第11話、王太子殿下の入学

 それから時は流れ、ついにエリック王太子殿下が貴族学園に入学される年となった。


 ついひと月前、私は二十五歳の姿で彼に別れを告げたばかりだった。もう二度と「リイ」としては会えないと――。


 落ち着かない思いで片手を耳もとに運び、そっとイヤリングをなでる。私の五回目の人生は今日で決まるも同然だ。彼の幸せな未来のためにも、どうか――


「王太子殿下のお着きだぞ!」


 貴族の子息が声をあげる。みんなの視線が集まる中、大きな校門の前に金箔でかざられた豪奢な馬車が到着した。家来が紋章のついた扉をひらくと、中からハニーブラウンのやわらかい髪をそよ風に吹かれながら美しく成長したエリック王太子が姿をあらわした。


「殿下、おはようございます!」


「これからエリック殿下と同じ空間で学べるなんて、幸せですわ!」


 私が入学したとき以上の盛り上がりかた。


「みなさんも殿下のところへ行っていいのよ」


 うずうずしている取り巻きたちに声をかけたとき、エリックが何気なくこちらを振り返った。


「――リイ……」


 離れていても彼の唇がそう動いたのが分かった。


「リイ! 僕のリイが現実にいる!」


 彼は喜びあふれんばかりの声でさけぶと、お付きの者だけでなく学園の学生たちまではねのけてこちらへ走ってきた。


「初めて会ったときの姿のままだ!」


「ようやくお会いできましたわね、エリック殿下」


 あふれ出す涙をこらえて、私はそれだけ言うのが精いっぱいだった。


「きみのこの手が、まだ小さかった僕の髪をなでたんだよね」


 彼は私の白い手をとり、その甲にやさしく口づけしてくれた。ほほ笑む私をうれしそうに見つめる瞳は、月光のように美しく輝いている。


 周囲の学生たちは当然ながらポカンとしたまま私たちのやり取りをながめていた。私は気にせず優雅な姿勢を保ったまま、片手でそっと濃紫こむらさきの髪を耳にかける。


「あっ、そのイヤリング――」


 エリックは息をのんだ。不思議なものを見たように目を見開いて、それから驚いたように笑った。


「きみは本当にリイなんだね。この十年間は僕の妄想なんかじゃなかったんだ」 


「はい、殿下。神様があなたを想う私の魂を救って下さって、この十年間あなたの元へ通わせてくださったのですわ」


 私は真摯なまなざしでエリックをみつめる。――って、悪役令嬢としてつちかった演技力を使うのも、そろそろ終わりにしなくてはね。


「愛しているよ、リイ。きみが婚約者だなんて僕は世界一の幸せ者だ」


 彼は私をひしと抱きしめた。私は彼の背中に回した手で、ハニーブラウンの髪をやさしくなでた。手のひらに伝わってくる彼の体温は、初めて出会った夜と変わらない。


「――あったかい……」


 私は思わずつぶやいていた。


 


 エリックが入学してくるひと月前の夜、私は意を決して別れを告げた。ただその理由は、私がリーザエッテ嬢の魂の中に戻るから、というもの。


「もうこの姿では会えませんの、エリック殿下。でも私がリーザエッテ嬢の中に戻れば、二人で過ごした時間の記憶は彼女が引き継ぎます」


 これから学園で毎日のようにエリックと顔を合わせるのに、リイとリーザエッテの二重生活を続けるのは無理がある。会話の内容とか、うっかりごっちゃにしちゃいそうですもの……


 十三歳のエリックはもう取り乱して泣きだすようなことはなかった。


「いつかきみがそんなことを言いだすんじゃないかってずっと思っていたよ。リイは孤独な僕が作り出した空想の友達なんだから」


「いえ、殿下――」


 私は彼の言葉を否定しようとして、口をつぐんだ。納得してくれているのだ。蒸し返すのはかえって残酷というもの。


 エリックは猫足のテーブルに頬杖をついたまま、静かなまなざしで窓の外に並ぶ庭園の木々を見下ろしていた。


「心理学の本で読んだよ。イマジナリーフレンドは大人になる前に消えるって――」


 それから何か思い出したのか、


「そうだ、きみに渡したいものがあったんだ!」


 と言って立ち上がり、本棚に隠してあったらしい小箱を持ってきた。


「これ、きみへのプレゼントだ」


 照れているのか、私の目を見もせずに小箱をあけた。そこにはとろけるようにつややかなドロップパールのイヤリングが繊細な輝きを放っていた。


「まぁ、きれい!」


「これ『月のしずく』っていう名前で売っていたんだ。城下におりたとき買っておいたんだけど、きみは誕生日すら教えてくれないから渡すときがなかったんだよ」


 嘘をつくのも嫌だけれど、かと言ってリーザエッテの誕生日を言うわけにもいかなかったのだ。


「つけてみてもよろしくって?」


「もちろん! きっと似合うよ」


 私が壁にかけた鏡の前でイヤリングをつけていると、満足そうなエリックがうしろに立って、


「リイは覚えていないかもしれないけれど、むかしきみが僕の瞳の色を好きだって言ってくれたことがあったんだ」


「覚えていますわ。満月のように輝いてきれいだと申し上げたこと」


「ふふっ、それ」


 エリックはくすぐったそうに笑って、


「だから『月のしずく』って名前が気に入ったんだ。それをつけて、いつまでも僕のことを覚えていてね」


「すぐに会えますわよ」


「えっ」


 驚いた顔をするエリックに二の句をつがせず、


「どうかしら? 似合いまして?」


「うん、いつもに増して美しいよ!」


 純粋なほめ言葉に私は自分の頬が紅潮するのを感じた。



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