第139話 受付嬢ちゃんも知らない場所で
最近、ニーベルの弟にしてブルグント家の若き当主であるネーデルは、アーリアル歴王国の王都ペルグラントに奇妙な気配が漂っているのを感じた。
気付いたのはほんの数日前。
表面上はいつものアーリアル歴王国。
しかしブルグント家の当主として王城に出入りする度、言葉に出来ないほど微細な違和感を感じていた。気のせいかと思いつつも気配の元を探ろうとするが、見つからないまま気配が大きくなっている気がする。屋敷の人間も数名、どことなくその気配を感じてるようだった。
何かが起きようとしている。
嘗て父に聞いたことがあるが、この手の『嫌な予感』は当たっていることを前提に考えなければ起きた際に手遅れになるそうだ。ネーデルは兄の関連で嫌な予感がしたことは幾度かあるが、今回のこれは過去に経験したものよりもずっと大きく、大きすぎて漠然としか感じられないもののような気がした。
ネーデルに出来ることは少ない。
執事にそれとなく情報収集を頼んだり、私兵隊長にそれとなく騒ぎの予感を口にしたり、親しい十摂家の人間と世間話をして探りを入れたり――その程度だ。
結局それらしい成果もなく、不安だけが心の隅に少しずつ堆積していった。
そんな折、予期せぬ来訪者があった。
「久しぶりだね、リデラヒルト。君から会いに来るなんて珍しい」
「ハァイ、ネーデル。前に会った時より顔色は良くなったけど、婚約者が会いに来たにしては浮かない顔ね。またお兄さんのこと? 嫉妬しちゃうわ」
「いや、少し考え事があっただけさ。今はほら、こんなに笑顔」
冗談めかして互いに笑う。
リデラヒルトは十摂家の一つ、【千里】のノルーヌ家の当主ご息女の一人だ。
貴族令嬢にしては口が軽いが、人当たりの良さから周囲には好かれている。
元は親が勝手に決めたニーベルの婚約者だったが、今は当主であるネーデルの婚約者になっている。
元々貴族の家同士なら政略結婚が当たり前だし、彼女とニーベルは特段親密でもなく、そしてネーデルと彼女は同じく政略結婚に対しては「そういうもの」という共通認識を持っている。故に特段関係が拗ることはなく付き合っている。ブルグント家内のごたごたが片付いた今、結婚式の予定まで建てている。
ただ、憂鬱が募っていたネーデルにとってお喋り上手な彼女との会話は久しぶりに気兼ねのないものとなった。
下手に愛があるよりは、こういった気楽な付き合いの方が楽でよかった。
「あはは……あ、そうそう。こんな噂があるんだけど」
「へぇ、それはどんな?」
「国王陛下が女神の託宣を受けて何かの準備をしてるって話」
その言葉は極めて気軽に、しかしリデラヒルトの目は今まで見たことがないくらい真剣なものに変貌していた。
「一週間くらい前から、急に近衛とか王家お抱えの考古学者が忙しく動き出してね。十摂家のうち幾つかに使者が入ったり、国外に出ている役人を呼び戻したりしてるって……」
「託宣……何か始めるつもりなのか?」
「だけど、何を始めるのかが分からない。パパにも話が来たし、多分もうすぐネーデルの所にも来る。十賢円卓会議の知らせが」
「……! 国の緊急事態に召集される最重要会議じゃないか……!」
「ねぇネーデル、わたし嫌な予感がするの。表向き世界は変わらないのに、見えない裏側で大切なものが塗り替えられているような……そんな嫌な予感が」
リデラヒルトの手がネーデルの手に触れる。
彼女の手は微かに震え、汗ばんでいた。
自分がこの話を婚約者に伝えることが正解かどうか、彼女にも分かっていないのだと悟る。
国内最大貴族の未来を担う二つの家すら把握できない何がか、アーリアル歴王国内で動き出していた。
(兄さんが、何か掴んでないかな……)
ネーデルはリデラヒルトを宥めて彼女を見送った後、自室の隠し棚に保管されていた神秘道具を引っ張り出す。
今は緊急と言えるものではないが、もう少し状況が見えたら使うべきだとネーデルは決心した。
◆ ◇
ある日――うっかり仕事道具をギルドに忘れてしまったシオリは、魔将デナトレス・フルイドことディナちゃんの付き添いでそれを回収しに行き、夜道を帰っていました。
「最近人間の生活も板についてきたな~。サーヤちゃんも遂に自分に正直になったみたいだし、人間関係は順風満帆! あとは母さんの心配事だけかな~」
町では「サーヤちゃんの双子の妹で、ずっと病気だったのが治ってここに引っ越してきた」という設定で活動しているディナちゃん。とてもではありませんが、隣り合って歩いていると普通のマギムにしか見えません。
というか自分に正直にって、彼女のコピーはその恋心まで認識しているのでしょうか。
「感覚的にだよ、感覚的に。深層意識しかコピーできないからさ、ニーベルが好きなのは分かるけどぐいぐい接近せず遠慮してた理由とかは分からないの。記憶もコピーしてるんだけど、あくまでそれは設定資料渡されたような感覚だから完全には馴染まないワケ」
つまりディナちゃんにコピーされると建前や隠し事が取っ払われて剥き出しの人間性が取り出されてしまう、ということでしょうか。
さらっと恐ろしい話です。
自分の隠したい秘密が全て暴露される訳ですし、こんな能力があると尋問という行為の意味がなくなります。コピーされたら何もされずとも情報を抜き取れてしまいますから。
それにしても、サーヤさんの双子の妹でヒスイちゃんの子どもでブラッドリーさんの妹。加えて変装の名人と凄腕尋問者の側面を併せ持ち、肉体的には理想的なタンク――敵の注意を引きつけ、受け止める役――とは、流石魔将。
戦役終了後は戦闘力より特殊能力を重視した魔将が生まれるそうですが、納得のハイスペックです。
しかし、シオリはそんな魔将に少し聞きたいことがありました。
魔将は、表向き確認された全てが退魔戦役で討ち取られています。
こういう言い方は嫌な思いをするかもしれませんが、彼らは殺されるために生まれてきているのです。しかし魔将は死の間際に命乞いをしたとか泣き叫んだとか、そういった記録は一切ありません。
――ディナさんは、死ぬことが怖くないのでしょうか?
セツナの問いに、ディナは意外そうに感嘆の声を漏らす。
「はぇー、切り込んでくるねー。でもシオリいい人だし真面目だから、悩む前に答えて進ぜよう! 死ぬときの寂しさはあるけど、怖さはないかな。私以外の皆もそうだったと思う。ネイアンおねぇは恋に落ちて暴走したから例外かもだけど」
シオリは、死ぬのは怖いです。
怖いことが沢山あります。
魔将に恐怖の感情はないのでしょうか?
「ううん、そうじゃなくてなんていうか……根本的に死生観が違うんだと思う」
その時のディナちゃんは、サーヤさんのコピーではなく、恐らくはデナトレス・フロイドとしての本音を語っていました。
「人間って生きている間に何かを残して死のうとするものだと思うの。財産、偉業、思想、子供……自棄になった人でも事件とかの結果を残したがるよね? それは自分が世界に生まれたことには意味があったと証明する為……だけど、魔将は違う。生まれてきたこと自体が意味だし、存在の証明は母さんがいる時点で成されてる。私たちは母さんに望まれてるし、人間の未来の礎になる価値があるし、子供を残さなくとも母さんがデータを全て保存してくれてるもの。だからね……死ぬまでにどうするか、どんな風に終わるかを、私たちは楽しみにして生きるの」
それは――部品としての生き方のように感じます。
「まぁそうとも言えるけど、それで別に不満はないよ? 自由ってなると、逆に全く必要性のないことをやるってことだから、そっちの方が私たちには難しい生き方かな。それに母さんは別に死ななくていいし、死んだように偽装することも出来るって言ってる。ただ、誰もそれを選ばない。私たちにとっては魅力のない選択肢だから。戦いの中で己を超える存在に打ち倒される方が安心するじゃん。ああ、この人が未来を担っていくんだって……じゃあ倒れても安心して死ねるなって」
自分の死こそが、価値?
「まぁ、これはあくまでアタシの考え方。魔将によって多少考え方に違いはあると思うよ。エルムガストって魔将、知ってる?」
エルムガスト……かの英傑、【慈愛の聖女】エルディーネさんが撃破した魔将です。
資料によると実体が存在せず、周囲の物体を自在に操る術を行使するため出現当初は何の抵抗も出来ず人類側は一方的に嬲り殺されたそうです。
しかしエルディーネさんと【数学賢者】ゴルドバッハが二人で【ポゼッション・フィギュア】という術を開発。無理やりエルムガストに実体を持たせることで撃破に成功し、エルディーネさんは女神の祝福を――。
「実際には女神じゃなくてエルムガストの祝福。死の間際に自分の神秘をエルディーネに注ぎ込んで、彼女は年を取らなくなった。あれはどっちかというと呪いなのよ。本人もそれを自覚してるみたいだけど、先に噂が広まってしまってむしろ今のままの方が波風が立たないと思ったんだろうね」
魔将エルムガストはいったい何故、そんなことを……?
「母さんの指示ではないね。どっちかというとワガママ。エルディーネの美しさを見て、いつかそれが失われるという事実が辛くなったらしいよ。もちろんエルディーネが永遠を望まないのであれば、母さんはその呪いを解くだろうけど……羨ましいよね。母さんにワガママ言ってまで実現したいモノがあるとかさ」
なんだか、また壮絶な話を聞いてしまった気分です。
魔将とは死の間際にこそ最も個性が出る存在なのかもしれません。
彼女はその個性を羨ましがってすらいます。
人間と全く違う価値観の種族――魔将とは、そう考えた方がいいのかもしれません。
でも、その上でシオリは思います。
――ディナちゃんが死んだら多分悲しいです。
――私たちのような小さな人間は、世界の行く末より目先の悲しみが気になって一喜一憂する生き物です。
――ですからそのことは……忘れないでくださいね。
「……」
ディナちゃんは暫くきょとんとした顔をしていましたが、やがて破顔してシオリの頭を抱きしめました。
「もう、ヤダシオリったらもう!! そんなこと言われたら死ににくくなっちゃうじゃん!! ああそっか、そういう! あはははは、策士めこのこのぉ!! 色んな人が貴方に夢中になるのがよく分かっちゃったぁ!!」
その後しばらくシオリははしゃぐディナにもみくちゃにされ、いい加減痛くなってきて「痛い」と怒りました。ディナちゃんは反省の色が見えない笑みで謝り、二人はそのまま宿に向かいました。
その途中で思いもよらぬ拾い物をすることになるとは、つゆ知らず。
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