第136話 受付嬢ちゃんも先は読めない

 フームス支部長の頂上に、全員が慌てて一礼します。

 支部長は構わないとばかりににこやかに手で制すと、穏やかに微笑みます。


「いやぁ、下の階でなにやら大声が響いているから何事かと思って様子を見に来たよ」

「い、いつからお話を……?」

「ネイビィ受付嬢が参加したすぐ後くらいかな? ワジフラ課長、君の教育熱心な所は私も見習いたいと思うよ。それだけ大声で相手を叱れるのは、それだけ職務に誇りを持っているということだからね」

「ありがとうございます!!」


 先ほどまでの高圧的な態度はどこへやら、へこへこ急に腰が低くなるワジフラ課長。

 彼の怒鳴り声が止んで冷静になった受付嬢ズの心の中で彼の信頼度が大暴落を始めています。元々暴落していたのにまだ落ちまくります。

 特にアシュリーちゃんは完全に塵を見る目です。

 ネイビィちゃんは感情がフラットすぎて見下してるのか無関心なのか分かりません。


 フームス支部長はうんうんと頷きながらカールした髭を撫で、しかし、と続けます。


「若人には若人の言い分がある。それを反論すら許さず怒鳴り散らしては、もし若人の言い分の中に良い意見や鋭い指摘があったとしても、それを圧し潰してしまいかねない。今後ギルドの未来を担っていく若人なのだから、時には優しく話を聞いてあげてもいいと私は思うよ?」

「いや、でもこの……つけあが……いや、私は職員として当然の注意を……」

「日々の繰り返しの中で当然だと思い込むことで見落とすことも、偶然のすれ違いでミスが起きることもある。そうしたことを皆で話し合って解決することこそギルドの良いところだと私は思うよ?」

「そ、そうですね!!」


 権力を振り翳す人間は更なる権力に叩き潰されるようです。

 いつぞやバカ息子ことテルゲさんをあっさり下したニーベルさんを思い出させます。

 そういえば、とシオリはもう一つ確認することがあったのを思い出します。


 ――ところで、この書類が受付課のデスクに置いてあったのですが、こちらの課から回ったりしてませんか? それも確認したかったのですが。


「む? ……おい、デックス!!」


 先ほどシオリに最初に対応した職員、デックスさんが飛んできます。 

 ……有翼族ハルピムなので物理的に。


「どうかしましたか、課長?」

「お前たしか一度受付課からその書類持ってきたよな」

「え? 受付課じゃなくて総務課からですよ?」

「なに? 馬鹿を言え、受付課からまた回ってきているではないか! きちんと確認しろといつも言って……」

「ええ……? 総務課から『余裕が出来たら書類を用意して代わりに提出してくれ』ってことで持ってきたんですけど、課長が書類見るなり『受付課に持っていけ!』って言うもんですから、変だなーと思いながら受付課に持っていきましたよ?」

「……その書類を寄越せ!!」


 シオリの手からばっと書類を掴み取って内容を検めた失礼課長ワジフラが、怒りと困惑の混ざり合った様子で目を剥き、書類を睨みます。

 その様子をみたデックスさんが、もしかして、と眉を顰めます。


「課長……もしかして、表にある受付課の確認サインを見て受付課のものと勘違いしてません? 課の確認は必ずその一行上を確認が基本ですよ?」

「……~~~~っ!」


 勝手に盛り上がり、勝手に勘違いし、勝手に上司に見咎められて勝手に自滅する。

 別にざまぁ見ろとも思いませんし、安心もありません。

 ただ、心底無駄な時間を使わされたな、とその場の全員がうんざりしたようなため息をついて、ワジフラ課長の一人劇場は終幕しました。

 ……仮に特別ボーナスが貰えるとしても、この寸劇には二度と付き合いたくありませんが。


 こうして怒濤の一日が終わり、レジーナちゃんが「今度久々に四人で飲み会しよう!」などと言いだし、わいわいスケジュールを摺り合わせて――その日の帰り、シオリは奇妙な光景を目撃しました。


 ――え、何やってるんです?


「あ、シオリだ」


 そこにいたのはエドマでの一件以来宿にいる子供の姿をした怪物、ガズラと、その彼にお腹の贅肉をタプタプと揺すられる馬鹿息子ことテルゲさんでした。


「いやね、たまたまこのヒトに会ってさ。話したらセツナって子はこのお腹を叩いたり揺するのが好きだったって言うから同じことしたらその子の気持ちが分かるかな~って」


 ――分かりました?


「いや全然! でもまぁ面白い経験だったよ!」


 お腹から手を放して屈託ない笑みを見せるガズラ。

 その背後でやっと解放されたとばかりにため息をつくテルゲさん。

 以前と同じくガズラがあの宿にいる=ニーベルさんたちと知り合いということで大人げない反撃を避けたようですが、そういえばセツナちゃんはこの人のお腹が好きだったなという嘗ての日常を思い出すと少しだけしんみりしてしまいます。


「……シオリ」


 ――なんでしょうか、テルゲさん。


「セツナは今頃、元気にしてるんだろうか」


 初めて聞く、テルゲさんの他者を真に気遣う言葉。

 嘗ては言い訳のしようがないほど欲望まみれで自己中心的だった彼は、シオリが思っていた以上に純真なセツナちゃんといる時間に安らぎを感じていたのかもしれません。


 ――きっと元気にやっていますよ。


「……そうだろうか」


 当たり障りのない言葉を並べようとしたシオリでしたが、ほんの少し――今までの彼の蛮行の数々を許す訳では決してありませんが、ほんの少しだけ本当のことを告げることにしました。


 ――でも寂しさがないと言ったら嘘だと思うので、またギルドに遊びに来て欲しいですね。


「そうか。そうか……そうだな。では次にセツナに会った時も腹で遊ばせてやるために、まだ痩せないでおこう」


 そう言って自分の腹をぽんと叩いたテルゲさんは、夕日の沈む方へゆっくりと帰っていきました。今日はお連れもいません。

 今はなく、そしてもうすぐ崩れ去り、しかしまた取り戻さんと願う景色。

 それを共有できるようになる日を願って、シオリは彼に別れの手を振りました。

 シオリを真似るように目一杯に手を振ったガズラは「彼は優しいね」と呟くと、シオリに手を伸ばします。


「じゃ、僕たちも宿に帰ろう! 今日は僕がシオリの警備担当だよ!」


 無邪気な子供そのものの姿と笑み、そして差し出された手。

 シオリはそれを握り返そうといますが、何かが――言葉に出来ない、心の底に眠る何かがそれを拒否して済んでのところで手が止まります。

 ガズラはそれを少し残念そうに、「まだダメかぁ」と手を下げると、先導するように歩き出します。


「ごめんごめん、なんか僕、急ぎすぎるみたいでさ。気にしないでよ」


 ――ありがとうございます、ガズラさん。


「くんでいいってばぁ。って、ああ。これも急ぎすぎなのかな? 苦手なものに慣れるって感覚が分からないからどうもすぐ思ったこと言っちゃうんだ」


 気にしていないと手を振るガズラですが、シオリは正直気にしています。

 ここ最近、魔将ハロルドが側にいる生活に順応してきているシオリが、何故かガズラだけは苦手意識が消えないのです。彼に近づこうとすると本能の奥底に眠る何かがそれを拒絶しようと暴れだし、手を握ることさえ出来ていません。




 翌日――幸いにも受付課長からシオリたちが怒られることはありませんでした。


「まぁ悪くないから当たり前なんだけどな」

「ですよね……私たち完全に被害者でしたし」

「でもでもぉ、ワジフラ課長は誰かから怒られたんじゃないですかぁ? 廊下ですれ違ったときにへったくそな愛想振りまかれましたよぉ? 全然気の使い方がズレてるなぁって思いましたけど」

「なにそれウケる」


 この騒ぎに反省して態度を改めたかに見えたワジフラ課長でしたが、その日のうちに支部長に見つからないように保管室に連れ込んで説教するようになっただけということがすぐにバレて受付嬢一同は肩をすくめました。

 部下を逃げられない状況に追い込んでいる行為はもっと悪質な気がするので内部通報決定です。


 既に彼の悪評はギルド内に出回っているため、彼が『敬う気にならない上司ランキング』で一位の栄冠に輝く日は遠くないでしょう。


 変わることの出来ないワジフラと、些細な出会いで変わったテルゲさん。

 性根というものは、なかなかどうして読めないものです。

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