第6話 酒池肉林は遥か彼方

 昨日、いいかぶが出回っていたのでこれを買い求め、りつけた鴨と共にそばつゆで煮込んだ。

 煮物の根菜といえば大根という千両役者がいるが、蕪はそれよりも優しく、穏やかに肉の味に寄り添おうとする。

 これを肴に純米酒を熱くかん付けてれば、これだけで呑兵衛のんべえはたちまちやられてしまう。

 ただ、近くの業務用スーパーが改装工事中であったためデパートで鴨を求めてしまい、それなりに高く大きなものとなった。

 全てを煮ても良かったのだが、一部は今宵、ねぎくずですき焼きにしようと思っている。

 酒後に溶いた卵を麦飯にかけていただけば、週の初めから豪華すぎるぜんとなろう。


 酒に合わせようとするとき、どうしても肉より魚介の方が先に来てしまいがちであるが、魚については後の話に譲ろう。

 そも「さかな」という言葉自体が「酒菜さかな」としてうおの供されたことの多さに由来する。

 にくの方はといえば、「ももんじい」として仏教的世界観から表立っていただくものではなかった。

 もちろん、日本の何ともおおらかな仏教観にあっては、薬食いとして肉も食されていたようであるが、一般に流通させるほどの肉があったかといえば疑問が残る。

 稲作を至上命題としてお上から教化されていた日本の民百姓は畜産などで土地を訳にもいかず、文化としては育たなかったという背景もあろう。

 これが西洋となると畜産は欠かせぬものであったため、肉食もまた自然なものであった。


 長崎の郷土料理を今年の初めにこしらえた時、「浦上そぼろ」というものも作ったが、この説明が面白かった。

 宣教師に肉食文化を教えられた長崎の民は、試みに作ってはみたものの、慎ましくさから肉をあまり使わなかったという。

 しかし、実際には肉食の文化がなかったため手に入る量も少なかったのではなかろうか。


 それからわずか四百年ほどでここまで肉食が広がったというのは驚異的なことと言えるが、それに伴って肴としての地位も高まってきた。

 ビールと唐揚げなどはその典型であるが、この組み合わせの完成度は極めて高く、呑兵衛としてはこれがあれば十分に幸せである。

 文明開化から広まった肉食文化の伝道師である牛鍋は、今ではすき焼きに姿を変えて日本酒の友となっている。

 すき焼きについては肉の食い方として様々な議論があるようだが、酒を前にしてそのような難しいことを論じる気にもなれず、ただただその取り合わせを楽しむばかりだ。

 今では肉質が良くなっていることもあってか、肉の臭みも少ないため冷やした吟醸酒で合わせるのも良い。

 それでも私は純米酒や普通酒を合わせてしたたかにることが多い。


 以前、牛鍋の始まりに味噌みそ仕立てがあったという話を聞き、それを試みたことがある。

 日本の肉食文化の創成期において、牛肉の質は今よりも固く、臭みも強いものであったという。

 今の肥育された和牛でそれをやるのはかなわず、脂身の少ない輸入のステーキ肉を選んでの再現となった。

 赤味噌を酒や醤油で練り上げ、それを白ねぎで作った土手に盛り、それを溶かしながら肉を加えて煮込んでいく。

 燗酒がいやが応もなくすすみ、シメの飯もたまらない。

 おそらく牛の持つ臭みをぎょすために生み出された調理法なのだろうが、このような先人の知恵の先に豊かな食膳があることを偲べば、酒の味も格別のものとなる。

 いや、それは飲み過ぎた呑兵衛の言い訳か。


 ただ、普段の晩酌でこのような贅沢ぜいたくをすることは適わず、もっぱらとりや豚が登場する。

 豚は煮て良し、焼いて良し、揚げてよしの万能選手であるが、何といってもかつ煮とじに止めをさす。

 冷めたとんかつを煮込んで玉子でじた蕎麦屋には敬意を表するが、これを丼にせずそのまま摘まむというのは何ともごうの深い話だ。

 割引された総菜を買い求め、薄く切った玉葱と共に煮込んで仕立てれば、身近な贅沢としては最高である。

 何もかけずそのままやっても良し、私は少し七味を散らして香りを愉しむようにしている。

 かような楽しみが気軽に味わえるようになったことに、少し頭を垂れながらうつらうつらといつも私の宵は過ぎていくのだ。

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