第2話 戦争捕虜


 「ダメだ。わが国にはもう、勝ち目はない。頼みの綱の同盟国の援軍は、間に合わない!」

 涙にぬれた目で、父は俺を見た。

「バーバリアン公国は、降伏する」


「父上……」

 俺は、絶句した。


 俺は、バーバリアン公爵の長男だ。我が国は、あんまり弱小なので、公子といえど、生活は臣下と変わらない。ふだんは、自分の身分なんて、考えたこともない。

 こんな俺だが、バーバリアンの公子だ。領民を預かる責任ある立場であることに変わりはない。

 父が唇を噛んだ。


「敵国軍司令官の、ロンウィ・ヴォルムス将軍は、人質を要求している。わが軍は、よく戦った。これ以上の犠牲は出せない」

「はい、父上」


 ロンウィ・ヴォルムスは、隣の大国、リュティス帝国の将軍だ。国境を流れるゴドウィ河を渡って、バーバリアン公爵領へ攻めてきた。


「悪天候の中での、ゴドヴィ河での、果敢なる戦闘! 戦争史に残る名勝負だった。だが、ああ、母なるゴドヴィ河は、我らを護ってはくれなかった!」

 実際は、遠くにロンウィ将軍の姿を見ただけで、兵士達は即座に逃げ出し、バーバリアン軍は、潰走したのだが。



「バーバリアン公として、わしは、わが民を守らねばならぬ。次期公爵としてグル丿イユ、お前にも、その責務がある」

「はい」


 辺境伯領の長男だ。甘やかされたおぼっちゃまではないつもりだ。いざという時の覚悟は、俺にだって出来ている。

 父が、かっと目を見開いた。


「わが民の為だ。グル丿イユ。リュティス軍の駐屯地へ行け」


 自分は、捕虜になるのだと悟った。


 捕虜の生活は過酷だと聞く。食べる物は粗末で、居室には、長くは居られないほど、害虫や病気がはびこっているという。

 だが、わが民の為だ。俺一人が犠牲になることで、祖国が、リュティスの成り上がり皇帝、憎いナタナエレ・フォンツェルの魔手から救われるのなら、安いものだと思った。


「承知しました、父上」

「グルノイユ……」

俺の名を呼ぶ声が震えた。

「大丈夫です、父上」

俺は微笑んで見せた。明るく前向きに見えるように、痛々しく見えないように、力いっぱい、努力した。

「絶対、生き残ってみせます。そのうちに、必ずや、同盟国の援軍が来るはずですから!」


「相変わらずの他力本願なやつだなあ。同盟国が助けにくるものか!」

「えっ?」


 西の大国リュティスは、少し前まで、善良な国王、ブルコンデ16世の治める王国だった。

 そこへ、クーデターが起きた。軍部主導の軍事クーデターだ。身の危険を感じた国王は、国外へ逃亡した。

 新たに即位したのが、軍功著しい将軍、ナタナエレ・フォンツェルである。彼は皇帝を名乗り、リュティス帝国を樹立した。


 これに対し、元リュティス王妃の実家であるエスターシュタット王国が主導となり、軍事同盟が結ばれた。弱小ながら、わがバーバリアン公国も、この軍事同盟に参加した。

 だって、リュティス帝国は、わが国、バーバリアンの隣国だからだ。間にゴドウィ河が流れているが、リュティス軍が西から攻めようと思ったら、船で河を渡り、下船した最初の一歩が、わがバーバリアンなのである。


 リュティス軍にとって、湿地の多いわが国土は何の魅力もないだろうが、東の諸国へ攻め込むには、またとない要塞となる。

 当然、連合軍は、バーバリアンを守ってくれると、俺は信じて疑わなかった。


 父は、ため息をついた。

「リュティス軍のあまりの強さに、同盟各国は、次々と、リュティスと講和を結んでいるんだぞ」

「そうなんですか?!」

 初耳だった。

 恨めし気に父は頷いた。

「同盟なんて結んだって、誰も、我が国を助けちゃくれないさ。敗戦国として、莫大な補償金を要求されるのは目に見えている。だから、講和条約を少しでも有利にするために、ロンウィ・ヴォルムス将軍が望んでいる捕虜を差し出さなければならない」

 ロンウィ・ヴォルムスというのは、敵方、リュティス軍の司令官だ。


 「私が行く!」

父を退け、金切り声を上げたのは、姉のルクレツィアだった。


「ダメだよ、姉さん。姉さんを敵国へやるなんて、そんな危険なこと、させられない!」

 思わず大声をあげてしまった。

 4つ年上の姉は、俺の大事な人だ。


 俺たちは、早くに母を亡くした。幼かった俺を、姉は、いつも気にかけてくれた。いつだって、俺を第一に考えてくれた。

 俺が国を護ろうとするのは、この姉がいるからで……。


 優しい姉が、なぜか、ぎろりと俺を睨んだ。

「ロンウィ・ヴォルムス将軍は、イケメンで、どハンサムで、バーバリアンの女の子たちのイチオシなの! それに優しいって評判だし。だから私が行く!」


「黙りなさい、ルクレツィア」

ぴしりと父が制した。

 俺は呆気に取られて、声も出ない。敵国の鬼将軍がハンサム? バーバリアン女子のイチオシ? あ、ありえない……。


 姉が地団駄を踏み始めた。 父と激しい口論になる。

「いやよ。オシの所へ行くの……」

「許さん」

「行くったら行くの!」

「ダメだ。公妃かあさん亡き後、お前はわしの唯一の支え……」


 え? 父さん、俺の立場は?


「私はロンウィ将軍の捕虜になるんだったら!」

「無理だ!」

「無理って何よ! 公女の立場を利用して、他の女子を出し抜くのよ!」


 いやいや、立場など利用しなくても、俺の姉さんは、充分可愛らしい。その愛らしさが問題なのだ。捕虜になるなんて、虎の前に兎を差し出すようなものじゃないか。


 ついに苦り切った顔で父が吠えた。

「第一、向こうはお前を望んじゃいない」

「なんで? 私は引く手あまたの美少女なのよ! 捕虜の私に、ある日、ロンウィ将軍が目を止めるの。もちろん彼は、私の美しさに夢中になるわ。あとはもう、ひたすらごり押しよ! すぐに彼は陥落して、結婚を申し込んでくるわ!」

 目を潤ませて、とんでもない計画を語り出す。


 客観的に見て、姉は美人と評判だ。彼女の美しさは、国の内外に轟いている。地味で奥手な弟の俺と違って、ルクレツィア姫は、バーバリアンの誇りだ。敵の将軍がくらっときても、それは彼のせいではない。

 危険だ。姉さんが危ない!


 姉の美貌から、父が、目をそらせた。

「ロンウィ将軍は、女を望んではおられないのだ」

 姉もしぶとかった。

「わかるわ! 将軍は、部下にも略奪強姦を許さない、って評判だもの。なんて高潔な方でしょう。それに彼は英雄だわ。敗戦国の弱みに付け込んで、姫を娶ろうなんて、そんな卑怯なこと、するわけない! だから私の方から押しかけて……、」

 うっとりと、胸の前で両手を組む。

「違う! 彼が望んでいるのは少年だ」

父が吼えた。


 ……少年。

 きれいな姉さん(♀)ではなく。






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