第132話 燻る火種

 日が沈んだ町、【ウタカタ】の枕の一室に、ニーベルとサーヤはいた。

 二人とも話したいことがある筈なのにすんなり言い出せず、サーヤは結局自分が譲るフリをして先延ばしにする


「アタシの聞きたいことは……すぐ終わるから、アンタ先に聞いてよ」

「君は――君の、身の上話を聞きたい。何があって、何を思って今の立場になったのか。思えば俺は何も聞いてはこなかった」

「言わなかったし。つまんない恨みつらみの話だよ」

「いいよ。教えて欲しい」


 自ら頼み込む形にしたニーベルを、サーヤはずるいと感じた。

 

(仲良くなかった頃は、知ればどんな顔をするかとほくそ笑んでたのになぁ)


 しかし、話し初めて見れば、サーヤの口は正直だった。


「……アーリアル歴王国のすぐ北に、小さい村があった。王国に言葉巧みに乗せられて、林業に従事する奴隷にされたような村……これ言うとアーリアル歴王国民は奴隷じゃねえって言われるんだけど、結ばされた契約書の内容見て本気でそう言えるならイカレてるか馬鹿だと思う」


 アーリアル歴王国のルールと理屈、それのみで固められた契約書という呪いの紙。

 それが齎した悪の結果はニーベルの友であるサクマがよく知っているだろう。


 絶対的強者が弱者に対して突き付けた契約書とは、その時点で対等になりえない。


「森を育て、伐採し、管理し、出荷する機械。殆ど奴隷だけど、魔物からは最低限守ってくれるから暮らしてはいけたよ。その過程で色々と失われていったけどね」

「……」


 林業の契約書のせいで、村は林業以外では儲からなくなった。

 アーリアルが時折持ってくる素晴らしい道具や食品は、金なしには手に入らない。

 牧歌的な暮らしは廃れていき、いつしか村はアーリアルから齎されるものに依存していった。


 それでも、金の為に汗水垂らして働けば何か得る物があっただけマシだった。


「でも、弦月病で全部終わった」

「弦月病……魔物の血液に含まれる毒素を取り込み続けることで死に至る病……」


 ニーベルはその病を自分の目で見たことがある。

 サクマと出会って間もない頃に足を運んだコマヌ国という東の小国で、ある集落に弦月病が蔓延していた。目の下に浮かぶ弦月のように青い隈の子供達が魘されている様は、病の恐ろしさをニーベルの脳裏に強烈に印象づけた。


「でもそれは、症状を知っていれば治せる病だ。現にサクマの薬で快復した所に立ち会ったこともある」


 コマヌ国での弦月病の原因は、川の上流のあった滝つぼで偶然大型の魔物が死に絶え、それが水源を汚染していたせいだった。コマヌ国は弦月病が知られていなかったからあわや大惨事になるところだったが、アーリアル歴王国の人間なら弦月病に気付くだろう。そうでなくとも原因を調べて特定するノウハウを持っている筈だ。


 だから、病気は治って終わるのが自然な流れの筈だ。


(それなのに、サーヤ。君はなんで……)


 サーヤは、けたけた笑っていた。

 楽しいからではない。

 愉しいからでもない。

 あれは――他に何も考える必要がなくなった者特有のものだ。


「クスリは出たよ? 家族で飲んだしアタシも飲んだ。法外な治療費が出るだろうけど死ぬよりマシだってね……アタシ以外に、誰も助からなかったけどさぁッ!!」


 だん、と、サーヤが激憤を露に床を踏みつける。

 みしりと床が軋む音が響き、ともすれは本当に床が抜けるのではないかと思える程の激情の奔流が押し寄せる。


「投薬実験だってよ!! 病気の薬だって言いながら、実際には臨床実験したことのねぇクスリを何も知らねぇアタシたちに飲ませて反応を記録してただけだッ!! うちの村はアーリアル歴王国以外と繋がりがない森の中だったからさぁ、封鎖しちまえば証拠も残らず一つの村が病気で滅亡にんだよッ!!」

「サーヤ、落ち着――」

「聞けよ!! お前が知りたがったことをッ!!」


 彼女が奥底に秘めていた憎悪、悲哀、苦痛が怨嗟の雄叫びとなって止めどなく噴出する。

 血走った瞳にはもうニーベルの姿など見えていない。

 顔も姿も覚えていないどこかのだれかへの、底なしに深い敵意があった。

 

「毒だってあいつらが仕込んだに違いないんだッ! 父さんは薬を飲んで三十分後にえへらえへら笑いだして、突然部屋の外に全力疾走で出て行って崖から落ちて死んだ!! 弟は苦しい苦しい、姉ちゃん助けてって言って、口から泡噴いて自分の胸を掻きむしりながら死んだよ!! 母さんは安らかに寝て――二度と意識は戻らなかった!! アタシはなぁ、ニーベル知ってたかッ!! 村で一番髪が綺麗って褒められてたんだよ……んだよ、これはッ!!」


 ニーベルは息を呑んだ。

 彼女の橙色の髪は、炎の色だ。

 憤怒と憎悪、燃え盛り人を呑み込むもの。


「クスリのせいで全身が爆発するように痛くてさぁ!! 弟が死ぬまでは耐えたけど、無理だったッ!! のたうち回って苦しんで、いっそ死なせてくれって思っても声に出せない地獄を乗り越えた先に――あいつら、あいつらはッ!! 『これは副作用が強いから没だな』って、それだけッ!!」

「サーヤ、もうよせ!!」

「お前らの都合であたしたち全員実験に使っておいて、たったそれだけ言って、村に火を放ちやがったんだよぉぉぉぉッッ!! あいつら殺してやる、全員必ず見つけ出して家族諸共火炙りにして、罪を贖わせてやるんだぁぁぁぁッッ!!!」


 焦点が合っていないことに気付いたニーベルは、サーヤに駆け寄る。

 彼女は己のトラウマに呑み込まれ、感情が暴走していた。

 制止しようとしたニーベルは彼女の細腕からは信じられない力で突き飛ばされ、背中が棚に激突する。棚の上に置いてあったインテリアや荷物が床に散らばり、壊れた。

 彼女のヒステリックな叫び声も相まって宿の宿泊人が異常に気付き、廊下を複数の足音が響く。


 背中の痛みを堪えて即座に立ち上がったニーベルは、とにかく彼女を落ち着かせなければと暴れる彼女に果敢に立ち塞がり、乱暴に振り回される手を押さえる。


「サーヤ、落ち着け!! もういい、もういいんだ!!」

「うるさいうるさいうるさいッッ!! 殺してやる、殺してやる殺してや――」


 何とか怪我させずに押さえ込もうとするが、凄まじい力で押し返される。

 怒りによって力の加減が為されていない。

 下手に張り合うと彼女は折れた手でも押し返しかねない。

 精一杯考えた末、ニーベルは咄嗟に女神の名を出した。


「エレミア様の教えを思い出せ!! 君は神に救われたんだろうッ!!」

「うあぁぁぁぁ!! あ、あ……」


 彼女を抱きしめて、必死に言い聞かせる。背中を引っ掻かれて抵抗されたが、エレミアの名前が出ると次第に力は弱まっていった。


 部屋のドアが乱暴に開く。

 誰かと思ったが、入ってきたのはサクマだけだった。


「精神抑制、必要か?」

「分からない。どうなんだ、サーヤ」

「……ごめん。落ち着いた。抑制は自分でかけるから……」

「そうか。途中凄い声になってたから防音貼っといた。明日までこの部屋でどんなに騒いでも外には響かんから、声は気にせずじっくり話し合え。皆には俺が話す」

「助かる」


 サクマは背を向けながら手をひらひらさせて返事をすると、事情も聞かずに退室した。

 サクマの方が災難を背負っている筈なのに、気を遣わせてばかりのニーベルは申し訳なく思った。

 ぐったりと脱力したサーヤを抱えてベッドに寝かすと、彼女は腕で目元を覆って抵抗せず寝そべった。


「駄目なんだ。記憶消去とか抑制術とか何度かやったんだけど、あの記憶だけは消えない……ウチの家以外にもエレミア様に助けられた生存者は他にも何人かいたけど、今も覚えてるのはアタシだけ……他の子たちは、覚えてるのが辛くて記憶を消して新しい役割に旅立った」

「それで、エレミア様に?」

「信仰心とか星の未来とか、本音ではどうでもいい。あの日のアイツらと、アイツらに薬を与えられる連中より世界にとって価値のある立場になりたかったし、エレミア様以外誰も信じたくなかった。仲間とは打ち解けられたけど……異端宗派ステュアートってホントはどういう意味か知ってる?」

「いや……」

「地球の言葉が由来だけど、女神さまが込めた意味は……このロータ・ロバリーが正しく成長するために管理する存在。星の執事」

「……立派な名前だ」

「アタシはこの名前嫌いなの。エレミア様に変えてって言ったことまである。なんでアタシたちを滅茶苦茶にした連中の未来なんて面倒見なきゃいけないの? 殺しちゃえば全部早かった……女神さまが絶対に無為な虐殺を許さなかった、そこだけが不満だった……」


 まさか女神から賜った有難い名前だとは知らなかったが、それさえ彼女の憎悪の前には価値がなかったようだ。もしかしたら彼女の人格はとっくに破綻しているのかもしれない。それほど深い闇を、彼女は心の中に潜ませている。


 彼女は世界の真実を知り、神徒となって活動していた上でここまで憎んでいるのだ。その人物は本当にアーリアル歴王国の人間だったのか、とは問えなかった。


 ニーベル自身、実は少し不思議に思っていたのだ。

 薬草には困らないアーリアル歴王国だが、新薬の出るペースはこの20年ほどで加速しているらしい。それほどの薬の安全性をどうやって確かめているのだろうか、と。


 今、漸くニーベルは理解出来た。

 あの日、アーリアルの王都エル=グランテ上層で大火が舞い、人々が恐怖に逃げ惑ったあのとき――黒煙と火の粉が立ち上る光景を見て狂ったように笑っていたサーヤの姿は、彼女の真実の一端だったのだ。


 そして、彼女がそうなる原因を生み出したのが他ならぬアーリアル歴王国という国家であることを、ニーベルは半ば確信していた。


(母国の闇はいずれ暴く。必ず――なるだけ早く)


 少人数の犠牲で多くの人間の命を救う薬を作るのは、理にかなっているかもしれない。

 しかし、相手の立場に漬け込んで騙し、証拠隠滅に全てを焼き払った行いは社会に正当化されてはいけない。母国がそれを正さないのであれば、国民の誰かが暴かなければならない。


 そうでないと、犠牲者が余りにも報われない。

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