第110話 それはきっと、似合わない感情
最初、この世界に来た時、途方に暮れて帰りたくなった。
慣れてきて、こっちの世界もいいかと思った。
少しして、お
幸運な出会いと力の使い方を覚え、暫くはここで生きる決心が出来た。
今は、分からない。
同じ言葉が頭の中をぐるぐると堂々巡りして、何の答えにも辿り着けずにいる。
(14003年前……西暦換算だと、いつなんだろう)
最低でも16000年は超えるのだろう。西暦が永遠に続くと心のどこかで思っていた俺に、その事実は当然の理屈であるかのように突きつけられた。居住不能になった以上、今、地球に戻っても意味なく野垂れ死ぬのだろう。
地球から木星までの距離はおおよそ9億キロメートル。スペースシャトルくらいの速度の宇宙船であれば有人計算で数年かかるとどこかで聞いた。なんとはなしにスマホで検索をかけてみると、一光年は約9兆5000億キロメートルらしい。
(大体10億キロ5年くらいで計算して……ええと……5万年くらい。ロータ・ロバリーから180万光年離れてるから……)
真面目に計算しかけ、やめる。
余りにも馬鹿馬鹿しすぎた。
地球はもう元に戻らない。
日本はもうない。
地球人は自分しかいない。
意味が理解しきれない。
この間まで電話を掛ければ応えてくれた知人、隣人、家族、組織、そのどれもがこの世にいない。
嬉しいことも悲しいことも未来の事も過去の事も、同じ時間を共有してきた人間と共感して語らったりすることはない。
テレビ番組に出ていたアナウンサー、笑いを取ろうと面白おかしなことを言う芸能人、その場しのぎの答弁をする政治家、それら全てで使われる日本語という言語を培った国家と文明も、滅んだ。
自分が生まれ育った世界で培った常識や価値観を共有できる人間は、自分が不思議な某に巻き込まれている間に全員、一切、例外なく、きっと途方もない昔に――時間という絶対的な概念に呑み込まれて死んだ。
サクマからして14000年前と言えば、人類が稲作を始めただか何だかの時代だ。日本は縄文時代。
もはやどんな生活をしていたのか想像さえできない。
幾度となく自問する。
――何故人類は絶滅しているのか?
――自分はどうやってここに来たのか?
そして、幾度となく自答する。
――そんなこと、もうどうでもよくないだろうか。
宇宙の膨張とかエントロピーとか時間の流れが何故存在してタイムスリップが理論上可能かどうかなんて、そういうのを真面目に考える人だけが興味を抱いて考えれば良いじゃないか。
自分のようなちっぽけで無知な存在には、どうせ受け止めきれないことなのだから、ただどうしようもないという覆せない事実だけを葦のように受け止めているのが己の限界ではないか。
思えばサクマは、いつか何とかすれば自分は日本に帰れると思っていたのかもしれない。そして日本に居ながらロータ・ロバリーとも行き来して、面倒事は多くとも面白おかしく人生を送れるのではないかと心のどこかで楽観視していたのかもしれない。
零れたミルクはもう元には戻らないのだ。
仮に戻ったとして、人類は恐らく人類の起こした『事件』が原因で絶滅する。あと一万年少しで、サクマの歩んだ人生も積み重ねた歴史も、仮に子孫を残したとしても、全て消えてなくなる。
そんな世界で今更生きろと言われて、何を思って生きればいい。
サクマは不死身ではない。普通に生きたとて100年にも満たない時間の間に死んで人生は終わる。それでも人は、自分の生が何か意味のあるものだと信じたいから考え、託し、重ねていく。
それが無意味だと言われ、神なき世を生きていけるほど、人の心は強くはない。
ニーチェ曰く、神は死んだ。
サクマは神亡き世界で未来を目指せるほどの超人にはなれない。
もし叶うならば元の時代に戻り、自分で自分の頭から人類の未来を綺麗サッパリ術で切り取って二度と思い出せないようになり、また死にもしなければ生きてもいない人生を続けたい。
それは楽しい人生ではないだろうが、今よりましな気分で存在していられる。
でも、それすら最早空しい。
もう、何もかも手遅れなのだ。
地球は、地球人は、どこにも辿り着く事はなかった。
ニーベルが心配してきた時、俺は初めて親友に憎悪を感じた。
お前たちは、お前たちの文明はまだ先がある。
魔物と争おうが何だろうが、生き延びて先に繋ぐことが出来る。厳しい道でも可能性は閉ざされていない。
そんなロータ・ロバリー人に、地球人の最後の一人となった俺の気持ちなど分かってたまるか。
何で先に進む権利を持っているのはお前たちなんだ。
お前らが滅べよ。
代わりに滅んで地球を生かせ。
だって不公平じゃないか。
俺は全部なくなって、お前らはまだ家族もいれば友達もいて、文化は発展して、ちゃっかり地球人の遺産の恩恵を受けてる連中までいる。
憎い、憎い、憎い、憎い。
同じくらい、醜い嫉妬を止められない自分が苦しい。
好意すら抱いていた筈のシオリにまでこの感情をぶつけようとしている自分の狭量さ、視野の狭さ、身勝手さが耐えがたく苦しい。自分という存在が世界で一番どうしようもなく邪悪に思える。
セツナが隣にいるから辛うじて狂わずにいられるのに、それすらも、セツナがいなければいっそ狂ってしまえたのにとどす黒い感情が腹の底に溜まっている己の弱さと醜悪さに吐き気がする。
胃液を吐き散らかしたい。
笑顔で出歩く親子を術で粉々にしたい。
この大地を焦土に変えたい。
死んでしまいたい。
「なんで」
気が付けば、セツナと二人きりで歩く路地で、サクマの口が開いていた。
「何で俺が、こんな目に……あわなきゃ、なんないのかなぁ……っ」
込み上げる感情を必死に抑え込んだ、途切れ途切れの声。
サクマは歩く気力すら失ってその場に膝をつき、地面に倒れ込んだ。
地面に叩きつけられる直前、セツナが慌てて俺を掴み、背後から今度はシェリアに渡した筈のシラユキが術でサクマを引っ張って転倒を防ぐ。
倒れてしまいたくても倒れさせてくれない優しさに、サクマは行き場のない感情の捌け口を無くして泣いた。
「おぉ、あぁぁ……ひぐ、ぅああぁ……! あぁぁぁあああああーーーーッ!!」
涙も嗚咽も止まることはなかった。
――次に気が付いたとき、サクマは朝の木漏れ日が差す宿屋のベッドの上にいた。
寝転がっているベッドが安物の自室のベッドでないのが悔しくて、ベッドを何度も何度も殴り、そのまま再びベッドに倒れ込んで声を押し殺して泣いた。
それから暫くして、サクマはのそのそとベッドから降りて、顔を洗って着替えた。
鏡に映る死人のような酷い顔を見て、本当に自分はどうしようもない奴だと思って、後でセツナとシラユキ、そしてシラユキをこっそり付けさせたシェリアに謝罪と感謝をしなければいけないと思い、また自分の嫉妬を思い出して吐き気を催す。
こんな愚図の愚かしい悩みに真剣に付き合ってくれる人がいるだろうか。
どうせロータ・ロバリーの人間には理解できない、この苦しみを。
「……俺のこの悩みを解決できる奴なんて、いるかよ」
それは、吐き捨てるような独り言だった。
だが、エレミアという機械にはそれが分からなかったのか、スマホから律儀に返答があった。
『ユーザーの相談相手として最適な人物を検索――第一位適格者、シオリ』
「……このくそポンコツデバイス、今のは質問じゃねえって……」
『了解。このデータは以降のコミュニケートに反映します』
「……」
――わたしはサクマさんにどんな過去があっても、貴方の担当冒険者です。
「……」
果たして縋りたかったのか、或いは失望されて切り捨てられたかったのか。
しかし、結果としてサクマはその道を選んだ。
「シオリ、相談がある」
――はい、いつでもいいですよ!
それは、大いなる運命の辿る道に介入する小さな蝶の羽ばたき。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます