第27話 ロクデナシ、炸裂


 リュティス軍、軍医のラブレイは、ゆうべは徹夜だった。


 エスターシュタットとの戦いで、怪我人が大勢出た。戦は勝利したそうだが、ラブレイ医師の戦いは、夜が明けても続いていた。


 かつては、軍医は、戦場が職場だったという。今では、大型馬車で病人を駐屯地の診療所まで運び、診療することができる。

 少しずつ、世の中は進歩しているのだ。

 ラブレイはそう思う。



 最後の患者に包帯を巻き終わった時だった。


「ラブレイ先生」


 呼ぶ声がする。

 振り返ると、ゴドヴィ河上流にいるはずの、ロンウィ・ヴォルムスが立っていた。


「おお、ロンウィ将軍!」


 ラブレイはかつて、ロンウィと同じ軍にいたことがある。彼がまだ、初々しい青年将校だったころだ。

 ほんの数年前のはずなのに、なんだかひどく遠い昔のような気がする。


「久しぶりだね。北軍には何の用で? まさか、昨日の戦闘に参加していたのかい?」


 ラブレイが尋ねると、ロンウィは頷いた。


 道理で怪我人が少なかったわけだと、ラブレイは納得した。

 ロンウィ・ヴォルムスは、麾下の軍隊には、決して、無茶な戦いをさせない。

 自分自身は、無謀の極みの突撃を仕掛けるのだが。

 前衛での先行突撃の場合、彼は限られたごく少人数の精鋭しか率いない。逃げ切れる能力のある者しか、連れて行かない。


「お疲れだったね。怪我がなくて何よりだ。おや? 少し足を引きずっているようだが」

「大したことじゃない。馬から飛び降りた時に、少し捻っただけだ」

「馬から飛び降りた?」

「馬が撃たれて」


「馬が撃たれた?」

医師は素っ頓狂な声を上げた。

「それで君は? おい、足を見せ給え」


 以前彼の馬が撃たれた時、騎乗していた彼は、くるぶしを射抜かれた。また、両頬を銃弾が貫通した時は、ラブレイが止めるのも聞かず、スカーフを顔に巻いただけで、一晩中、指揮を執り続けた。声の出せない彼は、ジェスチャーで指令を出していた。


 この男は、とにかく、己を顧みない。自分のことを、機械か何かだと思っているのではなかろうか。


 動こうとしない彼を、ラブレイ医師は、無理やり椅子に座らせようとした。その手を、ロンウィが払いのけた。


「先生に診てもらいたいのは、俺じゃない」

「は? 靴のその染みは、血じゃないか。早くここに座って、靴を脱ぎなさい」

「だから、俺じゃないんだ」


 ロンウィはひどく、苛立たし気だ。

 だが、医師として、ラブレイも負けるわけにはいかない。


「まず、君だ。君は、将軍だ。帝国の司令官なんだ。君の体は、君一人の物じゃない」

「人を、妊婦のように言うのは止めてくれ。だから言ったろ? 先生に診てほしいひとがいる」


 はっきりと苛立ちの色を見せ、ロンウィは言い張った。

 温和な彼には珍しいことだった。

 医師は驚いた。

 こんなにも感情を露わにするのを見るのは、彼を知ってから、初めてのことだ。


「わかった。患者はどこだ?」


 動けない兵士が、診療所に来ることができず、どこかで倒れているのだろうか。

 普段から血色の悪いロンウィの顔に、焦りの色が滲んでいる。


「一緒に来てくれ。頼む」





 連れていかれたロンウィ・ヴォルムスにあてがわれたという寝室は、ひどく乱れていた。

 あちこちにシーツだの枕だのが散らばり、引き千切られた衣類と思しき布切れが、部屋中に散乱している。


 濃厚な匂いは、覚えのあるものだった。入室してすぐ、ラブレイは、窓を開けさせた。


 ゆうべはお楽しみだったようだな、と、医師は思った。それも、随分、激しかったようだ。

 医師自身は、怪我人の世話で一晩中立ち働いていたというのに!


 「……で?」

ラブレイは尋ねた。


「彼だ」

すかさずロンウィが、ベッドを指さす。


 そこには、黄緑色の小さなカエルが鎮座ましましていた。きょとんとした顔をしている。


「カエルがどうかしたか?」

「カエルじゃない。彼は、獣人だ」

「獣人だって? ロンウィ、君、まさか……」


 獣人の幼形に手を出したというのか。

 許しがたい暴挙だと、ラブレイ医師は思った。人間の幼児に手を出したも同じだ。いや、体が小さい分、人間の幼児よりもまだ、質が悪い。


「違う。違うんだ、ラブレイ先生。誓って言うが、ゆうべ、彼は、人型だった。あそこだって、ちゃんと上向いていた。……そのう、少しばかり小ぶりだったけど」


 僅かに、カエルが嫌な顔をしたような気がした。ラブレイは咳払いをした。


「君のに比べれば、たいていのペニスは慎ましやかなものだ」


 脚を怪我した時、彼のペニスを見たことがある。血だらけのズボンを剥ぎ取った助手が、腰を抜かすほど、驚いていた。

 身も世もあらぬ悲痛な声で、ロンウィが叫んだ。


「彼は発情して、人型になったんだ! ゆうべ!」

「なるどね」


 だいたいわかったと、ラブレイは思った。


 「時の獣人」は、獣(両生類を含む)の姿で生まれてくる。

 そして、発情を経て、人型になる。


 ここで打ち萎れているロンウィは、発情して、人型になったばかりの獣人の少年に襲い掛かったに違いない。いきなり、彼のあのサイズをねじ込まれたら……。


「気の毒に」


「いや、誤解するなよ、先生。完全な合意の上での行為だった。彼は、俺に好意を持ってくれて、俺のシャツの匂いで発情したんだ」


 もぞもぞとカエルが後退る。毛布の山にぶつかり、途方に暮れている。


 ちらりとそれを見て、すぐにロンウィは目を伏せた。疚しさを感じている証拠だ。ぼそぼそと弁解を続ける。


「それに、俺は、彼に突っ込んでなんかいない。それは、先生にもわかるだろ?」

「さあね。幸い私は、その場にいなかったからね」

「だって、先生は、俺の事情を知っているじゃないか!」


 焦れた風に、ロンウィが叫んだ。

 確かに、ラブレイは、ロンウィ将軍の「事情」を知っていた。

 同じ軍にいた頃は、彼が将軍の主治医だったわけだし。


「神かけて、俺は、彼に突っ込まなかった」


 かわいそうなくらい一生懸命、ロンウィは、力説している。

 さすがに、彼が哀れになった。


「わかった。信じよう。で、この頃どうだい。例の、”言ってはいけないあの病気”は?」


 カエルが小首を傾げたように、ラブレイは思った。

 ロンウィの顔が真剣になる。


「そこだよ、先生。俺のは、まだ、人にうつるんだろうか」

「それは、前にも言ったろ。今の医術では、完治はあり得ない。感染は、いつだって起こり得る」

「相手がカエルでも?」

「獣人である場合は、それはない。彼らの免疫形態は、ヒトとは違うからな」

「人の姿になったばかりでは?」

「大丈夫だ。そうそうすぐに免疫が書き換えられるわけじゃない。だが、君は、彼に入れてないんだろ? だったら無問題じゃないか」

「何度も、……その、汚してしまったから。つまり、引っ掛けて」


「ああ、スマタね」

医師らしく、あっさりとラブレイは口にした。

「人であっても、感染しない。いれてなければ」


「よかった……」

 ロンウィは、偉大なるリュティスの将軍は、くたくたと座り込んでしまった。

 ぐずぐずと、言い訳を始めた。

「全てが終わった後、俺は、彼を抱いたまま、横になった。グルノイユは、俺の腕の中でじっとしていた。天使かと思った。背中の肩甲骨の辺りに、俺は、本気で羽を探した」


「あったのかね」

「なかった」


 そりゃそうだろうと、医師は思った。鳥の獣人ではないのだから。


「疲れ切っていた俺は、そのまま眠ってしまった。そして、朝、目が覚めたら、彼は、カエルの姿に戻っていたんだ!」

「君、何度も、って言ったな? さっき」


「抑えられなかったんだ!」

悲鳴のように、ロンゥイは叫んだ。

「だって、俺は、戦場から帰ってきたばかりで、それなのに彼は、俺を裸で出迎えて……」


「急に人型になって、服がなかっただけだろ。これは、退行だな。何も知らなかったのに、いきなり君にいろいろされて、驚いて、幼形に戻っちゃったんだ。或いは、君の欲望を受け止めきれず、体力の限界に達したか」


「ううう、」

ロンウィはうなった。

「俺は、なんてことを……」


「相手の状態を考え、自分の欲望を抑えるべきだったね」

「先生。彼は、元に戻るだろうか」

「元って、今の姿が元の姿だろ?」


 やっかみもあり、ラブレイは、揶揄した。これくらいはしてやったほうがいい。

 ロンウィは空を仰いだ。


「だって、仕方ないだろ。本当に、天使だった。羽が生えていないのが不思議なくらいだった。白い肌、きゃしゃな手足、それから胸のふたつの、かわいい薔薇!」

「はいはい」

「先生。彼は、もう一度、人の姿に戻ってくれるだろうか?」


大真面目で尋ねる。


「知らないよ。私は、獣人の専門医ではないのでね」

「そんな。俺はいったい、どうしたらいい?」


「せいぜい、御機嫌をとることだね」

冷たく、ラブレイは突き放した。

「人型になったばかりなのに、欲望の限りをぶつけられて、その子も可哀そうに」


「すまなかった、グルノイユ、本当にごめん」

 今やロンウィは、カエルのいるベッドに背を向けていた。うつむいたまま、念仏のように唱える。

「本当にごめん。許して欲しい……」


 あまりに不気味だった。

 少し慰めてやる必要を、医師は感じた。


「グルノイユっていうんだな? 彼は、カエルのままでいた方がいいんじゃないか? だって、人型になったって、君はだろ。”言ってはいけないあの病気”を、天使に感染させるわけにはいかないんだから」


 だが、これは、逆効果だったようだ。


「ああああああああ」


 絞り出すように呻き、ロンウィは、座り込んでしまった。

 医師は慌てた。


「だって、以前君は、もう、一生、誰ともやる気はない、って言ったじゃないか。誰かにフられて」

「フられてない! 多分。まだ。きっと」


 大声で、彼は言い、だんだん小声になって消えた。


「ふうん。なんだかよくわからないが、その時君は、最愛の人だ、って言ってたぞ? 尊敬する愛しい人、って。今後、その人以外とは絶対にやらない、と、間違いなく言った。で、その舌の根も乾かないうちに、病気を拾ってきたもんな、君って男は!」

「あれは、”うっかり病”だ」

「いいや、”不名誉な病”だ。いいか。忘れてはいけない。病毒が臓器や脳に回れば、恐ろしいことになる。そして、治療法はない」

「わかってる」


 本当にわかってるのか? 医師は、ため息を吐いた。


「相手構わずやるから、そうなるんだ。特に、軍についてくる女の子は危ないと、警告してやったじゃないか。彼女らは、不特定多数の兵士達とやりまくっている。君は、将軍だ。安全な女を囲えと、あれほど言ったのに」

「同じことを、クレジュールにも言われた」

「クレジュール将軍に? まあ、奥方がいながら浮気するのも、どうかと思うが……」


 リュティス軍においては、珍しく道徳観堅固な医師は、言葉を濁した。

 そんな彼を、ロンウィが、真っ直ぐに見返した。


「俺は、特別扱いは嫌いなんだ。将校だから、元貴族だからって、格別、偉いわけじゃない」

「だから、女も、兵士らと共有したわけか。ご丁寧に、病気まで共有することはなかろうに」

「病気がわかってからは、、ベッドに入れてない」

「誰も?」


 一瞬、医師は虚ろな目をした。

 女も、呼んでない、という意味か。いったい、この将軍の性生活はどうなっているんだ?


「殊勝なことだ。この病気は、性行為で感染するからな。君は自業自得として、軍全体に蔓延させるのは避けなければならない」


こんこんと諭され、ロンウィの顔が歪んだ。


「俺は、我慢している! ゆうべだって、死ぬほどやりたかったんだ。グルノイユと、ひとつになりたかった。あんなにけなげでかわいかったのに……辛かった。ラブレイ、君に告白する。3回、いや、4回、彼に入れかけた。だが、全力で自制した」


「…………」

「…………」


沈黙が続く。仕方なく、ラブレイは尋ねた。


「……褒めてほしいのか?」

「うん」


 あきれ返った医師は、乱れたベッドに目をやった。

 首を傾げる。


「あれ? カエル君の姿が見えないようだけど」

「あっ!」


 文字通り、ロンウィが飛び上がった。少なくとも彼の体は、30センチは、宙に浮いた。

 素早く、入り口のドアに目を走らせる。

 ドアは、大きく開いていた。









 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

【後書き】


”言ってはいけないあの病気”は、架空の病です








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