第4話、リーザエッテがリイとなったわけ

 それからの数日間、私はことあるごとに小さなエリックが泣きながらつぶやいた「また来てね?」という言葉を思い出してはいら立っていた。なぜいら立つのかって? そんなの知らないわ。このリーザエッテ様がいくら子供の姿とはいえあの憎き王太子のことを考えているのが腹立たしいのですわ、きっと!


 ときどきスキル「千里眼」を使ってエリックの様子をのぞき見るものの、彼がひとりになる機会はそうそう訪れない。


 ようやく夜、天蓋付きベッドの中でひとりになった私は、


「お子様はとっくに寝てますわよね」


 と、自分がまだ五歳児なのを忘れてつぶやきながら、千里眼を使った。


 果たして、お目当ての三歳児はベッドわきのいすにちょこんと腰かけて、窓から月を見上げていた。


 十五歳の少女の姿に変化へんげした私は、片手に燭台を持って彼の部屋に瞬間移動した。


 ロウソクの炎がゆれて、金糸を使った豪華な布張りの壁に不気味な影をうつしだす。


「だれ?」


 おびえた顔で振り返ったエリックの表情が、ぱっと明るくなった。


「むらさきの髪のおねえさん! また来てくれたんだ」


 ぴょんっといすから飛び降りると、私のところへかけよってくる。


「殿下、もうお休みのお時間ではありませんか」


「そうだけど」


 彼はちょっとうつむいてから、大きな窓を指さした。「お月様がまんまるなんだ」


 高い位置からつるされた重いカーテンをめくりあげると、黄色い満月が手入れの行き届いた庭を照らし出している。


「きれいですわね」


 これが王宮の庭。みごと王妃になれた日には毎日見下ろす景色。そんなことを考えていると、エリックが私のネグリジェをひっぱった。「おねえさん、お名前なんていうの?」


「リー……」


 本名を答えるのはまずいですわね。リからはじまる適当な偽名を考えていたら、


「リイっていうの? かわいいね!」


 まあ、なんてこと! 私の高貴な名前を――


 叱ってやろうと見下ろすと、ロウソクの頼りない光の中にエリックの笑顔が浮かび上がった。


 ――そういえばこのひとが心の底から笑っているところなんて、過去四回の人生で一度もお目にかかりませんでしたわ……


 私は思わず燭台をサイドテーブルに置いて、椅子に座ったエリックの前でカーペットに片ひざをついた。目線をあわせて、ロウソクの炎を映した金色の瞳をのぞきこむ。


「エリック殿下、夏とはいえ夜は冷えます。そろそろベッドに入ってくださいませ」


「リイ、僕の名前、知ってたんだ!」


 あまりに無邪気に笑うので、こらしめてやろうという気持ち半分でやってきた私は、チクリと胸が痛む。


「殿下のお名前を存じ上げない者など、この国におりませんよ」


「ふぅん」


 小さなエリックは理解しているのかしていないのか、気のない返事をした。


 子守なんかしたことない私は四苦八苦して、楽しそうにおしゃべりするエリックをベッドに押し込めた。早く寝てくださいませ…… さすがにこちらも本来は五歳児の体力、そろそろ眠くなってまいりましたわ。


 ベッドに入ってからも、使用人の話や読んだ本、もしくは本人が想像した話だろうか? とにかく脈絡のない話をえんえんと続ける。次のにひかえているであろう使用人が起きてくるのではないかとひやひやしたが、やがてあどけない寝顔を見せて眠ってしまった。

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