第129話 受付嬢ちゃんも求める

 仕事が終わり、遂にシオリの最近の癒やしタイムがやってきました。それは【ウタカタ】で繰り広げられる最高の瞬間です。


 現場ではクエレ・デリバリーの仕事で料理を届けるパフィーちゃんと、それを受け取るサクマさんとヒスイちゃんがいます。

 ヒスイちゃんは基本的にサクマさんの護衛に付いて回っているのですが、さすが女神と言うべきか彼女は本来食事を必要としないそうです。そんな彼女は最近、必ず夜にデリバリーの食事を受け取っています。


 ヒスイちゃんはすました顔で受け取ったピザを神秘術の無駄遣いで素早く等分に切り分けて皿に置くと、もはや聞き慣れた前置きをぺらぺら語りだします。


「いいですか、これはあくまで実証データの収集に過ぎません。料理の味など科学的な予測と分析に基づけば全て予測が可能なのですから」

「指摘、能書きが長い。ピザのチーズは冷えると固まり、味や触感が落ちる。速やかに食べることを推奨」

「んじゃ、いただきまーす」


 サクマさん独特の合唱からの食事の挨拶です。

 今は亡き母国の風習をセツナちゃんも真似していましたが、今はしんみりせずに様子を見ましょう。


 こんな安いジャンクフードなんて私の舌には響かないわと言わんばかりに無感動にピザをほおばったヒスイちゃんはしかし、食べた瞬間に目を見開きます。

 彼女に獣耳と尻尾があれば間違いなくピンと反り立ったであろう劇的な反応です。


「こ、これは特別な味覚などではありません。生地にバターにチーズ、少量の野菜ダシと混ざったケチャップにベーコンの風味が乗っただけのもの! 味も触感も予測通り、予測通り……!!」


 と、凄い早口で解説していますが、ヒスイちゃんは夢中でピザを食べています。その様子にパフィーちゃんは何やってんだコイツと言わんばかりで、サクマさんは苦笑いしながらピザを頬張っています。

 実はヒスイちゃん、これまで経歴上全く食事をした経験と必要性がなく、途中まで「食事はしない」と言い切るほど食事に興味がありませんでした。


 しかしサクマさんが「せっかく食べられる体なんだから食べろ」と半ば命令に近い形で要求し、「限りある命のリソースをここで消費することは……」とかぶつぶつ言いながら従いました。

 そのときまでは確かに彼女は「食糧だって無限ではないのだから摂取の必要性がない自分が消費するのは良くない」という考えの持ち主でした。


 ところがどっこい、食事を行った途端にヒスイちゃんは食事の魅力に憑りつかれてしまったのです。


「まぁ、いくらデータがあろうがその限りなく人間に近いボディは一度も使われたことがない訳で。既知の情報が幾ら頭に入っていようが、未知の刺激を舌が味わえば興味くらい出るだろう、とは思ってたんだが……」

「どういうことですかユーザー!! ピザは栄養価の偏った塩分や糖質が過多の料理であるとデータベースの分析が告げているのに、味覚で味わった刺激と多幸感の説明が尽きません!! 何か当該機の味覚システムでは感知できない未知の調味料を練り込んであるのではないですか!?」

「そんなもん誰がこの星で作れるんだ。素直に美味しいって言えばいいのに」


 そう、彼女は味覚検証と称してデリバリーで頼める種類の料理やファストフードを片っ端から食べては毎度こんな反応ばかりするチョロザコ味覚の持ち主だったのです。

 食事をしたことのない彼女にとって、味覚という感覚は余りにも衝撃的過ぎたということでしょう。

 まるで納得いかないという顔なのに、ヒスイちゃんのピザに伸びる手は止まりません


「うう、そんなはずは。そんなはずは……! 当該機でも予測のつかない現象などあってはならないもぐもぐもぐもぐ……はっ!? あと一ピースしかない!? 馬鹿な、当該機の計算システムに狂いを生じさせるとはこれは実はハイ・アイテールによる侵食が発生しているのでは!?」

「ポンコツ属性出さなくていいから」


 尊い。

 無言で目を輝かせながらもくもく食べていたセツナちゃんとは全く違う方向性で尊いです。

 目の前の光景だけでシオリはお腹いっぱいになりそうです。


 さて、残る一つのピザですが、ヒスイちゃんはなかなかのハイペースで食べたので、順当に考えれば食べた量の少ないサクマさんのものになって然るべきです。

 彼女もその事には当然気付いていますが、あの一ピースを食べた瞬間脳内に弾ける味覚のオデッセイが忘れられない彼女の瞳はピザに釘付けです。


 サクマさんはそんな様子を見つつも最後の一ピースを持ち上げて口に運ぼうとし――ああっ! と口に出しそうなほどピザが欲しそうなヒスイちゃんの口にすっと向けます。


「……食べていいよ、最後の一つ」

「ユーザー……! こ、これは当該機が食べたい訳ではなく、ユーザーの適切なカロリー摂取量をコントロールするための行為なので勘違いはしないでくださいねっ!? ……ありがとうございます」


 恥ずかしそうにぼそっとお礼を言いつつひな鳥のようにピザを口で受け取ったヒスイちゃんの姿は、まさに女神級のかわいさでした。

 シオリはその様子を見てによによしつつ、その様子を奇怪なものを見る目で傍観するパフィーちゃんをなでなでしました。


(……人類はこんなのを女神と崇めていたとは。私も紫術士の下で実績を重ねたらこれに忠誠を誓うかもしれなかったなど、信じられん……あとシオリもいつも通り過ぎて正気を疑問視する)


 呆れ顔のパフィーちゃんもまたよいものです。

 可愛さに貴賎なしです。




 ◆ ◇




 今日もギルドは大忙し。

 我儘冒険者に問題児冒険者、更に仕事内での問題と大賑わいです。

 しかし、それだけに欠落した日常の一片を知る者にとっては違いがやけに大きく見えます。


 セツナちゃん――今、どこで何をしているのでしょう。


 シオリは時々ふと、セツナちゃんが寂しくなってギルドに戻ってきているのではと目で彼女を探している時があります。それはサクマさんだけでなく事情を知らない受付嬢メンバーも同じで、レジーナちゃんは少し寂しくなった休憩時間に「本当に帰っちゃったんだな……」と寂寥感のため息をついています。


 セツナちゃんは長時間よくギルドに居たため、ギルド職員にとっても彼女は日常の一部でした。

 しかし彼女は今はいません。

 家族を求め、今の家族を置いてどこかに旅立ってしまいました。


 セツナちゃんが危険な行いをしていないか、寂しい思いに震えていないか……心配は尽きませんが、今は目の前の冒険者さんの行く末を気にしなければなりません。


 そんな折、ギルドの仕事に慣れてきた斧使いの新人冒険者、バンガーさんが話しかけてきました。


「無理してねーか、シオリ?」


 バンガーさんは本当の事情は知りませんが、サクマさんたちとは近しい間柄だっただけにセツナちゃんがいなくなった事実を大きく受け止めていました。


「セツナちゃんがいなくなってから、サクマもニーベルもみんな変だ。急に居なくなったり、距離感変わったりよぉ。それに……最初は寂しがってた冒険者連中も、新しくサクマが連れてきたヒスイちゃんに夢中でよぉ。俺バカだから上手く言えねぇけどさ。その温度差が、やるせねえって言うのかな」


 バンガーさんは小さくため息をついて頭を横に振ります。

 セツナちゃんはギルドのマスコット的な存在として周囲に温かい目で見守られていましたが、ヒスイちゃんがやってきてからはセツナちゃんのことなど忘れてしまったかのようにヒスイちゃんに釘付けです。

 彼女は確かに神話から抜け出してきたような絶世の美少女なので無理もないですが、それが不協和音を齎しています。


「ヒスイちゃんに靡かない奴は奴で、サクマは子供をとっかえひっかえしてセツナを捨てたとかひでぇこと平気で言うんだよ。サクマの奴もドデケェ悩み抱えてんのか話聞いてもはぐらかすし。あんまり周りの悪口がヒデェとヤヤクサの奴がわざと近くの席にどっかり座って黙らせてんの。あいつ、いい奴だったんだな……」


 ヤヤクサ――ラジプタさんは前からサクマさんと比較的仲が良かったのは知っていましたが、そんなことまで起きているとは知りませんでした。

 冒険者が酒の席に着いた以上は多少の暴論暴言が出るのは防ぎようのないことですが、冒険者間での啀み合いはよい傾向ではありません。


「お前はいつも通りって顔で仕事してっけどよ。いつも通りって顔してないといけない仕事だろ? 無理してんじゃねえかなって……」


 バンガーさんらしい、不器用ながら真摯な気遣い。

 真実を告げることは許されませんが少しだけ元気を貰えます。


 ――寂しさはありますが、へこたれる訳にはいきません。


 ――セツナちゃんと二度と会えない訳でもありませんし。


 ――それに、みんな戸惑ったり迷いながら前に進んでいます。


 ――でしたら、案内人の私がしっかりしてないと。


 ――皆が前向きだから、私も自信を持って前を向けるんです。


 そう、みんな前を見ています。

 サクマさんはセツナちゃんを連れ帰る為に。

 ヒスイちゃんは世界の行く末を見守る為に。

 ニーベルさんは悩み続けていましたが、サーヤちゃんがきっと彼を立ち直らせてくれる気がします。

 シェリアちゃんは町を離れて武者修行をしていますが、通信術式で見た彼女の顔は自信なさげな前の顔ではなく逞しさを感じるものになっていました。


 女神と英傑が神具適合者と共に戦っても倒せなかった埒外の存在による先の読めない計画、などという表面上の絶望を跳ねのけるように準備を進める皆を見ると、自然と胸に勇気が沸き上がってきます。

 セツナちゃんのお世話をしてサクマさんが気だるげで、皆で時々騒いだり問題解決に知恵を出し合ったりするあの日は、きっと取り戻せるんだと信じられます。

 だから自信満々で言い切ると、バンガーさんは目頭を押さえました。


「……かぁー! 不安なら俺の胸に飛び込んでもいいんだぜって言う気だったのに、そんなカオするんだもんなーシオリは。でも心配なのは本当だから無茶だけはすんなよな!」


 恥ずかしそうに頬を掻いて去っていくバンガーさんの背中を見送り、また次の冒険者さんがやってきます。

 シオリは所詮ギルド所属の一個人。

 体一つで出来る事は限られます。

 剣を抱えて戦いに向かったりは出来ません。

 魔法を用いて偉業を成し遂げたりも出来ません。


 だからシオリはシオリに出来る精一杯をするだけです。


 ――次の方、どうぞ!


クソガキセツナに何があったのか洗いざらい正直に吐くム」


 ――えっ。


 以前のトラブル以上の不機嫌面をぶら下げたポムポムのポンポロさんの超ドストレート剛速球質問が、シオリに激突しました。


 そうだ、そういえばこのヒトもセツナちゃんと散々付き合いのある方でした。

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