第4話 執事の心情
しばらくすると、前方から小さな車が近づいてくるのが見えた。
どうやら庭園内を移動するためのカートらしく、前の席に座っている千花が手を振っている。
長い髪が風になびいていることから、車両を運転しているのは女性だろう。
紋と木春も手を振って出迎えた。
徐々にスピードを落とし、紋と木春の前でカートが停車する。
屋根付きだが通常のゴルフコースなどで利用されるものとは違い、レトロな感じで丸いライトが可愛らしい。
運転していた女性がしなやかに降り立ち、紋と木春へとお辞儀した。
「ようこそ、おいで下さいました。滝沢様、神田様。わたくし、執事の夏目と申します。以後、お見知りおき下さいませ」
あのインターホンの相手はこの人だったのか、と紋の方も軽く頭を下げる。
ネイビーで細身タイプのスーツを身にまとい、パンツスタイルがより一層美しく見えた。
長い髪を後ろに束ね、礼から姿勢を正す身のこなしは静かで品が漂っている。
続いて、運転席の隣から千花が声を掛けてきた。
「お待たせ、二人とも。ここまでくるのはちょっと大変だったでしょう? さあ、後ろに乗って頂戴」
今日の千花はボウタイリボンのワンピースで、フェミニン系女子のスタイル。
つばの長い麦わら帽子がお嬢様らしく、良く似合っていた。
「こんにちわ、千花。遠かったけど、まあ退屈はしなかったわよ」
にんまりと紋が返す。
「あたしも、紋ちゃんと一緒だったから、ずっと楽しかったよー」、と木春。
「賑やかでマイペースにやってたのは、あんたの方でしょう、木春」
紋はあきれ顔でツッコミを入れた。
「えへへ、そうだっけ」
四人乗りの後部座席へと紋と木春が乗り込むと、夏目はUターンで屋敷の方へと向かった。
すれ違ってゆく広大な庭園の木々を見送りながら、紋が呟く。
「自分ちの庭をカートで走るなんて、一体どれくらい広いのかしら……」
「はい。先ほどの門から屋敷まではおよそ1.0kmございます」
ハンドルを握ったまま、夏目執事が即座に答えてくれた。
「1.0km? ひえー、わたしん家から駅までくらいなのね。歩いてくるのはちょっと疲れる、か」
隣の木春はというと、屋根を支える柱に手を掛けながら、美しい庭を堪能していた。
カートが数台行き交えるほどの幅で、道に沿って花をつけた鉢が等間隔に並べられている。
鉢の奥にはツゲの生垣が低く両側に連なっており、屋敷までを誘導しているようだ。
途中、十字路が数か所あり、小さな水辺も設けられていた。
「あー、いい匂いがするよ。こんなお庭の中、風を受けて走るのって、気持ちいいねー」
「ありがとう、木春ちゃん。ちょうど今はバラとかハーブの花なんかが咲いているわ。私もたまに外でお茶するのよ」
「いいなー。こんな迷路みたいなお庭で鬼ごっことかして、疲れたらお茶とクッキーで休憩して、草の上に寝転んで……なーんて、楽しそう」
「じゃあ、今度は夕涼みも兼ねて、お泊りで来て頂戴。花火大会とかやってもいいわね!」
「うわぁ、いいの? ……あ、でもご迷惑だよ」
妄想を愛し、夢見がちな木春が珍しく躊躇した。
千花の身分を利用しているようで、なんだか悪い気がしたらしい。
「そうそう。わたしたちは、千花の家が大きいからって甘えちゃいけない」
滝沢家ではこのようなところに躾が行き届いているのか、紋は妙に真面目だった。
木春も困った様子で、コクリと頷く。
「そんなことないわよ。私だってやりたいもの。ね、いいでしょう、夏目?」
「……今度の期末テストの結果、お二方のご両親の承諾、比較的小規模な打ち上げ花火、及び一泊二日まででしたら屋敷では問題ございません。あとお嬢様は日々のお稽古事などを疎かにせぬよう願います」
顔は正面を向いたまま、さらりと執事が答えた。
表情は全く読み取れないが、気分を害しているようではなさそうだ。
「ね、紋ちゃんもいいでしょう?」
「うーん」
爽やかな風を受けながら、紋は腕組でしばし考え込んだ。
木春は紋の横顔を見つめ、千花も不安そうな眼を向ける。
「分かったわ。でも、夏目さんの言う通り、わたし達はちゃんとやるべきことをやらなきゃいけない。特に木春、あんたはわたしよりも成績はよろしくないんだから、一緒にしっかりやるわよ」
「まあ、よかったわ!」
「紋ちゃん、お母さんみたいだよ! でも、了解。あたし頑張るよ!!」
「というわけで、よろしくお願いします、夏目さん」、と紋は執事の方へと顔を向けた。
「承知致しました」
夏目は少し表情を緩めた様子で、快く承諾した。
「夏目もありがとう」
「いえ、千花お嬢様もお励み下さい。……しかし良かった」
「え、何か言った?」
「なんでもございません」
紋と木春の内面が知れたようで、夏目は少し安心した様子だった。
木春には親友としてやや厳しめに接した紋だったが、時折生垣の向こうでパーゴラの姿が見えると、その下でお茶を飲んでいる自分を想像してしまった。
「千花と結婚したら、旦那さんになった人はこんなトコに住むんだねー」
「あら、私は紋ちゃんでも全然オッケーよ」
「って、千花! ちょっと妄想しちゃったじゃない!」
「ふふふ」
「紋ちゃんってば、そうなんだ~」
「木春まで……、調子に乗らないのっ!」
女子三人組の穏やかなやり取りの中、屋敷がようやく近づいてきた。
車両は大きく迂回しながら、玄関の戸口前へと停車する。
「さあ、着いたわ。降りましょう」
夏目に続き、千花も帽子を押さえつつ屋根付きエントランスへと降り立った。
月城家は三階建ての屋敷で、外壁は白いレンガで埋め尽くされている。
目立って派手ではないが、窓枠などは同色の凹凸で、控えめなデザインが上品さを表していた。
「門の扉も大きかったけど、家も玄関もとんでもなく大きいわねー」
紋は改めて顔を上げ、左右を見回す。
夏目が軽く戸を叩くと、内側からゆっくりと扉が開かれた。
空間を広々と使用した、エントランスホール。左右に配置された大階段は二階へと続き、その先の天井へはシャンデリアが輝いている。
このような玄関口で左右五人ずつ、メイドがずらっと並び、息の合った声で挨拶してくれるものだから、一般女子高生二人はぎょっとしてしまった。
「ようこそお越しくださいました」(メイド一同)
先ほどの夏目執事と同様、深々と頭を下げ居直る所作にどう対応してよいか分からず、紋と木春は半笑いで固まっている。
「おお、これも圧巻だ。テレビでしか見たことがない気がする……」
「うわぁ、紋ちゃん。お人形さんみたいな可愛い人が一杯だよ……。ドキドキしてなんか酔っちゃいそう」
自宅に招いた友人をニコニコして眺めていた千花へと、夏目が告げる。
「お嬢様、機器も含めお風呂場での支度は全て整ってございます」
「ご苦労様、夏目は仕事に戻ってもらって大丈夫よ。さあ、お風呂場へ行きましょう、二人とも。ここからは私が案内するわ」
「承知致しました。それでは頃合いを見てお茶の準備を整えておきます。くれぐれも羽目を外し過ぎて全裸で転倒などせぬよう願います。それでは行ってらっしゃいませ」
「んもー、夏目ったら。今日はお風呂用水着だから、全裸じゃないでしょ」
「はい、お忘れにならぬようご利用下さい」
この執事と千花とのやり取りを見ながら、どこか自分と木春に近いものがあるかなー、とやんわり感じ取っていた紋だった。
そこでふと思い出した紋は、千花へと渡すものを鞄から取り出しす。
タオルに包んでいた為、まだ温かい。
「おっと、忘れるとこだった。千花、これお土産ね。前に食べたいって言ってたたい焼き。味は三種あるわ」
「嬉しいっ、覚えていてくれたの?」
「当たり前じゃん。でも、招待してもらったのに大したものじゃなくてゴメンね」
「……いいえ」、と千花は小さく首を振ったあと眼を輝かせ、
「こういうのが……私とっても嬉しいのっ! あとで皆で一緒にいただきましょうね!!」
「なんか、そこまで言われると照れるって。じゃあ、行きましょうか、木春」
「うん。……良かったねぇ、紋ちゃん」
「あんたも選んでくれたっしょ」
「そうだったね~」
三人は並んで、玄関の間からサロンを通過し、長い廊下を風呂場の方へと歩いていった。
時にくっつき、時に離れ、じゃれ合うように仲良く歩む様を、夏目は微笑ましく見送る。
千花に良き友人ができたことを、人知れず喜んだ。
その後、執事とメイド達は互いに各々の仕事に戻って行った。
夏目の言った通り、せん太くんを含め、全ての準備は整えられている。
広大な浴室の一角でぷにぷにフォルムの『人型全自動入浴機せん太くん』は静かに佇んでいた。
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