第138話 受付嬢ちゃんも可愛がるだけじゃない

 それは、記憶に残るなかで最古の情報。


『貴様らは人間ではない。貴様らは個体パーソナルではない。貴様らは組織に服従を誓うのではなく、組織の手足そのものだ。手足に思想はいらない。手足は脳に従うのみだ。マスターオーダーは唯一つ……任務を遂行せよ』


 今はパフィーと名乗り、それ以前は名前とも呼べない番号を割り振られた少女は、その言葉通りに訓練を受け、言葉通りに蟲毒の部屋で同胞と実の親を名乗る何者かを殺し、言葉通り組織の手足として任務の遂行に当たった。


 特に疑問は覚えなかった。

 個体パーソナルではなく、部品パーツだから。


 何人殺害したのかは覚えていないが、20本の指に収まるくらいの人間を殺した頃、そしきが壊滅した。

 パフィーがオーダーを遂行して戻ってきたときには既に壊滅していた。

 実行したのは異端宗派ステュアートと呼ばれる組織。

 脳を失った手足は機能せず、パフィーは脳の喪失に何の感慨を覚えることもなく、また困惑もなく、ただその場に留まった。


 異端宗派ステュアートは何故かそんなパフィーを気にかけ、デクレンスという新たな脳をパフィーは得た。


 デクレンスのオーダーはパフィーの悪戦苦闘するものばかりだった。

 前の脳には施されなかった一般教養やコミュニケーション、神への祈り、殺害を禁じた任務……しかしパフィーはでしかない。

 何の感慨もなく、されど苦戦しつつもそれをこなした。

 他の行動原理が存在しなかったし、必要性も感じなかった。


 デクレンスは、そんなパフィーに「それは人間の生き方ではない」と常々言っていた。

 パフィーは人間だが、その心が人間ではない、ということらしかった。

 彼はその心を手に入れる方法として、女神とパフィーを引き合わせる事を考えていたらしい。それが脳の望みならばと、女神という存在にさしたる感慨もなくデクレンスという脳に従い続けた。


 あるとき、任務に失敗した。

 謎の強大な神秘術を駆使するサクマの前にパフィーは為すすべなく敗北し、デクレンスの護衛という任務を全うできなかった。失敗したのは初めての経験であり、しかもせっかく得た脳をまた奪われてしまった。


 以前は脳の喪失という事象の意味を理解できていなかったパフィーだが、デクレンスのオーダーをこなしたことで多少はその意味を理解する。

 脳を失った手足は行き場もなく彷徨い、無意味に生きるのみ。

 ならばこれまで殺した時のように、殺されることもあるかもしれない。

 アサシンギルドに連行される途中、パフィーは漠然とそう思った。


 思う、という思考は、これまでパフィーになかったものだった。

 それでも、死への恐怖はなく、それが当然であるかのように感じた。


 結果を見れば、パフィーは生かされた。


 アサシンギルドは鬼を狩る。

 パフィーの心の中に鬼はいなかったらしい。

 代わりにパフィーはアサシンギルドという新たな脳を得た。

 人殺しの技術は身に染みている以上、その性能が活かされることになるとパフィーは思っていた。


 しかし、予想は外れた。


『貴様は影だ。己と云う影を為すものの正体を知らん。光を向け、意志を持て。貴様はまだ鬼でも人間でもない――何者かになれ』


 パフィーは手足ではなく、影だと男は言う。

 影は光と実体があって初めて動くものだ。

 それはしかし、パフィーには抽象的過ぎて、理解の及ばないことだった。

 しかし、それが脳からの指令オーダーであるのならば。


『この世に生まれ意識を持った全ての存在に下される、生きる者の使命オーダーだ。貴様にはそれを受ける義務がある――生きているのなら』


 パフィーはまだ行動が可能だ。

 任務続行可能な状態にある。

 そして指令が下されたのなら、任務を続行しなければならない。

 

 ただ、パフィーの胸中には困惑があった。

 到達点のヴィジョンや具体的な任務の障害が謎に包まれたその任務は、いついかなる時に優先されるのか分からなかった。結果としてパフィーは脳以外の存在からのオーダーもこなさなければならなくなった。断るという選択肢を知らなかった。


 今なお、パフィーはオーダーの意味、『何者かになる』の意味を理解できない。

 そんなパフィーは今、前例のないオーダーに挑もうとしていた。


「サクマ、オーダー遂行の協力を求む」

「えっ、ああ……とりあえず内容を聞かせてくれ」

「私を撫でろ」

「うん……うん?」


 それは、実はこの町で最も多くの『遊び』や『頼み』のオーダーを齎し、今はここにいない存在――セツナからのオーダーだった。




 ◇ ◆




 ある日の休日、シオリは奇妙な光景を見かけました。


 サクマさんがパフィーちゃんの頭を撫でているのです。

 二人は普段殆ど絡みがありませんし、パフィーちゃんはその手の可愛がりを拒否しがちなので珍しいこともあるなと思いましたが、少々様子がおかしいです。


 サクマさんは表情に困惑が浮かび、パフィーちゃんはただサクマさんを見つめるばかり。

 流石に状況が気になってきたシオリは二人の下に向かいます。


「シオリの接近を目視で確認」

「あ、シオリ。待ってくれこれはパフィーに頼まれてやっているだけで俺は不審な事をしている訳では……」


 変質者の言い訳みたいな話は放っておいて、何をしているんですか?


「状況説明。一か月ほど前の話になる……」


 パフィーちゃんが話し始めたということは、パフィーちゃんから持ち込んだ話ということのようです。

 なんでもパフィーちゃんは、前にセツナちゃんの遊びに付き合っていたらしいです。本人は乗り気ではなく、セツナちゃんと遊んであげてとシオリが頼んだことがあるので、それを律義に守っていたのが真相です。


 そんな折、セツナちゃんはパフィーちゃんにこんなことを言ったそうです。


『もし私がかくれんぼしてるときにサクマやニーベル、シオリが寂しそうにしてたら、私の代わりお願いね!』


 ちなみに鼻のいいパフィーちゃんはセツナちゃんがどんなに発見困難な場所に隠れても完璧に見つけ出し、以来かくれんぼを持ち掛けられなくなったというちょっと悲しい話も聞きました。その他、セツナちゃんは自分と年齢が近く付き合いのいい存在としてパフィーちゃんとちょくちょく行動を共にしていたりします。


「これはセツナからの依頼である。依頼は遂行されなければならない。そして今、サクマはヒスイが席を外している為に孤独を感じていると判断。依頼の遂行に当たった」

「依頼の遂行とは言っても、いきなり目の前に来て「頭を撫でろ」はフツー戸惑うわ」

「サクマもニーベルもセツナの頭を撫でることで喜色を示していた。わたしは傷が美観を損なうものの、体格的にはセツナに近く、性別も女である。代価可能かもしれないと判断した」

「あのな、セツナが小さい女の子だから撫でてた訳じゃねえから。セツナが撫でてもらうのが好きだったから何かと理由つけて撫でてただけだから。ただ撫でろと言われて撫でても幸せとか生まれねぇよ」

「……諒解。任務失敗」


 表情は変わらないものの心なしか耳と尻尾のタレ具合が深化した気のするパフィーちゃん。前から少し気になっていましたが、パフィーちゃんは命令とか遂行とか約束事に少々煩いきらいがあるようです。

 やたら刃物に使い慣れ、本来武器ではない包丁で魔物を仕留めるくらいの手練れですし、何か秘密があるのでしょうか。

 パフィーちゃんは今度はこちらを向きました。


「シオリ。受付嬢としての能力を見込んで、この任務を遂行するにはどうすればよいか助言を請う」


 ……と言われましても。親しくもない相手にいきなり取り入ろうというのが無茶です。

 そもそもセツナちゃんはその約束をどこまで本気で言っていたのかもわかりませんし、彼女は義理とはいえサクマさんの娘。娘ではない女の子に娘の代わりだと言われて納得できる親がいるとは想像しづらいです。


「では、サクマの子になればいいのか?」


 えっと……なりたいのですか?


「任務遂行に必要ならば」


 身寄りのない彼女の親にサクマさんがなるのは、別にそこまで反対する気はありません。しかし頼まれごとを遂行するための条件に適合するために家族になるとは、もう家族と呼べる関係ではないと思います。

 シオリはいつものように甘やかすのではなく、別の助言をするべきだと感じました。


 パフィーちゃん。

 サクマさんにとって、セツナちゃんの代わりが出来るのはセツナちゃんしかいません。

 その任務は、決して達成することの出来ないものです。


「……私には、代わりが出来ない?」


 パフィーちゃんが約束を守ろうとするのは偉いと思いますし、パフィーちゃんが可愛さで劣るとはシオリは微塵も思いません。

 しかし、セツナちゃんとサクマさんの関係とは、心の問題です。

 サクマさんという個とセツナちゃんという個の心と心が通じ合って初めて成立します。


 パフィーちゃんがセツナちゃんの代わりにお手伝いをすることは出来ても、セツナちゃん本人の代わりになることは出来ません。

 何故なら、パフィーちゃんはパフィーちゃんなのですから。


「遂行不能な任務……代価不能な価値。わたしは、わたし……?」


 パフィーちゃんはその言葉にはっとしたように目を開き、しばし考え、サクマさんとシオリに問いました。


「質問。私は――何者だ?」


 とても簡単なようで、実はとても難しい問い。

 パフィーちゃんにとってそれは、誰かに問わなければ見えないものなのでしょうか。

 どう答えるか一瞬考えている間に、サクマさんが答えてしまいました。


「パフィーだろ。クエレ・デリバリー所属でセツナの友達で、まぁ、俺達の仲間かな?」


 余りにもありきたりであっけらかんとした答え。

 でも、シオリもそれに異議はありません。

 ただ付け加えるなら、可愛い仲間です。

 セツナちゃんとは違う可愛さを持った、セツナちゃんとは違う、大事な存在です。


「諒解。わたしはパフィー……それが答え。それがオーダーの意味……」


 パフィーちゃんは静かに目を閉じ、胸に手を当てました。

 彼女の中で、何かの答えが出たようでした。


 恐らくこれは彼女にとって、とても重要な一歩なのでしょう。

 いつかその話も彼女に聞きたいと思いつつ、シオリはパフィーちゃんの頭を撫でました。

 普段は仏頂面をする彼女は、それを素直に受け入れてくれました。


 ただ、翌日から。


「サクマ、食事量に対して運動量が釣り合っていない。有酸素運動を行うべきだ」

「えぇ……ヒスイ、何か言ってやれ」

「ユーザーの健康度が上昇するのはいいことです。サポートします」

「えぇぇ……てゆーか、パフィー。お前仕事もせずに何でここにいるんだ」

「セツナが戻るまで、お前が体調を崩さないようサポートすることを決定した。これはセツナの友達としての――私のオーダーである」


 パフィーちゃんの行動に、シオリは珍しくサクマさんに羨ましさから嫉妬してしまうのでした。

 あんなかわいい女の子二人に囲まれて健康管理だなんて、あまりにもずるい。切実にポジションを変わって欲しいです。

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