ちも覚えたものだが、今ではまあそんなものかと何かの風物詩のように見ている。

 言葉の移り変わりなど昔からのことで、私は元の意味を抱えて取り残されていくつもりだが、本流がそちらに移るというのであれば致し方ない。

 近頃は飲み屋でも、冷やした酒、冷やさぬ酒と言い分けるようにしており、余計な混乱を招くことのないようにしている。

 だからこそ、あるバーのマスターから「冷やは常温の酒でしょ」と当たり前のように言われた時は何とも嬉しかった。

 ビジネスビルを向かいに臨む店内でかん酒をりながら広がる温かさは、窓外そうがいで震える樹木のような行く末を見据える呑兵衛には良く沁みる。


 燗の付け方についても、外に出ると悩まされることが多い。

 しっかりした店であればその酒や気候などに応じた燗の付け方をしてくださるのだが、燗といえばやたらめったらと熱燗ないしはとびきり燗にする店も中にはある。

 熱燗を求める時も多々あるのだが、少しぬるめにつけて欲しいと思うことの方がやや多く、それを絶妙につけて下さる店には心酔してしまう。

 いや、酒で既に酔っているわけだが。


 こうした背景には燗付け機や電子レンジの隆盛があるのではないかと思うが、こればかりは私もお世話になりっぱなしであるため、あまり文句を垂れることもできない。

 鍋に湯を張ってちろりでというのは理想であるが、仕事の後にそのような気力が沸くはずもなく、チンという音に安堵あんどするのが現実だ。

 だからこそ、時間をかけて燗をつけて下さる店のなんと有難いことか。

 思い返してみると、直近でちろり燗をやったのはいただいた干物を炭焼きした時であり、余った炭火を使ってやろうと思ったのがきっかけである。

 炭火に鍋をかけるとすすけてしまうのだが、そのようなことを構わず鍋が沸き立たぬぐらいの塩梅あんばいでつけ続けた。

 酒は北海道の本醸造、その地で親しまれる「きたかつ」という由緒正しき普通酒である。

 燗を付けた後に徳利とっくりへと移し、ちびりちびりとりながら、頃合いを見てまた新たに付け始める。

 合間に星でも眺めながら、肌寒さを炭火で和らげつつ、真ホッケの干物のあぶりをつつく。

 どれくらいの間、そのようにしていたのかは分からぬが、確かな喜びがそこにはくべられ続けていた。

 呑兵衛としての全ては、あの夜に凝縮されていたのかもしれない。


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