第7話 旅立ち
翌日、僕はいつも通りバー『トレボーン』に行った。
「おはようございます」
おはようと言っても、時刻は既に夕方ではあるけど。
バー『トレボーン』はリュウさんがマスター兼オーナーの店だ。
僕はこのバーで、バーテンダーとして働いている。
異世界に突然転生して右も左も分からない僕を、リュウさんは自分の店で働かせてくれた。
転生したばかりの僕は、お酒の作り方どころか、カクテルやお酒の名前さえろくに知らなかったし、接客だってロクにやった事はなかった。
でもリュウさんはそんな僕にバーテンダーの仕事を、一から丁寧に教えてくれた。
トレボーンは冒険者達たちがよく集まるバーになっている。
リュウさんの異名は、冒険者達のあいだでやはり有名らしく、リュウさん目当てで来るお客さんも多い。
「ハル、仕事が終わったら、ちょっと話があるんだが……」
「あ、はい。なんですか」
「ま、その時に話す」
リュウさんはぶっきらぼうに言い放った。
店を閉め、掃除が終わった後の店内。
今いるのは、僕とリュウさんの二人だけだ。
「マスター、そういえば、話ってなんですか?」
僕は少し、給料が上がるのではないかと期待をしていた。
「実はな……俺は暫く旅に出ようと思う」
給料の話では無かった。
「旅ですか……なぜまた急に?」
「昨日のはぐれドラゴン、普段はあんな初級エリアに出現するようなモンスターじゃないんだ。だが、どうも最近こういう事が増えてきている様な気がするんだ」
「モンスターに異変が起きているんですか?」
「分からない。ハル、この世界はかつて魔族に支配されそうになっていた事は知っているな?」
「あ、はい。第二次魔大戦ですね」
かつて魔大戦という戦争があった……という事は、この店で働いている時に、お客さんの一人に聞いた。
千年前に第一次魔大戦があり、その後は暫く平和が続いて、五十年前に再び魔大戦が起きた。
それが第二次魔大戦だ。
「そうだ。ハルもこの世界の事情に詳しくなってきたな。あの時、魔族に支配されなかったのは、
「転生者にだけマナ・バッファー効果が強く現れて、多くの魔物を倒せた」
「ああ。予想外に苦戦した魔族達は、征服を諦めて魔族国プルガトリアに引きあげて行った。が、まだ脅威は完全に去ったと言うわけでは無い。いつまた魔族達が蜂起し攻めてくるかもしれない」
「なるほど……でも、それとマスターの旅はどう関係あるんですか」
「魔族国プルガトリアに近い前線の国では、今も多くの冒険者達が魔族と戦っているんだ。そこには、俺のかつての仲間達もいるんだ」
「そうですか」
「俺もな、前は前線で戦闘に参加していたんだ。今は、しがない街外れのバーのオーナー兼マスターをしているがな」
「……マスターは再び、前線に戻りたいんですか?」
「そういう事だ。戦線から抜けて久しいが、ハルを見ていたらもう一度、かつての仲間達と共に戦いたくなってきた。ハルは、この店の仕事は全て覚えたし、冒険者ライセンスも無事に手に入れた。俺はいつでも心置きなく、旅立てるのさ」
でも、いつもよりも心なしか、嬉しそうに見えた。
リュウさんの中にある冒険者としての血が騒いでいる……そんな気がした。
「それで、この店は……どうするんですか?」
僕はまだ冒険者としての収入で食べていける自信は無い。
この店が無くなったら、どこで働けば良いのだろう。
「俺がいない間、この店のオーナーは娘に任せようと思っている」
「む……娘さん、いたんですか」
「ああ。娘のミオは、今はルクネリア皇国にいてな。寮に住みながら神学校に通っている。だが、無事に卒業できたから帰ってくると連絡があったんだ。娘にはバーのオーナーを任せるが、仕事のやり方は詳しく知らない。そこでハルにはマスター代理を任せたい。娘を支えてやってくれないか」
せっかく仕事を覚えたばかりなのに、バイト先がなくなってしまうのではないかと思ったけど、どうやらその心配はなさそうだ。
でもマスター代理なんて、僕に務まるのだろうか。
「店の切り盛りの仕方は、ハルに任せる。冒険に出かけたい時には、店を休みにすると良いさ。この店の常連達は皆、冒険者だから、その辺りの事情は汲み取ってくれる人達ばかりだ。どうだ、やってくれないか?」
恩師であるリュウさんにそこまで言われて、断れるはずが無い。
僕は、マスター代理の話を快諾した。
その週の土曜日、娘のミオさんが帰ってきた。
ミオさんにオーナーを託すと、予定通りリュウさんは旅立って行った。
リュウさんは、いつ帰って来られるかわからない。
そもそも、最前線では生きて帰れる保証はない。
あのリトルドラゴンよりももっと強い敵が、わんさかいるのだから。
戦地で死んだ場合、冒険者タグだけが戻ってくる事が多い。
僕たちは、ライセンス合格時にウィザリス王国ギルドに誓約書を書かされている。
僕たちの身に何かあっても、国が責任を取ったり保障をしてくれる事はない。
それでも行きたい人だけが、向かうんだ。
僕もいつか、リュウさんの行く最前線に向かうのだろうか。
リュウさんと一緒に戦える日は来るのだろうか。
その日まで、リュウさんは僕を待っていてくれるだろうか。
リュウさんの旅立ちの前、僕は考え込んでしまった。
そんな僕を見かねたのか、リュウさんはいつも通りのぶっきらぼうに話しかけてくれた。
「ハル、そんな顔するな。大丈夫だ。俺たちのパーティは、強い。簡単にはくたばらんさ」
「リュウさん」
「それにハルは素質がある。いつか、ハルが追いついてきてくれれば、魔王だろうとなんだろうと負けなしだ」
「リュウさん、僕、頑張ります」
「じゃあな。娘のミオを頼んだぜ」
そしてリュウさんは旅立って行った。
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