第26話 英雄たちの夜


 戦勝の知らせは、夕刻になって齎された。

 外ががやがやと騒がしくなり、やがて、勝利のラッパが鳴った。


 ……ロンウィ将軍は?


 耳を澄ますが、彼の名を口にする声は聞こえない。

 彼は?

 彼は、生きているのか? 無事なのか!?

 なぜ、誰も教えてくれないんだ!?

 不安ではらわたが捩れそうだ。


 歓声が聞こえた。

 戦場に出ていた兵士たちの一陣が、帰還したのだ。

 陽気な音楽が聞こえる。

 はしゃぐ声。

 賑やかなざわめき。

 今朝の緊張とは、大違いだ。


 ……ロンウィ将軍は?


 彼は、将校だ。

 責任がある。戦後の処理で忙しいんだ。

 だから……。


 ……必ず、帰ってくるよね?

 だって、そう言ったじゃん……。



 ロンウィ将軍のことが、心配でたまらない。それなのに、いつの間にやら、眠ってしまったようだ。

 徹夜が続いていた。

 味方勝利の報を聞き、一瞬、気が緩み、気を失うように眠りに落ちた。


 短い時間だったと思う。

 ……寒い。

 肌を刺す寒さに俺は目覚めた。今まで経験したことのない寒さに震える。

 ……ここは寒いな。


 起き上がるのに、少し、時間がかかった。体が自由に動かない。不自由な姿勢で眠ってしまったせいだろう。

 体の下に、将軍のシャツが、くしゃくしゃに丸まって落ちていた。

 ……あれ?

 ……このシャツ、なんか、縮んでない?


 泥だらけのシャツは、ひどく小さくなっていた。寒かったのも無理もない。これでは、全身を覆うことなど、とてもできない。

 ……大変だ!

 二枚しかない将軍のシャツを、台無しにしてしまった……。

 慌てて立ち上がり、足元のシャツを拾い上げた。


 ……?


 俺、2本足で立ってないか?

 そりゃ、たまには後ろ足で跳ねることもあるけど、こんな風に、よろよろと、2本の足だけで歩くなんて。

 足の裏がひどく柔らかい。それに、指の踏ん張りが効かない。水を掻くにも不自由しそうな頼りなさだ。


 手にした将軍のシャツから、乾いた匂いが立ち上ってくる。

 将軍の匂いだ。懐かしい、優しい匂い。

 この匂いに包まれていたから、眠ることができたんだと、俺は思った。

 全身の力が抜け、泣きたくなった。


 将軍に会いたい。

 早く帰ってきてほしい。

 今すぐ、ここに来てほしい。

 そして俺を抱きしめ、……。


 ……あれ?

 ……あれれ?


 そう。

 目が覚めた時から、下半身の中心が、なんだか……。





 駐屯地に帰り着くと、待ちかねたように、兵士らは、女の子たちの元へ散っていった。


 行軍には、大勢の娘たちがついてくる。

 彼女らは兵士らに、密造酒を売ったり、洗濯物を引き受けたり、手紙のあて名を書いてくれたりする。


 それだけじゃない。

 戦場に出ると、妙に血がたぎる。人を殺した興奮が、どうしても収まらない。あるいは、死に直面した恐怖が蘇り、眠れない夜もある。

 そんな時、女の子たちは、とても優しい。

 彼女らは、兵士たちを自分の寝床に入れて、一晩中、慰めてくれる……。


 歩兵連隊長のオシャマ―ルの妻は、戦場まで夫に同伴してきていた。

 駐屯地に帰り着くなり、彼は、拉致されるように、妻に連れ去られた。



 「ロンウィ。女の当てはあるのか?」


 二人きりになると、クレジュール将軍は尋ねた。

 女性にもてるロンウィのことだから、顔見知りの一人や二人、ここのキャンプにもいるだろうと、彼は思った。


「ああ、まあ……」

煮え切らない声が応じる。クレジュールは肩を竦めた。

「お前もそろそろ、誰とでも、っての、止めろよ。危険だぞ」


 酒やパンを兵士達と分け合う彼は、女まで彼らと分け合っているので、有名だった。


 だが、曲がりなりにも、司令官だ。

 結婚がめんどうなら、決まった女を囲うべきだと、クレジュールは思う。


 クレジュール自身は、アウラシア人の愛人を連れてきていた。妻は、首都のシテに残している。


 年若い同僚ロンウィ将軍の、戦場での働きに、クレジュールは大いに満足していた。

 彼は、自分の部隊の前衛が、ここまで勇敢だとは、今の今まで知らなかった。もう、全員に勲章を上げたいくらいだ。

 それもこれも、先陣を切って鼓舞する司令官がいたからで……。


「ラウラには、妹がいるんだ」

 愛人を分け合うわけにはいかないが、彼女の妹なら、潔く献上しようと、クレジュールは思った。

「ラウラによく似た、ポン、キュッ、ポンの、べっぴんだぜ?」

 手で、体のくびれを形作って見せた。顔がだらしなく、笑み崩れている。


「いや、遠慮しとくよ」

だが、返ってきたのは気乗りのない返事だった。


「そんなこと言わないで、彼女に添い寝してもらえよ。明日は、昼まで寝ててもかまわないから」

「せっかくだけど、もう何日も眠ってないんだ。今夜はもう寝るよ。女は、またそのうち、頼む」


 彼は、本当に疲れているようだった。目の下に隈ができている。


「ああ? じゃ、そのうちに」

 あっさりとクレジュールは、引き下がった。

 彼は愛人の元へ急いだ。





 血が収まらないのは、ロンウィも同じだった。

 彼は、何人も殺した。

 剣を握り、何人も。

 刃こぼれし、人の脂で柄がぬめると、剣を捨てた。


 死んだ馬の陰に伏せ、今度は、銃を使った。

 銃弾を発射するたび、敵が倒れた。

 彼は無心で銃を撃ち、薬莢が空になると、弾をこめ、また……。


 いったい何人殺したのだろう。

 両手両足の指の数では、とても足りない。


 ……流れる、血。

 ……死んでいく兵士の、うつろな目。


 それは、明日の彼自身の姿かもしれなかった。

 恐ろしいことだった。

 それなのに彼は、勃っていた。

 りたい。

 相手は誰だっていい。

 愛とか恋とか尊敬とか。そういう感情ではない。

 純粋に劣情だった。迷う必要もないほどの、欲。

 戦場で死んでいった兵士たちの呪いかもしれなかった。


 誰だっていいのだ、本当に。らしてくれさえすれば。

 やりたくてやりたくて、たまらない。大声で叫んで飛び回りたいくらいだ。体の中心が熱く疼く。喉がからからだ。


 だが彼は、女の子を調達するわけにはいかなかった。

 それには理由があるのだが……。


 グルノイユに付き合ってもらおうと思った。

 カエルの彼は、いつもロンウィの傍らにいた。心配そうに彼をみつめ、こっそり北軍の駐屯地までついてきた。


 こんな人(カエルだが)は、初めてだった。


 母には、とうの昔に、縁を切られた。親族も、彼を軽蔑している。

 確かに、いろんな女の子達と、夜を共にした。だが、彼についてくる子はいなかった。彼の身の周りから、いつの間にか、彼女達は消えていた。


 ……どのみち今の俺は、女の子を抱くわけにはいかんのだ。


 グルノイユの冷たい体に触れたいと思った。カエルの体は、奇妙に彼を冷静にする。


 この近くに、池がある。

 グルノイユと一緒に泳ぎたい。

 冷たい水を頭から浴びて、池に飛び込もう。いつものように、傍らを彼が泳いでくれさえしたら、それでいい。

 ひりつくような熱も、少しは収まる気がする。


 ロンウィは、部屋のドアを開けた。留守番兵に頼んだシャツは、グルノイユを包んだまま、この部屋に運ばれたはずだ。

 高い窓から、月の光が差し込んでいた。

 銀色の光は、部屋の一点を、過たず照らし出していた。


 白くほっそりとした。

 まだ成長しきらない。

 全裸だった。

 頼りなげに震えている。

 顔を上げた。

 真っ直ぐにロンウィを見つめる。


「ロンウィ将軍?」


「誰だ?」

思わず身構える。味方の駐屯地とあって、彼は、丸腰だった。


「僕だよ。忘れたの? グルノイユだよ」

「グルノイユ……お前」

「よかった。帰ってきた。俺の将軍……」


 少年の目から、涙があふれだす。

 ロンウィの胸が高鳴った。

 ……「俺の将軍」。





 低い唸り声が聞こえた。

 あっという間に、俺は、抱きすくめられた。


「なに? ちょっと、将軍!」

驚いて、俺は叫んだ。


「ああ、グルノイユ。お前はこんなに愛らしい声だったのか。まるで、銀の鈴を振るようじゃないか。それに、なんてなめらかできれいな肌なんだ。吸いついてくる」


 すりすりと、頬ずりしてくる。薄いと思っていた髭の毛は、意外と太かった。人の肌に変わったばかりの頬に、ちくちくと痛い。


 不意に、彼は、体を離した。

 俺の肩を両手で掴んだまま、軽く背後にのけぞる。

 視線をおろし、しげしげと見つめた。

 くすりと笑う。


「ふ、かわいい」


 羞恥で俺は、真っ赤になった。

 俺のそこは、さっきからずっと、立ち上がったままなのだ。


「発情したんだな、グルノイユ?」


 優しい声だった。

 持っていたシャツで、前を隠そうとした。

 強い手が、それを押しとどめる。


「そのままで。どこまでも、お前はとてもきれいだ」


 俺の手から取り上げようとして、彼はそれが、自分のシャツであることに気がついたようだ。なんともいえない、複雑な顔になった。


「あ、あ、あなたのせいだ、ロンウィ将軍」

渡さじと、強く握りしめ、俺は叫んだ。

「あなたのシャツにずっとくるまれていたから……。あなたの匂いがして……だから!」


言い終わる前に、息が止まるほど強く、抱きすくめられた。


「そういうことを言ったらだめだ。グルノイユ。ああ、グルノイユ!」


 このまま抱かれていたかった。

 だって、そうすれば、体を見られることもないし?

 恥ずかしくて真っ赤になった顔に気づかれることもない。


 将軍に、自分の気持ちが伝わってしまったことに、俺は動揺していた。まだ、話すつもりはなかった。


 だって、彼はとても人気がある。

 女の子たちにも。

 兵士達にも。

 こんな人と、両想いになれるわけがない。


 ぎゅう、ぎゅう、と、将軍は、俺を抱きしめ、締め付ける。息詰まるような強さの中で、俺は、甘く、乾いた香りに包まれていた。

 本物の彼の香りは、うっとりするようだった。


 全身の力が抜ける。


 全てはどうでもよくなっていった。

 彼の胸に顔を押し付け、そうすることが許されたことに感動する。柔らかく後頭部を撫でる、大きな手のひらを感じた。


 かちゃかちゃと耳障りな音がした。

 しぶしぶ彼の胸から顔を離し、ぎょっとした。


「ちょ、将軍、何を!」

 ロンウィ将軍が、ズボンを脱いでいる!


「大丈夫だ」

 ベルトを外し、皺だらけのズボンを、彼は脱ぎ始めたところだった。


「大丈夫? 何が?」

「大丈夫」

「いや、だから、将軍、あのね、」

「気にするな」


 俺の肩を両手で握り締めたまま、脚にまとわりつくズボンを、蹴り飛ばそうとしている。


「あ、えと、俺、服を着なくちゃ」


 ようやく、自分が裸であることに気がついた。

 いや、最初からわかっていたのだが、なにしろ、カエルには服を着る習慣がない。

 それがどんなに危険なことか、今の将軍を見て、初めて悟った。


「そのままでいい」


 彼の目は、完全に座っている。イっちゃってる感じ。

 これは、まずいのでは……。


 大きく足を蹴り、とうとう、ズボンを脱ぎ捨てた。

 思わず俺は、目を瞠った。

 だって彼は、下穿きまで一緒に脱いでしまったのだ。


「お、大きい……」

「嬉しいことを言うな」

「前に河で見た時は、こんなんじゃなかった」

「グルノイユ。それは天然か?」


 だめだ。

 何を言っても、喜ばせるだけだ。

 ……。

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