第135話 受付嬢ちゃんも辟易する

 これは、セツナちゃんを連れ帰るための準備が続く嵐の前の平和なギルドの一日の話。


 ――その日の夕方、小さな騒動は幕を開けました。


「――あれ? この書類そろそろ提出しねーと駄目な奴じゃね?」


 カウンター業務を引き継ぎに任せて書類仕事に入った頃、レジーナちゃんがデスクにある一つの書類をつまみ上げてそう言いました。

 変だね、変ですね、と、受付嬢ズが集まって書類を検めます。

 アシュリーちゃんが不思議そうに首を傾げました。


「確かに6時までには指定部署に出さないと処理が一日遅れて怒られる奴ですねぇ……でも提出に必要な署名はあるし、確か昼に目を通した記憶あるし、何でここにあるんでしょう?」

「ええっと――あっ、これ添付書類が足りていません!」

「マジかよよく気付いたなモニカ。んでも何でここに? ウチら心当たりないよな?」


 全員が頷き、首を傾げます。

 シオリも目を通してみると、この書類はどうやら隣の部署と跨って確認が必要なもののようで、アシュリーちゃんの言った通り昼に目を通してサインして欲しい旨を承諾した受付課長によってサイン済みです。

 サインが終わっているならそのまま提出される筈なのにぽつんと放置されていた理由を考えたレジーナちゃんが心底嫌そうに嘆息します。


「え、なにこれ。ウチらに書類用意しろっての? はぁぁ……足りない書類ってどれよモニカ」 

「会計課の昨年度書類が……」

「会計課って……確か、いま書類が行方不明とかで保管庫閉め切ってるってカリーナさんが言っていましたよね?」


 その話はシオリも覚えています。

 今年度から書類の保存方法が変わったことで現場にトラブルがあり、いくつかの重要書類が別の書類に混ざってしまったため朝から確認作業に追われているという話でした。

 しかし、あれから時間が経ちましたし、確認すべき書類は大した量ではありません。いざ確認に行ってみたら案外整理も終わっていて、あっさり書類が揃うかもしれません。

 それに、この書類は一度会計課に回っている筈なので、うちに書類を回した経緯を突き止める意味でも足を運ぶ意味はあると思います。

 シオリの主張に一同は頷きます。


「だな。文句言いにいくか!」

「ま、まだ会計課の人がやったとは決まってないんですけど……」

「どうせ他の仕事は片付いてるし、私も一緒に行くよ!」


 という訳で、珍しく四人で仲良く会計課に向かいます。

 決して早くに仕事を終わらせて席に座っていると追加で仕事を押しつけられるからではありません。断じて。でもたまに来ると許せなくなるのは人情でしょう。


 途中、エドマ氷国連合での出張についてから人間関係までレジーナちゃんが色々聞いて来て大変でしたが、当たり障りのない話やサクマさんとシェリアちゃんの恋話をネタになんとか乗り切りました。

 少々教科書通りのような感想も出ましたが、ひとまず怪しまれはしなかったようです。ただ、アシュリーちゃんが不意に何度か鋭い視線を送ってきたのは気になりました。


 アシュリーちゃんは図太い性格ですが、シオリが何かを隠していることには気付いている節があります。だからといってそれをネタに何かする訳でもないのが、彼女が何を考えているのかを分からなくさせます。

 次の瞬間になればアシュリーちゃんはいつものぶりっこな態度で別人のように振る舞っています。


「いーなー、私もそろそろ出張ラッシュ来ないかな~」

「とびきり遠くのド田舎に向わされたりしてな! はははは!」

「……若干笑えないジョークどうも、レジーナちゃん」


 そうしてワヤワヤと話ながら到着した会計課で質問をしたシオリたちを待っていたのは――ベテラン会計課長のワジフラさんによる全く以て無駄にデカイ声量によるまくしたてでした。


「今の時間はまだ4時半な訳であって書類整理があと1時間で終わる予定なんだから態々私の邪魔をしてまでその書類は急いで作成しないといけないものなんだろうね!! 火急速やかに滞りなく提出しないと業務に問題が出るほど重要な書類ならまだしも我々が忙しい時に貴重な時間を割いて特定の書類を探させるのにたかが若手受付嬢ごときが要求するのかね!?」

「「「……」」」


 シオリたちは、書類整理は終わってますかと聞き、いつ頃終わるか目途がついたら知らせてくれませんかと係の人に言っただけです。

 用意しろだなんて唯の一言も言っていません。

 ところが係の人が上司に確認すると席を外して僅か十数秒、烈火のごとく一人で勝手に怒れる会計課長ワジフラは怒涛の勢いで全く聞いてもいないことを勝手に勘違いしてまくしたてています。


 その剣幕が余りにも独り善がりにヒートアップするものだから、言い返す暇がなくレジーナちゃんさえまだ何も言えません。


「そもそも、わざわざ上司の機嫌を損ねるようなことをこんなタイミングで持ち出すというのが仕事に対して真摯になれていないことの証明なのだ! ギルドでこのような状態であるようなら別の職場でも通じないことを肝に銘じるべくだと思うがねぇ!?」

「……」


 訂正、レジーナちゃんは早い段階で聞いても無駄だと判断して何も聞いていません。


 なんか勝手に盛り上がっているワジフラですが、恐らく、同じような確認が別部署から何度かあったことが盛り上がっている原因のひとつでしょう。

 他、知らせた人が話を正確に伝えず端折り、勘違いが連鎖したとか。

 終わらない作業に課長のイライラが高まっていたのも原因かもしれません。

 そして、基本年功序列のギルドに於いて相手が顔を合わせる機会のない新米娘たち――彼からすればひどく未熟に見えている――だったことなど、とにかく悪条件が重なったと思われます。


 ……まぁ、悪条件が重なったら怒鳴り散らしていいなんてルールはギルドにも社会にもありませんが。しかもシオリたちが悪い訳でもないのに。

 ヒートアップするワジフラはとうとうヒトを貶したいあまりあらゆる方面に喧嘩を売り始めます。


「この忙しい時に無駄な時間を取らせて君たちの課長は一体部下にどんな教育を受けさせているんだね!! 女だからと甘く見積もるなと君たちの上司に苦情を入れさせてもらうぞ!! 冒険者に少しチヤホヤされるからと勘違いする受付嬢が役に立たず事務を下ろされる所など私は前のギルドで何度も見てきたんだ!! 冒険者たちに人気があるからと言ってつけあがるのもいい加減にしたまえッ!!」

(ねぇいま別ギルドで見てきたって言ったよねこのヒト?)

(うちのギルドで見てきたじゃないんですね……)


 自分の言葉を正当化するために都合の良い根拠だけを記憶から持ち出す様は、もはや仕事の本分を忘却しているのではとさえ思います。

 ここまでいくと被害妄想です。

 ないし、単なる八つ当たりです。

 しかも勢いに任せて他部署の上司の悪口を言い、職業蔑視と女性蔑視の発言を重ね掛けしてきました。


 イラつくのは理解しなくもないけれど、流石にこれはあんまりではないですか? とシオリの心にふつふつとした怒りがこみ上げてきた、そのとき――。


「お、いたいた。おーい昼組~。夜組の引継ぎの件でちょっと話が……あら? 何、説教中?」


 後ろの扉からひょっこり顔を出したのは、受付嬢夜組のネイビィちゃんです。

 シオリはちょくちょく休暇で彼女と一緒に買い物に行ったりするので親しい仲ですが、シオリたちがいないからわざわざ探しに来たようです。


「何だね君は!! 今話の最中で――!!」

「はぁ。その話って急ぎですか?」

「急ぎかどうかではなく、話の最中に割り込むことが無礼だと――!!」

「こっち急ぎなんですよ。その話、中断して後で改めてするのは絶対に出来ないほど喫緊ですか? 夜の仕事の引継ぎってデリケートなんで話を終わらせる時間決めてください。決めないとキリないですし。で、何の話してたのシオリたちは?」


 ――書類が揃わないので、保管庫の整理が終わってるかどうか聞きに来たんですけど……。


「終わってるんですか?」

「終わっていないからこうして怒って――!!」

「終わってないなら終わってないって言って会話終わらせて、作業に戻ればよくないですか?」


 ネイビィちゃん、怒り狂う上司相手にもひたすらに感情がフラットです。ネイビィちゃんはシオリたちがこうなった経緯を知らないし、課長の怒りの理由もよく分かっていないのでひたすら理路整然と話を進めます。


「整理中断してるの非効率ですし、それって受付嬢四人分の仕事を一度に止めることに釣り合う内容ですか? 受付嬢の時給知ってます? 私も止められてるんで受付嬢の時給×5を今あなた無駄に浪費してるんですけど自覚あります?」

「間違った相手は注意せねばまた同じ過ちを冒すものだ! それを指導するのが先達の――!!」

「過ちって個別具体的になんですか?」

「わざわざ書類整理の作業をしている私を呼び止めて、緊急性のない書類を用意させろと言ったことだ!!」

「……言ったの?」


 ネイビィちゃんの問いに、シオリを含め全員が首を横に振りました。


「ひとっことも言ってねぇ」

「ただ終わってるかどうか、いつ頃終わりそうか確認したかっただけです……」

「むしろ課長がいきなり出てきて私たち吃驚なんですけど」

「ふざけるな!! 私は確かに聞いた――!!」

「でも四人言ってないって言ってるんですよ。多数決で言ってないでしょ。聞き間違いか伝達ミスじゃないんですか?」

「この、私の判断を疑うとでもいうのかね!? 私はこの道三十年のベテランギルド職員だぞ!! そのような些細なミスは――」


 と、急に言葉を切った課長が突然目を見開き、シオリたちの後ろを凝視しています。

 つられて後ろを振り返ってみると――そこにいたのは恰幅が良くおおらかな笑みを浮かべた髭の紳士、我らがフームス支部長がいるではありませんか!!

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