第134話 交差する薪

 彼女は優しいので人を傷つけることを恐れているのかもしれない。

 当時のニーベルは不思議と、そう感じ始めていた。

 最初から彼女は戦いの中でこちらの戦意喪失ばかりを狙っていた。

 主義主張で倫理を覆い隠し、ヒトを平気で傷つけるテロリストにはあり得ないことだ。


「あの後、君とは何度も出くわした。刃を交えたことも何度かあった。でも、君は頑なに俺を焼き殺そうとはしなかった。いや、火傷一つ負わせた際に自分でショックを受けてたこともあったっけ」

「お、お前のどんくささに呆れただけだ!!」


 必死になって否定するが、そもそもサーヤとニーベルでは装備の性能が余りにも違いすぎて本来は勝負にすらならない筈なのだ。


 やがてニーベルは偶然にもアーリアル歴王国の外でも数度サーヤと出くわし、追跡するうちに彼女の優しさに確信を得ていった。同時にガサツで口が悪くアーリアル歴王国の人間だというだけで悪口を大連発する彼女の人間らしさに親近感を抱いてしまっていた。

 テロの内容も、見れば見る程慎重だった。

 怪我人すら極端に減らそうとしている節があった。


「人を殺すのは怖い――そんな当たり前の事を当たり前に思っている。そんな感性を持つ女の子がテロリストなんて、向いてないよ」


 もし彼女がいつか思い詰めて本当にヒトを殺めなければならなくなったとき、命を懸けてでも止めなければならない。

 彼女を外道に行かせてはならない。

 そんな感情を、ニーベルは彼女に抱いていた。

 今、目の前で強がるサーヤにも変わらずそう思っている。


「だから俺はずっと、君がテロを諦めるまで俺が監視しようと思った」

「ふ……ふざけんなッ!! さっきの狂乱を見てなんでそんなことが言えるわけ!?」


 サーヤはニーベルの肩に掴みかかって揺さぶる。

 しかし、ニーベルは意見を曲げる気はなかった。


「神秘術、一切使わなかったよな。急所にも手を向けない。本当にただ暴れただけだった」

「恨んでんだよ、あんたの国を!! 見下してたのだって本当だ!! そ、その気になれば人間なんか一瞬で焼き殺して――!」

「君はその気にはならない」

「根拠がないじゃん!!」

「そりゃそうさ。俺が勝手に信じてるだけだ。焼かれたとしたら、俺に見る目がなかっただけさ」

「ぐっ、う……」


 サーヤは言い返す言葉が見つからないままニーベルに体重をかけ、諸共床に転がった。

 ニーベルを押し倒す形で上に跨ったサーヤの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。

 復讐者にもテロリストにも必要ない、温かな涙を。

 彼女はうわずったか細い声を漏らす。


「何でそんなに優しくするんだよぉ……ずっとずっと、世間様の敵だった頃から!! 昨日までウザい顔してたくせに、何でアタシより迷いのない顔になってんだよぉ……何で、何で大っ嫌いなアーリアル歴王国で育ったお前が、一番アタシの心を見透かしてんだ……!!」


 そこにいるのは、復讐心に身を焦がされることを恐れるどこにでもいる弱い少女だった。

 彼女が復讐心に押し潰されるのを恐れるのは当たり前のことだ。

 憎しみがあるから誰でも殺しを受け入れられるなんて、ヒトはそんなに簡単にできていない。

 だから、サーヤはきっとこれでいい。

 過ちを過ちだと思える感性を残していていい。


「俺には君の考えていることなんて半分も分からない。でも、復讐するだけの理由と憎しみを持っているからと言って、必ず復讐しなきゃいけない訳じゃない。君にも普通に幸せになる権利がある」

「でも、憎しみは消えない……忘れられないんだよぉ!!」

「忘れることは出来なくとも、受け入れることなら出来る。サーヤがテロリストを止めて普通の女の子になるまで、俺は君と共にいる。できれば、普通になった後も」

「私なんかとずっと……?」

「ああ、ずっと」


 仮にそれが一生を掛けても難しいことだとしても。

 ニーベルは、サーヤの中にある優しさを失わせたくない。


「これは、俺の我が儘だ」


 ――それから、どれほど見つめ合っただろう。

 気が付けばサーヤの涙は止まり、どこか解放されたような柔らかい笑みが零れていた。

 そんな女性らしい顔が出来るのかと驚くが、彼女に思いが伝わったのが嬉しくてニーベルも自然と笑みで返す。

 と、サーヤが急にはっとして顔を振る。

 閉じた目をそっと開けた彼女は、先ほどとも普段とも違う空気を纏っていた。

 慌てたような余裕のない眼差しをぶつけてくる。


「か……勘違いするぞ」

「え?」

「ああ、あ、アタシは! 身内以外の男に優しくされたことなんか……ない。体ヒンソーだし、髪色も昔みたいにキレーじゃないし、口悪いしテロリストだし復讐のこと忘れられなくて暴れる最低最悪の女だ!! そんな女に、や、優しくしたらなぁ……勘違いするぞ!! さっさとアタシをどけないと……し、しちゃうぞ!!」


 漸く何を言わんとしているのかに気付いたニーベルは、しかし、抵抗しなかった。

 というより、心臓が高鳴って抵抗することに気が回らなかった。

 恥じらいを隠せないままやけくそ気味にゆっくりと顔を近づけてくるサーヤが何をしようとしているのかを悟りながら、その顔から目が離せない。


 今更気付かされてしまった。

 人生で初めての経験だし、こんな瞬間にやってくるものと思わなかった。

 今、ニーベルは驚くほどに……この初心で優しい少女を愛おしく思っている。


 彼女の息がかかるほど顔が近くなって、ニーベルはようやく手を動かした。


「サーヤ……」

「ニーベル、アタシを見て。ずっとずっと、この憎しみが霞むほど……見てくれないと、もう焼いちゃうんだからね。アタシより綺麗な女にうつつを抜かしたら、アタシ本気で焼かない自信なくしちゃうことしようとしてるよ……」

「きみ、意外と奥手だったんだな」

「あ……」

「逆だぞ。俺が君を、絶対離さないんだ」


 垂れる彼女の髪を掻き分けて頬を優しく撫でる。

 彼女がそれ以上口を近づける前に、ニーベルは体を起こして彼女の唇を奪った。

 赤槍師は数秒、硬直して動かなかったが、少ししてニーベルの背中に手を回し、求めるように抱きしめた。やがてもつれ合う二人の身体はベッドの上に横たわる。


 部屋の中で何があったのかは、桜の防音術式が全て遮断したために誰も知らない。




 ◇ ◆




 ――翌日、ニーベルの部屋のベッドの上。


「「やっちまったぁぁぁぁぁーーーーーーーーーッ!!」」


 ニーベルとサーヤは若さゆえの一夜の過ちにベッドの上で悶え苦しんだ。

 人間、雰囲気に流されてやってしまった後に自分を顧みて後悔する事はあるものである。

 とはいえ二人のそれは結果自体に後悔はない。

 二人が悶えているのは、もう仲間たちに言い逃れ出来ないくらいバレているであろうことにだ。


 時間は既に昼。

 ニーベルの部屋に入ったっきり出てきていないサーヤ。

 二人の間に何も起きない筈もない。

 この状況で本気で言い逃れが出来たとしたら、それは天才的な詐欺師である。


「どうしよ……暫く失踪したい」

「二人一緒に?」

「余計邪推されるじゃん! ばか!」


 サーヤは顔を赤くしてニーベルをぽかりと殴る。

 ニーベルは、逃げ場がないのは分かっているのか諦めの笑みを浮かべた。


 二人を茶化すように、野鳥が外で愉快そうにチュンチュンと鳴いていた。


 そして、ニーベルはサクマに過去一怒られた。


「お前なぁ……一応祝福するけどなんつータイミングでやってんだよ。地球じゃこういう重要な局面でいきなり女に愛の告白したり『この戦いが終わったら俺……』とか将来の夢語り出す奴は死にやすいっていうクッソ縁起の悪いジンクスあんだぞ!! こっちの世界にも伝わってるの知ってんだろ!!」

「……」

「どうした、おいまさか……」

「そういえば危うく戦いが終わった後に何するかってサーヤに話しかけた」

「お前マジでいい加減にしろよぉッ!? 俺を置いて勝手にあの世行くフラグをコツコツ建設してんじゃねぇッ!! タダでさえ罅と風穴だらけの俺のガラスのハートにトドメ刺す気かこのヤロォォォォーーーーーッ!!!」

「おおおお落ち着け落ち着け分かった分かったから胸ぐら掴んで揺するのは勘弁してくれぇッ!!」


 ……後に、あんなにサクマにキレられたのは後にも先にもあの時だけだったとニーベルは語ったという。

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