サフィラファクト家

 を初めて見た時、大きな大きな建物がたくさんある不思議な場所だと思った。

 ここがきっと、パパの店でよく〝ぼうけんしゃ〟の人たちが話している〝だんじょん〟って場所なんだと思った。


「ち、違いますよミオ様。ダンジョンではありません。ここは、あなたの家なのです」


「わたしの……いえ……」


 私がパパの家を出てサフィラファクトの家に入った時、ずらりと並ぶ使用人達が私を出迎え、一斉におかえりなさいませ、ミオ様と口を揃え、傾いだ。

 

 初めて会ったお祖父ちゃんはとても優しそうな人だったけど、他の人はだいたい怖そうだった。

 お祖父ちゃんは、家の奥の一つの部屋に連れていってくれた。

 

「ここが、お前のママの部屋だよ」


 通された部屋は広くて、とても煌びやかな装飾や大きな絵が壁に飾られていて、大きなベッドの周りには白くて薄い布が上から垂れさがっていて、ベッドの脇には見た事ないたくさんの種類の動物のぬいぐるみが置かれていて、机の上には難しい本がたくさん積まれていて、隣の部屋には華やかなドレスが何着も吊るされてて、棚にはぴかぴかの靴が何着も飾られている……そんな、豪華な部屋だった。

 

「ここが……ママの部屋……」


 その部屋にママの匂いはもう残っていなかったけど、その部屋にいるとき、私はなぜだか落ち着いた。

 

「そうだよ。ママが出て行った時からそのままにしてあるんだ。そして、これからはミオの部屋だ。ミオが好きに使っていいからね」


「ママの部屋、勝手に使っていいのかな……」


「いいんだよ。パパにはちゃんと伝えてあるからね。ママは今、遠いところにいるから伝える事はできないけど、きっと許してくれるだろう」


 卒業した今でも、ママには会えていない。

 冒険者を続けていればいつか会えると思っているけど、会った時にママはどんな反応をするのだろう。

 

 遠い目をして、そう、あの部屋はあなたが使ってるのね……と言うのか、恥ずかしそうに、え、あの部屋に?変なもの置いてなかったかしら……と言うのか、それとも詰まらなそうに、好きにすればいいわ。どうせ棄てた家なんだし……と言うのか、それを確かめてみたい気もするけど、ママにいつ会えるのか分からないから、全ては想像の中でしかない。

 

 私が部屋の中を物色していると、メイド服姿の女性が一人やってきた。


「紹介しよう。ラチュアだよ。この家に仕えるメイドの中で一番若い子を選んでおいた。この子が今日から、ミオの身の回りの世話をしてくれるから、困ったことがあれば、なんでもいいなさい」


 お祖父ちゃんに紹介されて深々と頭を下げたのは、見た目まだ十代くらい、茶色い髪を襟足で切り揃えたボブの髪とみどりの眼をした、メイド服姿の女の子だった。

 

 ラチュアは、私が聖ルクネリア神学院に入学するまでの間、私の専属メイドとなった。

 

 ラチュアは私にずっと付き従って、子煩く作法とマナーと礼儀と挨拶と言葉使いと貴族としての心構えを教えてくれた。

 

 ラチュアの教育が嫌になって、ドレスの裾を捲り上げてラチュアから逃げる様に屋敷内を走り回る私と、メイド服の裾を器用に摘み上げながら走って私を追いかけるラチュアの姿は、この家の風物詩となっていた。

 

 そんな話を後にお祖父ちゃんに聞かされた時は、ラチュアと私は二人揃って顔を真っ赤に染め上げた。

 

「いいですかミオ様、サフィラファクト家はルクネリア皇国の十ある公爵家の一つ、由緒正しい家柄なんですから、その公爵家の令嬢がそんな、はしたない姿を晒してはいけません!入学前になんとしても直していただかなくては」


「やだもん、そんなの知らないもん」


「ちょっ……ミオ様っどこへ行かれるのですっ!」


「ふふんっ、かけっこなら負けないもん」


「ミオ様ーっ」


 私たちがすれ違うと他のメイド達は、またあの二人かという表情をして眺めていた。

 ミオ様の世話係も大変ね。ああもお転婆では……

 いや、ラチュアも最近楽しんでないか……

 そうね……二人揃って遊んでるわ……壺壊さないといいけど。

 

 

 私がサフィラファクトの屋敷にやってきてから月が二つ程巡った後、いよいよ聖ルクネリア神学院に入学する日がやってきた。

 全寮制なので、行ったらしばらく、この家に戻ってくることはなかった。

 

 ラチュアは、学校に行くまでの間、付き添ってくれた。

 

 

「ミオ様、これを、右手の薬指にお嵌めになって下さい」


 ラチュアが小さな箱から取り出したのは、装飾のない銀の指輪だった。

 指輪の表面には、斜めに線が彫られていて、内側には小さな文字で文章が刻まれていた。

 

「わ、ぴったりだ」


「そりゃそうです。ミオ様のサイズに合わせて特別に作らせたものですから。その指輪は、聖ルクネリア神学院の学生である証、そして、内側には女神ルクナとの誓いの言葉が彫られています。ずっと身に着けていて下さいね」


「う、うん。わかった」


「それと、これをお持ちになって下さい」


 次にラチュアは、大きな箱から木でできた、杖を取り出して、手渡した。

 杖と言っても、体を支えるような長さはなくて、長さは手のひら二つ分くらいの短い杖。

 白くて細くて、先端に複雑な彫刻がされていた。

 

「ミオ様、これは魔法の授業で使う事になるものです」


「これが……杖……」


「ええ、杖です。ミレアンヌ様も使っていた物ですよ。聖ルクネリア神学院の制服には、腰のところに杖を通しておけるホルダーが付いておりますので、普段はそこに挿して、常に持ち歩く様にして下さい」


 杖は軽くて、ずっと持っていても苦にならなくて、木の様に見えるけど、叩くと金属の様な音がする。

 

「それとミオ様、くれぐれも聖ルクネリア神学院に入学したら……」


「廊下は走らない……でしょ。もう何回も聞いたよー。耳がクラーケンになっちゃう」


「わかればいいのです……ミオ様、私が付いて来れるのはここまでです。ミオ様が校門を潜るのを見届けたら、屋敷に戻ります」


「そっか、お別れなんだ。寂しくなるね」


「ミオ様、私が教えた事を忘れないで下さい。それと、サフィラファクト家の令嬢としての誇りを常に持っていて下さい」


「うん、わかった……ラチュア、私卒業できるように頑張るね」


「ミオ様……お元気で……」


 後から聞いた話では、ラチュアは目に涙を浮かべたまま、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれていた……らしい。

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