第4話 トレイン・ドランカー

 疫病の渦に世界が陥ってからは控えているものの、列車で旅をするといえば酒が欠かせぬものであり、酒を旨くするために旅へ出ると言っても過言ではなかった。

 ここで良識ある大人は、宿や居酒屋まで我慢するのであろうが、良識など野良犬に食わせてやった呑兵衛は場所も時間もお構いなしとなる。

 繁華街の脇に腰を下ろして酒をやるなどということはしないが、列車の中であればくつろげるもので、時々刻々と変化していく車窓に目を遣りながらいただく酒はたまらない。

 流石にこれを山手線や大阪環状線の中でやろうとは思えぬが、地方を行くときにはこれほどの楽しみがあるだろうか。


 新幹線が南は鹿児島から北は北海道までを繋ぐようになったが、学生時分から中で酒をるのは定番となった。

 転職をしようと熊本まで来た帰りには、駅舎でワンカップと乾き物を買っていただいたが、僅か一時間半ほどの安らぎが何とも心地よかったのを今でも思い出す。

 何より新幹線のよいところはその安定性であり、およその時間を測って飲めば酒後のうたた寝まで満喫できるところにある。

 指定席により座る場所が確保され、定時性も鈍行や特急に比べてより高い。

 加えて揺れの少なさは酒をゆっくりとるのにこぼすという恐れを取り除いてくれる。


 このような時は駅弁でも広げながら、ワンカップかビールでもやるに限る。

 乗り込んでしばらく、車窓や読書を楽しんだ後、おもむろに栓を開け、弁当のふたを開く。

 冷ややかながらもつややかに並んだ品々を拝んで一杯り、すかさずその主役を口に運んで本格的な宴に入る。

 したたかにったところで微睡まどろめば、夢かうつつか分からぬ気分となり、いよいよ旅の気分は最高潮に達することだろう。


 これが理想なのではあるが、最後に新幹線で飲んだのは東京からの帰りであり、飛行機の時間を間違えて乗れず、失意の底にあった。

 余計な出費を、と旅の終わりに嘆いてばかりいたのだが、車内販売で柿の葉寿司とエビスビールを買い求めてからはその気分も一転する。

 恵比須エビス様の豊かな在り方のような旨味が程よく酢の利いた寿司に交わり、思わず相好が崩れていく。

 熊本に戻る頃には、ひと眠りしたこともあって幸せという言葉をしきりに口にしていた。

 呑兵衛は、酒と肴があれば挫けるということはない。


 一方、特急車両でる際には近場の九州を巡ることが多いためか、酒の自由度がぐっと増す。

 新幹線を一張羅でも着ていくようなハレの場とするならば、それよりも特急が日常に近いせいだろう。

 とはいえ、特別な存在であることに変わりはなく、結局は折衷的な扱いになりやすい。

 乾き物とビールで初めてから、ハイボールと鳥栖駅は中央軒の焼売しゃおまいるというのが定番である。

 「駅弁」として売られながら、その中にはグリーンピースがいじらしく乗った焼売が十五粒並ぶのみ。

 元はかしわ飯を好んでいたのだが、この「飲め」とでも言い切るような小気味良さに惹かれ、今では九州の列車の旅を始めるにはこれと決めている。

 芥子からしは中盤戦まで取っておくのが、お勧めだ。

 ただ、ほどではないにせよ、匂いを気にされるのであれば避けるに超したことはない。

 呑兵衛が気にしては負けだ。


 これよりさらに列車の等級が下がると、普通や快速などの鈍行列車となるが、これこそ呑兵衛が最も愛するべき「飲みの」車両である。

 流石にロングシートではいただけないが、クロスシートやボックスシートに腰掛けて共に進んでゆく景色を楽しみながら、ウィスキーと乾き物を頬張ほおばるのは至高の贅沢だ。

 それこそ何のあてもなく、ただ山間を往復するだけで何気ない日常が輝かしい思い出に変わる。

 昔は、それこそブルートレインなどが華やかなりし頃は、よく見られた光景ではなかろうか。

 今では時間に追われ、社会を負わされ、まるで無菌室のような在り方を求められる。

 そのような気忙きぜわしさに抗うようにたのしむ呑兵衛というのは、掃いて捨てられる運命にあるのかもしれない。


 とはいえ、それで辞められるのであれば苦労はせぬ。

 化石のように風化し、浸食されようとも続けていくことだろう。

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