第133話 篝火

 一度は落ち着きを取り戻した今も、サーヤの内側を憎しみの炎は蝕み続けている。もしかすれば、彼女がまともなふりをしていられたのは奇蹟なのかもしれない。

 ニーベルが彼女を案じていると、先にサーヤが遠い過去を回顧するように呟く。


「あたしがまともな人間のふりをしていられたのは、おじさんがいたから」

「おじさん?」

「ルードヴィヒが……おじさんは復讐心を見抜いてた。おじさんはどうしても殺しが必要な仕事は全部アタシから掠め取って、子供には早いって笑ってた。すぐ人を子供扱いして、おちょくって……なのに、温かくて優しい。人類は友達だって周りに言って聞かせて歌ったり、不思議な人。もう一人のお父さんだと思ってるくらい……」


 その名前をニーベルは最近になって知った。

 実はスピネルと名乗っていた奇妙だが人が善いと思っていた、そして今はもうギルドにいない冒険者の、真の名前。


「ルードヴィヒ……裏切りの英雄。【黒き風刃】クロエに狙われてる?」

「そ。おじさんは本来、精神を一気に人間に近づけた魔将が感情に任せて暴走するのを抑える役割を持ってた。けど、予想外の事があったから……裏切らなければいけなかった。ゼオムの中でもなお天才……現代神秘術の祖、【数学賢者】ゴルドバッハがしまったから」


 第二次退魔戦役の最中、ゴルドバッハはリメインズから発見された端末を解析し、遺伝子認証データから逆算して「地球人遺伝子」の存在に気付いた――らしい。

 彼はこの秘密が星の秘密を解き明かすことや、マギムの一部にこれと一致する遺伝子を持つ人間がいることまで突き止め――まだ知られるには早すぎる為に、ルードヴィヒによって殺害された。


「でもおじさんはミスをした。ネイアンが予定外の殺戮を行い始めていたことを察知したおじさんは、焦った。本来は記憶消去を用いればゴルドバッハ一人の死で十分だったのに、それをする時間がなくて全員を殺害した。急いでネイアンと【鉄血の猛将】シグルの間に割って入らなきゃいけなかったから……後回しにするという選択を取るのが本来の最適だった。でなければクロエに見られはしなかったのに……」


 それは時間という焦り、感情という不測、そして偶然が生み出した悲劇。

 クロエと出くわしたルードヴィヒは『鬼』に認定されて姿を消さざるを得なくなり、結局ネイアンとシグルの全面衝突に何一つ干渉できなかった――それが、歴史の裏の更に奥に隠された真実。

 過去の戦役に横たわる悲劇に、ニーベルは言葉を失う。

 そのおかげでブラッドリーという存在が生まれはしたが、同時に多くの悲劇が周囲に付き纏った。


「おじさんはそのことをずっと悔やんでる。だからいつも言うの。『サーヤは人を殺す以外の道を探して、いつか誰かに恋するような子になって欲しい』って……そんな自分は想像できないし、将来どうなっちゃうのかなんて知らない。こんな……信徒以外の色んな人と一緒に行動するって言われても、すぐに受け入れられないよ……」


 それは、ニーベルの想像とは全く違った彼女の弱音。

 女神の名の下に行動を許され、誰より正しい道を歩める存在だと思っていた人間の本音は、ニーベルの予想とは全く真逆で不安に溢れていた。心のどこかでずっと彼女に嫉妬していた自分を恥じる。


(俺は――馬鹿だ。一人で勝手に被害者面して、なにやってんだ……みんな辛くて、確たるもののない人生の中でもがいてるのに……縋る先ばかり探して……)


 昨日までの自分を殴り飛ばしてやりたかった。

 不思議な事に、あれだけ悩み苦しんだのに、目標はすんなり出てきた。この少女がいつか憎しみから解き放たれる日がくるまで、ニーベルは彼女と共にいると決めた。今度は監視じゃなく、もっと互いに理解し合えるように。


「ねぇ、そろそろこっちが質問していい?」

「……いいよ。何が聞きたかったんだ?」

「アンタ、なんでアタシが異端宗派ステュアートだって周りに言いふらさなかったの?」

「そんなことでいいのか?」

「いいから言って。アタシだけこんなに恥かいて、不平等」


 拗ねるような言葉だったが、まさかそれほど単純な話を聞きたかったとは思わなかった。


「君がアーリアル歴王国でテロ行為をして、俺が追いかけたとき……君は『ヘファストの炎薪えんしん』を用いて反撃してきたろ」

「うん」

「全然怖くなかった。むしろ君が怖がってるのかってくらいだった」

「はぁ!?」


 サーヤが跳ね起きてこちらを睨む。

 子犬の威嚇のようにしか感じないものだが、怒りの琴線に触れたようだ。


「人を雑魚扱いしてんじゃねーよ! 骨まで溶かしたろかぁ!?」


 彼女はいつも自分を下に見られないよう強い言葉を使う。

 しかし、ニーベルは知っている。

 この少女が人を憎みながら何を恐れているのかを。


「そりゃ無理だね。だって君、人に炎向けるの怖がってるもん。俺が周囲に言いふらさなかったのは、君がまだ引き返せる存在だと思ったからだよ」


 あの日の夜、ニーベルは彼女の心の闇以外のものを確かに感じた。




 ◆ ◇




 最初に彼女と出会ったとき、二人はまだ通行人と物売りに過ぎなかった。


『もし、そこのお方。マッチ売りのマッチ、宜しければおひとついかが?』

『マッチ? これはまた古風なものを売っているね……』


 冬の寒風が吹き荒れる王都ペルグラントで、周囲に余り相手もされず鼻を赤くして白い吐息を漏らしながら古式な品を売る少女は印象的だった。クリスタル・インフラが発達したアーリアル暦王国においてはマッチなど使ったことがある者すら稀な品だった。

 値段は少し張ったが、この寒空の下で働かなければならない彼女に同情して一つ購入した。

 ほんの微かな違和感を覚えながら、そのことに思い至ることが出来ないまま。


 十摂家出身のニーベルも、当然実物を手に取るのは初めてだった。

 マッチの火は独特の匂いがするという噂を聞いた事のある彼は、好奇心からマッチ箱を開く。狭い紙箱の中を覗くと、中に紋様が見えた。なんの紋様だろう――疑問を呈した瞬間、紋様に神秘の光が宿り、第六感の警告に従ったニーベルはマッチ箱を近くの噴水目がけて投げ飛ばした。


 果たしてその予想は正しく、瞬く間に膨れ上がった炎(ウーヌス)の奔流は噴水の水を全て蒸発させる火柱となって王都ペルグラントを紅く照らした。

 はっとして周囲を見れば、火柱は一つではない。

 ペルグラントのありとあらゆる場所から火柱が立ち上り、人々の悲鳴と怒号が響き渡った。


 我先にと安全を求めて逃走する群衆に突き飛ばされそうになりながら、ニーベルはマッチを売った健気な少女のことを思い出していた。

 あのマッチから炎が出たことは、彼女を疑うには充分な理由だった。


 果たして、彼女は一般人立ち入り禁止の筈の塔の屋上で、嗤っていた。

 両手を広げ、橙色の髪をたなびかせ、逃げ惑い炎に恐れをなす者たちを心底嘲笑していた。


 覚悟を決めて駆けつけた筈のニーベルが足を止めて目の前の光景に圧倒されるほどの、ぐずぐずに煮詰まったヒトの感情の発露。

 ニーベルですら一度も見たことがない、狂気。


 しかし、彼女の視線がある一点に向いた瞬間、その狂気は嘘のように萎んでいく。

 彼女の視界には、恐怖に泣き叫んで動けない子供を群衆から必死に守る母親の姿があった。


 ――そこから先の彼女は、今になって思えば戦意も薄くただ悪ぶっているだけに見えた。

 民が燃えたと思い込んだニーベルは彼女を捕縛しようとしたが、【ヘファストの炎薪(えんしん)】に剣を融解され、それでも引けないと徒手で肉薄したニーベルを見てサーヤは目眩まし程度の炎で脅し、それも通じないと見るやうんざりしたように転移で逃走した。


 町を焼いた炎がヒトだけは燃やせない特殊な術で、犠牲者が誰もいなかったことは、後になって知った。そしてニーベルの心の中で、一つの答えが出た。


「サーヤ。きみはアーリアルなど燃え尽きてしまえばいいと思う程度には恨んでいるが、同時に己の炎が誰かの命を焼くことを躊躇い、恐れている……優しいんだ」


 ルードヴィヒはそれを分かっていたから、彼女に殺しをさせなかった。

 彼女はまだ、引き返せる復讐者なのだから。

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