第295話 名前と味方

「久しぶりだな、フリージア嬢」

「っ!?」


(その声、もしかしなくてもラピスさん!? それに……)


 全身鎧に身をラピスから周囲には聞こえない声で口に出すことを許されなくなった名前で呼ばれ、思わず目を見開いたカミルはすぐさま顔を顰める。



「『フリージア』って誰のことですか?」



(そうよ、今のペトロート王国には私のことを『フリージア』なんて名前で呼ぶ人はいない。だって、ノルベルトの改竄魔法で私の存在は全てダリアにすり替えられたのだから)


 突き放すような冷たい返事するカミルに、アーメット兜で顔を覆ってラピスは苦笑しながら肩を竦める。



「まぁ、いきなりで呼ばれたら警戒するよな。お前のお父上がおっしゃっていた通りだ」

「え?」



(お父様と会ったの!?)


 ラピスの言葉に再び目を見開いたカミルだったが、平民である今の自分を思い出して慌てて首を横に振る。



「いえ、私には家族というものは……」

「ちょっと聞いているの!? 誰なのあんたは!!」



 無表情で家族の存在を否定しようとしたカミルの言葉を遮り、蚊帳の外にされて怒っているダリアに、視線を戻したラピスが不機嫌そうに顔を顰めると小さく鼻を鳴らした。



「フン、こんな頭も尻も軽い女が国の宰相家令嬢なんて、この国が終わるのも時間の問題だな」

「っ!」

「はぁっ!?」



(ラピスさん、現宰相家令嬢であるダリア相手に何を罵倒しているのよ!?)


 今のペトロート王国では、平民が貴族を罵倒した場合、いかなる理由であろうと問答無用で罰が下る。

 だが、貴族が平民を罵倒するのは正当防衛として許されている。

 そのため、平民の間では貴族の前には出てはいけないという暗黙の了解が存在している。

 しかし、宰相家令嬢を罵倒した場合、平民だろうが貴族だろうが関係なく即処刑される。

 それは、ペトロート王国に住んでいる者なら誰でも知っていることだ。


 そのことが脳裏を過って唖然としているカミルに対し、罵倒されたことで怒りが増したダリアはいつの間にか閉じていた扇子を強く握る。



「あんた、愚民のくせに高貴なる宰相家令嬢を罵倒するなんて!!」



 すると、ダリアの怒りの形相に気を良くしたラピスが、不敵な笑みを浮かべた。



「と言っても俺、だからこの国のことよく知らないんだよな」

「はいっ!?」



 思わず素で驚いたカミルがラピスを凝視する。


(ちょっと! 良い鎧着て冒険者なんて無理があるでしょ! そもそも、声なんて出したら一発でバレ……)



「あんた、他所の国から来た野蛮な冒険者だったのね。だったら、この国で最も美しくて気高い私を知らなくても当然ね」



 侮蔑の目でラピスを見るダリアに、カミルは思わず眉を顰める。



「……あの子、本気で分かってないの? バカなの?」

「それは、お前も分かっているじゃないのか? フリージア嬢」

「っ! ですから、私はそんな名前では……」

「『フリージア・サザランス公爵令嬢』」

「っ!!」

「お前の名前、だよな?」



 ダリアはおろか、野次馬達にも聞こえない声で再び呼ばれたカミルの本当の名前。

 それは、平民になってエドガスから名乗ることを禁じられた名前だった。



「どうして、私の名前を?」



(あの日から、呼ばれることが無くなった名前をどうして今になって?)


 女性らしいソプラノ声で問い質すカミルに、ラピスが自信をもって答える。



「そんなの、思い出したからに決まっているだろ?」



『いつか、必ずお嬢様は全てを取り戻します』



(死の間際に口にしたエドガスの言葉。まさか、これがその始まりだとしたら……)



「そう、でしたか」



(本当に、ラピスさんは私のことを思い出したのね)


 ニヤリと笑みを浮かべるラピスに小声で返したカミルには笑みを零れていた。

 そんなカミルの顔を見たラピスは、内心安堵すると視線をダリアに戻す。



「だったら、分かるよな? ダリアがあんなやつことくらいは」

「……まぁ、そうね」



(知っているわよ。だって、ダリアは頭の軽い淫乱令嬢で有名だったのだから)


 ダリアのおバカぶりを再認識したカミルが呆れたように溜息をつく。

 そんなカミルを見て、満足げな笑みを浮かべたラピスは、ダリアに向かって双剣を構えると婚約者の名前を出した。



「それに、お前を見捨てたとカトレアに知られたら、即刻婚約破棄されるかもしれない」

「えっ?」



(『私を見捨てれば婚約破棄される』? それってつまり……)



「カトレアも、私のことを思い出したの?」



『どうして平民がこんな場所にいるのよ!』



 カミルの脳裏に蘇った、魔物討伐でカトレアから言われた言葉。

 それは、カミルの心にも今でも深く突き刺さっていた。


(私を『平民』と呼んだあの子が本当に思い出したの?)


 心底信じられないカミルは、疑うような目でラピスを見ると、優しく微笑んだラピスが小さく頷く。



「あぁ、今のカトレアは本当のお前のことを知っている。そして、親友であるお前のことを心の底から助けたいと今、ロスペル様のところで頑張っている」

「っ!?」



(カトレア、今ロスペル兄様のところにいるの!? そもそも……)



「……どう、やって」

「えっ?」

「どうやって、2人は記憶を取り戻したの?」



(今の状況で、お父様やリュシアン兄様が無効化魔法で改竄魔法を解いたとは到底思えない。だとしたら、一体誰が……?)


 カミルが唇を震わせながら怯えた目でラピスを見ると、視線がかち合ったラピスは申し訳なさそうな顔で視線を逸らすと少しだけ俯いた。



「すまない。それは、お前のお父上とカトレアに止められているから俺の口からは言えない」

「そう……」



(お父様やカトレアから止められているなら仕方ないわね)


 落ち込んだ顔でカミルが俯いた時、顔を上げたラピスがカミルを一瞥すると眼前の敵を見据えた。



「だが、これだけは信じて欲しい」



『ラピス。もし、フリージアに会ったら言って欲しいの』



 帝国から王国に帰ってきた時、ラピスはカトレアから言伝を託された。

 それは、ラピスも悪友に再会した時に言いたかったことだった。



「今の俺とカトレアは、だ」

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