回想

 俺は店のカウンターに立ち、カクテルグラスをランプの灯りにかざしながら、グラスを丁寧に磨いていた。


 お客さんがいない間は、とても暇だ。


 カラン……と扉に付けた鈴が鳴り、ローブを身に纏った複数の男性が店に入ってきた。


 その日、店にやって来たのは、客ではなかった。

 

「ここは酒を飲む店だ。あんたらには用のない場所だと思うが?」


 俺は勤めて冷静な風を装い、店に入って来た男達に向かって言った。

 男達はローブを目深に被っていて、表情は分からない。

 

 入って来た男は3人。

 全員が首から、手のひらサイズはあるネックレスを下げている。

 銀で出来た複雑な意匠が施されたそのネックレスの形には見覚えがあった。

 

 聖ルクネリア騎士修道団ルクネリアス・オルドの証だ。


 ルクネリア皇国からはるばるこのウィザリスまでやってきた奴ら。

 彼らの目的はただ一つ。

 

「ぱぱ、おきゃくさんだよ。お水だす?」


 母親が去ってから店を手伝っていたミオは、まだ彼らを客だと思っている。

 ミオは十歳。

 大人の真似事をしてはいるが、まだ物事を十分には理解していない年頃だ。


「ミオ、下がってなさい」


 健気にピッチャーから水を注いで提供しようとするミオを手で制し、俺はカウンターから出る。

 

 今日に限って、剣を手元に持ってきていなかった。

 もっとも、聖ルクネリア騎士修道団ルクネリアス・オルドの中でも格上の相手が三人、おそらくかなりの手練を送り込んで来た筈だ。

 剣があっても、まともに戦って勝てる可能性は少ないが。

 

「そう、怖い顔をなさらないで下さい」


 三人の中で真ん中の男が、フードを外した。

 短く刈った金色の短髪と、痩せた頬のかお

 その男は軽やかに笑みを浮かべていた。

 

「私たちは、争いをしに来たわけではありません」


「なら、何しに来た。そもそも、


 俺とミレアンヌは何年も彼らから隠れていた筈だ。

 ミレアンヌが泣く泣くミオを置いて出て行ったのも、彼らに見つからない為に他ならなかった。

 

「なぜわかったか……面白い事を聞きますね。あなたはまさか、本気で隠れているつもりだったのですか……」


 男はそう言って、懐から古い新聞を取り出すと、手近なテーブルにそっと置いた。

 ……嫌な男だ。

 わざわざ、この時の為にずっと取っておいたのだろう。

 俺は男達に注意を払いながら、テーブルに置かれた古い新聞を手に取った・

 

 衝撃だった。

 

 新聞の日付けは十年前……つまり、ミオが生まれた頃のものだ。

 そこには一面に堂々と、俺たち——俺とミレアンヌ、そして生まれたばかりのミオ——が写っていた。

 

 おそらく魔法で撮られた写真だろう。

 当時からルクネリア教は映像を鮮明に記録し、印刷する魔導科学を持っていたという事だ……恐ろしい。


 否、論点はそこじゃない。

 俺たちはルクネリア教から逃げて、他国でひっそり暮らしていたのだ。

 そしてミオが生まれた。

 今日まで、俺たちがどこにいるか、教会には存在を知られていないと思っていた。


 ……その筈だった。

 

 俺たちは、最初から全て把握されていたのだ。

 その上で、敢えて放任されていただけだった。

 

 新聞に載っていると言う事は、ルクネリア皇国の人間は皆、俺たちの事を知っていた事になる。

 そう、知らないのは、俺たちだけだったのだ。

 

 三人の男達は、まるでドッキリカメラが成功したばかりの、プラカードを持ったADの様に、ニヤニヤと笑みを浮かべている。

 こいつらは、俺にこの事実を打ち明けるこの時を、何年も何年も待ち侘びていたのだ。

 

 確かに、ミレアンヌは国を出る時に俺に言った事がある。

 ルクネリア皇国のパパラッチは油断ならないわ。

 どんな小さな手がかりも与えてはダメ。

 

 現実は、ミレアンヌの想像を遥かに超える情報収集能力を持っていたらしい。

 

 俺は、最初から完敗していたのだ。

 

「最初からあんたらの手の内だったって訳か」


「そう言う事です。リュウさん。あなたはこの十年間、我がルクネリア皇国の民に話題を提供し続けてくれていました。そしてミレアンヌ様の子を大切に育ててくれました。その事について、まずは礼を申し上げます」


「負けたよ。で?今更あんたらは何しに来た?」


 結局、この十年の苦労が全て無意味だったと知った俺は、急になにもかもどうでも良くなってきた。

 

「もちろん、お迎えに上がる為に来たのですよ」


「迎えだ?」


「ええ。サフィラファクト・ミレアンヌ様……いえ、今はニホンの転生者であるあなたのしきたりに習って、ツムギ・ミレアンヌ様と名乗っていのでしたね。その娘であるミオ様も、そろそろ良いお年になられました」


「……なるほど、ミオを連れて行こうって話か」


「理解が早くて助かりました。ミオ様、我々と共に御母上の故郷、ルクネリア皇国に参りましょう。そして、聖ルクネリア神学院に入学するのです」


 背中でミオが不安そうに震えている。


「わたし……どこかに行くの?」


 俺たちの会話の意味理解できているのか、いないのかは分からないが、自分が異国に連れて行かれると言う事は理解できているようだ。


 ミオを不安にさせない様、むりやり穏やかな顔を繕い、腰を曲げてミオと向き合う。

 

「ああそうだ。ミオ、ママの故郷で、ママの通った学校に行くんだ」


「行かなきゃだめ?パパは?」


「もちろん、ミオが決めればいいさ。でも、俺はここでお留守番だ。ミオが卒業して、ちゃんと一人前になって帰ってくるのを待っているさ」


 ミオはしばらく考え込んでいたが、やがて意を決したように、はっきりと俺の目を見据えて言った。


「わたし、ママの故郷ふるさと見てみたい。 ……ママの学校にも、行ってみたい」


「そうか。よく一人で決めたな。えらいぞミオ」


 ミオは俺の元を離れ、男達と共にルクネリア皇国に向かった。

 ミオが旅立ったのは、よく晴れた、風の強い日だった。

 


 その日は店を休みにして、俺はいつもより少し高いワインを開けて、厨房で一人で飲んだ。

 悪くない味だった。

 

 つまみは、グレイダリア産のオイルサーディン……これはどこでも買える奴だ。

 

「ミレアンヌ……俺たちの娘は、結局、お前が捨てたあの国に戻っていった。 なあ、これで良かったのか……?」


 俺はミレアンヌの写真を眺めながら、一人で呟いた。

 その夜は悪酔いして、そのまま店で寝てしまっていた。

 

 今にして思えば、俺のそんな姿も、どこかから撮られていたかもしれない。

 娘が新聞を見ない事を祈ろう。

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