第108話 ある朝、目が覚めて。そこに世界がある筈で――

 意識が微睡みの中から意識が浮上する。


 安っぽいベッドのスプリングを軋ませて気怠い体を起こせば、薄いカーテンから漏れる朝日の木漏れ日が部屋を横断している。目覚ましが鳴るにはあと数分を要し、いつも寝巻きに使っているダサいポリウレタンのシャツとパンツはよれよれだ。


 漠然とベッドから起きあがり壁のスイッチを押すと、チカチカと音を立てて最近調子の悪い蛍光灯の恩寵が部屋に降り注ぐ。テレビのリモコンを操れば、見覚えのあるようなないようなキャスターがつらつらと代わり映えしない朝のニュースを読み上げていた。

 ニュースの内容は頭に入ってこない。

 ただ、普段の生活の延長である実感が湧いた。


 視界を横にずらすと、両親から仕送りされてきた段ボールが無造作に置かれている。

 仕事を失いふらふらとしていた事を思い出し、伝えるのが気まずくて目を逸らす。

 仕事を辞めたのが、もうずいぶん前のように思える。


 ふと手が寂しくなり、条件反射のようにベッドの上のスマホを手に取った。

 メッセージが一件。学校時代の友達からの、合コンの誘いだ。

 嫌いな相手でもないし顔を見たいが、今は気まずくて会う気になれなかった。


 ふと、音声機能にここはどこだ、と問う。


『ここは貴方の自宅です』


 妙齢の女性を思わせる音声。続けざまに質問する。


『今は西暦2020年、7月3日です』


『質問の内容がうまく聞き取れませんでした』


『明日の〇〇市の天気は――』


 そりゃそうだ、とスマホを置き、ベッドに倒れ込む。


 スマホが何でもやってくれる魔法の道具になる?

 馬鹿馬鹿しい。

 物理的に魔法なんて使えない。


 ある日目が覚めたら異世界に?

 そんな妄言を憧れと言えるほど現実に盲目じゃない。


 現代の料理や芸が異世界ではバカウケ?

 異世界には異世界の感覚や価値観があるのに、未開文明と勘違いしてないか。


 これが現実だろう。

 目が覚めれば夢も希望も大してないが、絶望という程でもない半端な世界が転がってて、そこを人はふらふらと歩き続ける。コンクリートジャングルと雑踏の孤独が群れを成す社会に生きる。政治を知らない人間が我が物顔で政治を語り、自分たちの文明が優れていると言い張りながら発展の努力を怠り、民心は娯楽よりサンドバッグを求める。


 そんな現実でも、いいじゃないか。

 身の丈にあった現実でいいじゃないか。


 朝ご飯を食べたい。

 冷蔵庫に何もないからコンビニに行こう。

 久しぶりにたまごサンドと、野菜ジュースがいいだろうか。

 昼ごはんに肉うどんと鮭のおにぎりも買いたい。

 俺は財布を持ってないと思いながら、それを意識せずに玄関を飛び出し――。




「サクマ……大丈夫?」


 ――また、意識が浮上する。


 そこにはアルビノの少女が逆さまの顔で心配そうに俺を見下ろしている。

 漫画かラノベから抜け出してきたような、俺の義娘ぎじょうが。


 地下の部屋、カーテンで区切られた一角。

 ベッドは質だけはよく、視界の端には狼の耳を生やした美女や鉱物のように固い女、外見と内部の体積が合わない男が気遣うような顔でこちらを見ていた。その奥にあるポットの培養液が、こぽりと気泡を吐き出した。


「受け入れたくない気持ちが強まり過ぎると、夢と現実って逆転するんだな」

「サクマ……まだ気分悪い?」


 理性が戻ってくる。

 目の前の子供を不安にさせまいと、せめて手を伸ばして頬を撫でた。


「ごめんな、お前の事調べてもらおうって話だったのにさ……」

「無理しないで、ネスキオが明日でも明後日でもいいって言ってたから。今は寝ても大丈夫だから……」

「うん……すまない、少し横にならせてくれ」


 カーテンが閉じ、無機質な天井とセツナだけの空間になる。

 俺はセツナを抱き寄せる。

 セツナは抵抗することもなく俺に体を預けた。

 柔らかく、細く暖かい体。

 それがこの認識を現実のものだと告げる。


「一緒に寝れば、怖くないよ。私はずっとサクマの傍にいるから。ね?」


 今だけはそれを素直に喜べなくて、でも、他に縋るものもなかった。


 俺はもう親に仕事を辞めた連絡をする必要は無い。


 永遠に、ない。




 ◆ ◇




 サクマとセツナから離れた場所にある椅子に腰掛け、ネスキオはデスクに肘を突いて顎を乗せる。


「作りかけの少女が衝撃だった……という風ではないの。我等の知り得ぬ何かに、恐らく気付いてしまったのだろう。弱ったな、この遺跡の真実を暴くのに適任かと欲を出してずけずけ入れすぎたか?」

「今はそっとしておいてやろう。知らない事実を突きつけられた時、人には受け入れる時間が必要だ……」


 少し頭を掻くネスキオに、ブラッドリーはそう答えた。


「経験則ですねー?」

「ああ。お前は平気か、カナリア?」

「ガゾムは下半身なくなっても普通に生きられますし治りますからねー……岩と泥を混ぜて欠損部分にくっつけると段々馴染んで元の形に戻るんです。ただし配合率間違えると体の色が変わっちゃいますけどね」

(((うわぁ)))


 近衛たちと侍女がゲテモノを見る視線だ。

 世界一雑な治療で体の治る……というか、直る種族である。

 ブラッドリーはネスキオに問いかける。


「ここの設備で何をする気だったんだ?」

「言ったであろう、【げのむ】を調べると。この部屋では人をデザインし作るだけでなく、人を分析する装置も存在する。それを使ってセツナの【げのむ】データを取り、それを別種族と比較することで種族を割り出すことが出来る」

「……すまん、想像がつかない」


 サクマならば的確に理解できたのかもしれない、とブラッドリーは悔やむ。

 つくづく、彼がダウンしたのは痛手だ。

 ただ、ネスキオはある程度システムに理解があるらしく、説明してくれた。


「簡単に言えば、この装置は辞書だ。セツナというキーワードで検索をかけ、一致する意味を探せる」

「あれ? 他種族のデータまで入っているんですか? でもロバリーの人種は現在進行形で増殖を続けているのに、未発見種族だったら該当なしなのでは?」


 カナリアの尤もな疑問に、しかしネスキオは首を横に振る。


「可能性は低い。何故ならこの端末には、この星に存在するすべての生物の情報が入っているからだ。ここには。魔将は流石にないが、魔物もだ」

「……おかしくないですか? 発見前のデータが入ってるって、じゃあそのデータはどこから湧いて出たんです? 原理的におかしい……違う? 原理が逆……?」


 カナリアが顎に手を当て、深刻な表情で考え込む。

 ブラッドリーは彼女の唯ならぬ態度に驚いた。

 脳天気で有名な彼女が親友の行方捜し以外でこんな顔をしたところを見たことがない。


「カナリア?」

「もしも、すべて逆だとしたら?」


 カナリアは水槽に浮かぶ作りかけの少女に視線をやり、操作パネルに視線をずらし、自分でも信じられないような声色を僅かに滲ませる。


「発見してからデータを入れたなら辻褄は合いません。でも、んだとしたら?」

「――ここで魔物を作っているとでも言うのか?」

「いえ、もっと大規模な神殿だとは思います……ブラッドリーさんは実感がないかもしれませんが、リメインズからは遥か遠く離れた場所に声を届ける技術が発見されています。サクマさんに至っては無理やり空間を捻じ曲げて接続まで出来ます。なにもここじゃなくとも、もしリメインズの最下層とかそういったところに同じ事ができる設備があるとしたら?」

「魔物は減少する度に、そこで商品のように生産・放出されている……!?」


 ブラッドリーは思わず声を荒げる。

 魔物は人類が知る人間の歴史の中で潰えたことはない、常に存在する敵だ。それら全てが元を辿ればどこかで人工的に生み出されたなど、想像だにしなかった。魔物とはそういうものだ――そこで思考が止まっていた。

 しかし、もしそうであるならば、と思う節もまたある。


「魔物は常に進化を続けている……ではその進化とは、人類と魔物の戦いを参考にしているということか? それは……だが、待て。では人類の未発見種はどうなる!? 魔物を作る者はヒトを滅ぼしたいのではないのか!? お前の仮定が正しければそこではヒトまでもが作られていることになるじゃないか!」

「それは……」

「妾には心当たりがあるがのぉ」


 ネスキオの言葉に、二人が振り返る。

 そこには、エドマ氷国連合を束ねる頭脳としての彼女の思慮深い瞳があった。


「妾はエドマ氷国連合の外に出て退魔戦役で様々な種族が入り乱れる様を見て、疑問に思うた。何故ヒトはこれほど多様化しておるのか? 何故短命の種族と長寿の種族がおるのか? 何よりも気になったのは、増えておることじゃ」


 それはきっと、世界の誰もがまだ辿り着いていない思想。

 人造的にヒトを作れることを知っていたからこそ辿り着いた答え。


「そも、人類退廃の戦が繰り返されれば、人種というものはではないのか? 何故、戦争が終わった後も……いや、終わってから更に人種は増殖を続けておるのか? そして動物や魔物の異種族間に子は産まれぬのに、我等人類はどんなに外見が違えど愛し合えば必ず子を為すことが可能なのはどうしてじゃ?」


 気付いてしまえば至極単純。

 しかし、疑うきっかけがなければ見えない真実。





「我らの始祖は、作られたのではないか? この水槽の中で命を得んとする子の如く、そして、魔物という憎むべき兄弟の隣で」





 全ては、実験場のシャーレの上で。


 顔の見えない何者かが、誰も知らない目的を掲げて。


 積み重なる歪な生と死の螺旋を動力に、ロータ・ロバリーは今日も廻り続ける。

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