第107話 受付嬢ちゃんへは伝えられない

 島でがあって逃げ出した後、サクマはホームシックになっていた時期がある。

 独りで過ごす夜、サクマは病んでしまったように謎のアプリ【ハイメレ】に問いかけた。


 ――今は西暦何年だ。

 ――こは地球か。

 ――日本に帰るにはどうすればいい。


 【ハイメレ】は冷徹に答えた。


 ――西暦という暦はない。

 ――この星が地球と呼ばれたことはない。

 ――日本に帰る方法はない。


 幾夜、何十回も同じ問いかけをして、同じ回答が返ってきて、サクマは自分がやっていることが現実逃避で、そう旨い話はないと心のどこかで気付いていた。


 そんな頃に、サクマは偶然にもニーベルに出会った。

 彼と繋がりを持ち孤独が和らいだのをきっかけに、サクマは問うことをやめた。


 思えば、愚かだった。

 どうしようもなく、愚かだったとしか言い表しようがない。

 機械はミスを犯さない。

 機械の間違いの原因は、ヒューマンエラーだ。


 あのとき、サクマは気付くべきだったのに気付けなかった。

 それがサクマという男の運命の限界だった。

 これは、ただそれだけの話なのだ。




 ◆ ◇




 かつん、かつん、と響き渡る足音と共に、通路は深く深く降りていく。

 先頭を侍女と【白狼女帝】ネスキオが、次にセツナと手を繋いだサクマが、続いてブラッドリーとカナリアが、その背後を近衛兵が二人続く。


「この先は超巨大迷宮リメインズの一種となっておる。本来は国家機密であり余所者を入れることはあり得ぬが、妾が認め誓約書に記名したならばその限りではない」 

「まさか、こんなに離れた場所から超巨大迷宮に直通通路とは、少なくとも西大陸にあるリメインズじゃ考えられん」


 ベテランマーセナリーとしてリメインズを知り尽くしているブラッドリーもこれには戸惑いを隠せていない。カナリアも同様なのか、しかし好奇心が勝って周囲をくまなく観察している。

 階段の構造や壁の直線的なデザインは、サクマから見ると妙に未来的に映った。


「物凄く高度な技術で建築された通路ですね……でも、そもそもエドマ氷国連合にリメインズがあるなんて初耳ですよ? それも皇都の近くだなんて危険じゃないんですか?」


「そこも含めて意見交流しようではないか。妾は大陸の超巨大迷宮を知らぬからの。本職マーセナリーの意見も聞きたかったが故、おぬしらにも来てもらった次第じゃ。坊の言を信頼しての?」

「そうか……役立つかは分からないが、俺の所見でよければ――」


 幾つかのリメインズに入ったこともあるブラッドリーの知識から言うと、一般的なリメインズは上部も含めて外壁を未知の強固な構造体で覆われているため、構造上最初から存在する出入り口以外からの出入りは不可能。

 つまり、リメインズには地表からしか入る事が出来ない。


 過去に構造に覆われていない下から侵入できないか調べられたことがあるそうだが、掘れども掘れども構造体が延々と続き、やがて100万マトレほどで掘り進めない岩盤に突き当たり、地表以外からの侵入は頓挫したという。


「魔物は生息していないのか?」

迎撃機械オプスマキーネは多少あったが、増える事はなかった。一族総出で制圧に出たが、思いのほか呆気なく制圧出来て肩透かしを食らったものよ。恐らくこの超巨大迷宮は、他の迷宮とは建築された理由が違うのだろう。大陸のリメインズとは異なる点が散見される」

「つまり、ここは万魔侵攻イミュームの発生源になっていないと……そんなリメインズ聞いたことないですね? どういう経緯でリメインズの認定を受けたんですか?」

「なんじゃったかの。侍女、説明せい」

「はーい! ネスキオ様もよく聞いて覚えてくださいね?」

「うむ、苦しゅうない」

「イヤ覚えてないんでしょ? 威張るとこじゃないですよ……?」


 侍女はネスキオと付き合いが長いのか、2人は随分距離感が近いようだ。

 侍女は丁寧に経緯を説明する。


「第二次隊魔戦役終結の後、皇都付近で極めて大きな大地の揺れが発生しました。皇都自体に殆ど被害はありませんでしたが、これで永久凍土に大きな亀裂クレバスが出来たので調査団を派遣したところ……見つかったんですよ、リメインズが」


 サクマは狙いすましたかのような遺跡出現に驚く。


「……なんともはや、凄い偶然もあったものだ」


 同時に、狙いすましたかのようなタイミングを微かに訝しがった。

 戦争終結後、特に被害も出さず金の生る木が生えてきたようなものだ。

 エドマにとって余りにも話が旨すぎる。


「この土地は地震が多いんですか?」

「ジシン? 地響きとは違うのか?」

「ええと、大規模に地面が揺れる自然現象を俺の故郷じゃ地震って言うんですが」


 ネスキオは目をぱちくりさせ――非常に美しい容姿でのぱちくりというギャップで不覚にもサクマはどきっとした――彼女はブラッドリーの方に視線を向ける。


「……知っておるか? 妾は見聞きした覚えがない言葉であるが」

「いや、俺も初めて聞く。東大陸にはあるのかもしれんが」

(……? 地震を知らない? 地震の記録そのものが魔物の侵攻で失われてるのか?)


 ありえなくはない、とサクマは思う。

 実感はあまりないが、この星の文明は壊滅的な破壊と驚異的な再生を繰り返しているらしい。その異常な破壊頻度の中で、前文明の知識が消滅してもおかしくはない。サクマの出身国の地震の頻度が異常なのだ。


「或いはその大きな揺れが我が国初のジシンだったのかもしれませんが、そこで調査隊はリメインズを構成する構造物と同一のものが地表に露出しているのを発見したのです。ただ、正確にはギルド認定のリメインズではありません。魔物出現の危険性が認められないという例外中の例外と、ダンジョンにしては大きいながら標準的なリメインズより小さいという半端な特徴がありましたから」

「おお、思い出したぞ。リメインズの条項に当てはまらないのだからギルドに報告の義務はないと妾が決定したのじゃった。その判断は結果として我が国に莫大な利益を齎したのよ」

「そんな大切な話、国家元首が忘れてるんかい……」

「シオリが聞いたら怒りそうな気がする」


 セツナのぽつりとつぶやいた言葉に、西大陸組は確かにと頷く。

 それは言ってしまえばアーリアル歴王国と同じ富の独占だ。

 人類存亡を賭けた戦いの中で自分だけ利益を享受する非道の行いである。


 だがその一方で、国家を維持する者には国を持続発展させる義務がある。

 それに国の中枢のすぐ近くにリメインズがあるとなれば、ギルドや他国戦力を国内に招いてしまう恐れもある。

 ネスキオはそれらを天秤にかけたのだ。


「ここで暴いた技術を振り撒くのは、我らがその扱いを十全に心得てからでも遅くはない。エドマ氷国連合はこの技術で更なる力と産業、生活圏を得て強くなり、第三の戦役で更なる活躍をすることで人類に報いる。それが我が国の負う責務だと妾は思っておる。できればポニーには黙っておいてくれ。あれは子供には優しいが正義感が強そうだしの」


 悪戯っぽい笑顔のネスキオだが、その背に負う巨大な責務の存在を感じ取った西大陸組は思う事こそあれど咎めることはしなかった。農耕も貿易も難しい極南大陸では独占を行わなければ国の発展は難しいのだろう。

 それに、比較の問題ではあるが、技術や資源をダシに各国に法外な値段の代物を売りつけることのあるアーリアルに比べれば害は少ない。


「……実のところ、な。この通路とその先にある遺跡は数百年前には既に発見されていた。しかしその部屋に外があり、それがリメインズの一部であることにどうしても気付けなかったのだ」


 ネスキオの婉曲な物言いにブラッドリーがいぶかしむ。


「それは、何故だ?」

「理由は二つ。一つ、部屋がリメインズと同じ不明な構造体で構成されており、なおかつ部屋の内の扉が一切開かなかったが故に、そういう形の遺跡だと考えられたこと。そしてもう一つ……」


 地下に続く道の終わり、扉が見えてきた。

 それはしかし、扉と呼ぶには異質。一枚の鉄板に切れ目を入れたような、ドアノブも取っ手も何もない一枚の鉄の塊。面々の中でサクマとカナリアだけが扉らしきものだと認識できる程度だ。


「ここは、エドマ氷国連合の……【国潰し】の一族の秘密が秘匿されておった。身内であっても情報を外に漏らせなかったのだ。ここのことは、グラキオも知らぬ。あれはまだ知るには若すぎる」


 ネスキオは扉の前にある石板のようなものに手を触れる。

 ピピ、と甲高い音が響き、鉄板が切れ目を中心に横にスライドした。

 その奥にある光景に、招かれし客の全員が絶句した。


「ようこそ、生命の神殿へ。諸君らはこの世界の真実の一端を見ることになる」




 ◆ ◇




 培養液で満たされたポット、と形容すべきものがずらりと並び、金網の床の下にはチカチカと点滅するパーツとパイプやコードが規則的に並ぶ。


 用途の不明なロボットアーム、ずらりと並ぶ試験管。スーパーコンピューターを連想させる筐体はガラスのような壁を一つ隔てた場所に並ぶ。奥には蓮の花のような形をしたクリスタルが力を発し、そのエネルギーを吸い取る機器がスペースを取っている。

 そして設備の一つ一つに、ホロモニタやホロボードが浮かび上がっている。


 これは、だ、とサクマは思った。

 同時に、なんでこの世界にがあるのかと目の前の現実を疑う。


 サクマはこの世界の言語や文字を全てスマートフォンで同時翻訳して使っているが、この場所にある文字はその半分以上が翻訳を通さずとも理解できる。

 目の前に広がる現実の異質さ、そして不可解さにサクマは気分が悪くなり、自分の肩を両手で抱いた。


 そして最も決定的な――そしてサクマ以外の人間が目を疑うものが、部屋の中央にある一際大きく透明なポットの中に浮かんでいる。


 それは、上半分だけしっかりとした形をし、下半分は編み込み途中の糸のようにほつれぼやけた――人間の少女だった。

 眠るように目を瞑っており全く動く気配はないが、ポットの横のホロモニタに『47%』と表示されているそれの意味を即座に理解できるのは、果たして幸せだったのだろうか。


は第三十一皇女になる予定のものだ。まだ生命活動は始めていないが、生まれ育てばいずれは妾を超えるだけの可能性を秘めて、少しずつ作られておる」


 受け入れられる許容量を超える情報。

 身体に上手く力が入らなくなったサクマはふらつき、背中を壁に預けてずるずると座り込む。


 こんなものはあり得ない。

 だが、ならば目の前のこれはなんだ。

 意味のない自問自答がサクマの心を捉えて離さない。

 心配して寄り添うセツナに虚勢の笑顔を浮かべることも出来ず、サクマは血の気の引いた顔で叫んだ。


「何なんだこれは……何で、何でこんなもの!? 生命の神殿だと!? これが!? 百歩譲っても冒涜の神殿の間違いだろッ!!」

「ふふ、言い得て妙……ここは【国潰し】誕生の場所。へその緖に繋がれずに生まれる人などいないというならば、我らは正しく人に非ず……『げのむ』と呼ばれる生物を構成する微細な情報を書き換え、機械マキーネによって産み落とされるのだ、我ら【国潰し】は」

「ふざけるなッ!! 何でだよ……何で異世界に、人工生命体の研究所があるッ!! 何で使われてる文字が英語と日本語なんだッ!! くそっ、くそっ!!」


 サクマはスマートフォンを取り出し、怒鳴りつけるように叫ぶ。

 怒りとは不安や虚勢を誤魔化す感情。

 感情の本質は、態度とは真逆だった。


「おいッ!! ここに送られて暫くしたときに今は西暦何年かって聞いたよな!! ここは地球かとも!! 日本はどこかとも!! 西暦という暦はない、ここは地球じゃない、日本は存在しない!! そう答えたよなぁッ!!」

『記録された事実と齟齬はありません』

「だったらは何だ!! どう見ても地球の、しかも未来のものだろッ!! 異世界じゃねえのかよここはッ!! どこから来たんだよ、あれはッ!!」

『異世界という言葉の概念が曖昧なので、一つ目の質問には回答できません。あれらの機器や設備はこの惑星で製造されたものです。次の質問を予測――製造に地球人が関わったか、との問いには、イエスの回答です』

「ハァ……ハァ……もう一度、あの質問に、因果関係を正確に説明して答えろッ!! 地球はどこだッ!!」


 ――思えば、最初から手がかりはあった。


 日本という【エレミア】がときに、サクマは気付くべきだった。


『ここは太陽系第三惑星地球からおよそ180万光年離れた銀河系に存在する惑星ロータ・ロバリーです。西暦という暦は廃止されました。日本という国家は跡形もなく崩壊しています』

「嘘だ……それじゃ、地球は、今――」


 やめろ、それは聞いてはいけない質問だ、と、理性が叫んだ。


 しかし、人は絶望が待っていると分かっていても、真実という名の甘い果実に手を伸ばす性を持っている。


 それを自覚する間もなく、淡々と。


『地球は今から14003年前に発生した【アイテール・アウト事件】により居住不能な惑星となりました。今現在、地球人はあなたを除き絶滅しています』


 周囲の誰もが彼の現状を理解できないままに、サクマの気が触れたような慟哭が生命の神殿に虚しく木霊した。

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