第98話 受付嬢ちゃんへ再相談

 日常とは、その価値を知る者にとっては代えがたく尊いもの。

 人と人とが織りなす関係性は、奇蹟の連続。


 療養を続けるブラッドリーさんは、少しずつ安定を取り戻しています。

 不意打ち的に後ろから触ると結合が緩んでずぶっと手が体に沈んでしまうこともありますが、気配察知能力を取り戻してからはそれも減りました。

 なによりカナリアさんが隙あらばちょっかいを出しているので慣れてきたようです。


「おほっ、ほっぺ思ったよりプニプニですよブラッドリーさん。ぷにぷにぷに~」

「何……? それは柔らかいんじゃなくて歯の硬度が再現しきれてないせいだな」

「このまま残しましょうよ! 意外性あっていいと思います! ……あ、シオリちゃんおはよう!」

「おはよう、シオリ」


 宿の食堂でじゃれ合っていた二人にこちらも挨拶します。

 その向こうではネスさんがやや塩気の足りなさそうな食事をしています。

 表情は前に見た頃と余り変わりませんが、筋肉が少しばかりしぼんだ気がします。

 時折ブラッドリーさんの方を目で見ては、複雑そうな顔をしていました。

 ただ、ナージャちゃんとはきちんと向き合っているようです。


 シオリはネスさんにも挨拶します。


「………」


 無視されました。

 挨拶は社会の基本ですが、基本がなっていないようです。

 シオリが切っ掛けで死ねなかったことにか、或いはシオリが激怒した件を素直に謝るのが嫌なのか、ネスさんは時々こんな反応をします。

 という訳でシオリはネスさんの真ん前の席に座り、思いっきり息を吸い込んで全力で挨拶しました。


「……おう」


 他に言うことがあるのでは?


「……おはよう」


 今日もシオリの勝利です。

 ちなみに挨拶しなかったらするまで挨拶する気でした。

 カナリアさんやブラッドリーさん、他数名がくすくす笑い、ネスさんは居心地が悪そうです。

 更にキッチンから食事を運んできたナージャちゃんの追撃が入ります。


「お父さん! またシオリさんにイジワルしてないでしょうね!」

「俺がされてるんだよ……何でいちいち話しかけてくるんだ」

「お父さんが悪いことしたからじゃない? こんなうら若く可愛い娘を置き去りにしようとした保護者だもの、監視されて当然よね!」

「……俺の味方はいねえのか」


 すっかりお父さんを尻に敷いてしまったナージャちゃんの朝ご飯は今日も美味しく、シオリはやる気を漲らせました。


 ちなみにナージャちゃんはネスさんから鍛冶系の加工技術も学んでいるそうです。

 種族的に筋力は高い方なので、案外向いているのかもしれません。




 ◆ ◇




 嘗て説明したことがありますが、日雇い冒険者とは不安定な職です。


 魔物と戦う場合は特に命懸けで、それ以外でも体調不良で治療費も有給もありません。

 ほぼすべての仕事におけるリスクは自己責任。

 明日も働ける保障はどこにもありません。

 そんな職だからこそ、将来の事を考えてふと不安になってしまう人もいるでしょう。


 シオリはあくまで受付嬢ですが、受付嬢なりに時折相談を受けたりもします。この日、未だに寝泊りしている宿の食堂で一人の相談者が話を持ち掛けてきました。


「戦闘力のインフレについていけません」


 まさかの二度目相談、シェリアちゃんです。


「いい相方になると思っていたサクマの術が圧倒的過ぎて……正直、わたし要らないんじゃないかなって思い始めてます」


 しゅんと縮こまるシェリアちゃん。

 確かに最近彼女の周囲ではグラキオちゃんが超絶パワーを発揮したり、ブラッドリーさんが更なる超パワーを身に着けたり、件のサクマさんの事もあってだいぶ宿内のパワーバランスが偏っています。


 しかし、シェリアちゃんは風の術を使う後衛職という安定したポジションにいます。

 他の冒険者と違う弓矢という武器も加味して、差別化は十分。

 個人の実力よりチームとしての動きを考えた方がいいのではないでしょうか。


「サクマくらいなんでも出来る人になると、もう自動で術を発射する術とか作りそうで……」


 ああ……と、残念な事に妙に納得してしまいました。


 サクマさんはブラッドリーさんとの一戦のあとも表向きは実力を隠して仕事をしていますが、彼の何でもありにも程があるトンデモ数列処理は記憶に新しいです。さしもの彼も接近戦は出来ないようなので相棒にして親友のニーベルさんの地位は揺らぎませんが、シェリアちゃんとしては悩ましい問題なのでしょう。


「それなりに仲良くなったつもりだったんですけど……結局のところ、ちゃんと彼の口から認められたことはないんです。私がちょっと茶化してたのも原因ですけど」


 二人の私的な会話までは知らないシオリですが、彼女の普段の誘い方はシングルマザーに近づく魔手っぽかったのは否定できません。いえ、これは多少のシオリの偏見が含まれるかもしれませんが。

 つまるところ、サクマさんに「必要ない」と言われたらシェリアちゃんは何も出来なくなってしまうと言う事でしょう。


 しかし、シオリは思います。

 サクマさんは何だかんだで結局身近な人の問題に見て見ぬふりが出来ない人です。シェリアちゃんがこんな悩みを抱えていると知れば、なんやかんやで気になってそわそわして解決策がないか講じ始めるでしょう。


 ここは一計を案じましょう。

 少しばかり、イジワルに。




 ◇ ◆




「俺がシェリアの専属戦術アドバイザーになるぅ!?」


 シェリアちゃんは先の戦いで自分の将来に不安を覚えたのです。

 つまりこれはサクマさんの所為で起きたと言えなくもありません。

 もちろん断ってもいいのですよ?


 ええ、ええ。正式にパーティを組んでいる訳でもないシェリアちゃんの悩みなど知らないと背を向けて去っていくのも選択肢の一つでしょう。

 指導する人間も責任ある立場。

 軽々しくなるものではありません。


「そこはかとなくやれと言われてる気がする……」

「やらないの、サクマ?」


 じぃ、と何か言いたげな視線でセツナちゃん乱入です。

 ただし、事前に事情を話して一緒に美味しいオムライスをご馳走しています。

 つまりはそういうことです。

 セツナちゃんは賢いですね。


「シェリア、いつもサクマのこと信じてる。サクマと一緒に仕事したがってるよ?」

「う、うう……!!」

「シェリア、一緒に遊んでくれるし、お風呂で髪洗うの手伝ってくれるもん。そんなシェリアが困ってるのに、サクマはやらないの?」


 成長著しいセツナちゃんは子供の立場を最大限に利用するかのように的確にサクマさんの精神を追い詰めていきます。もちろんこれはセツナちゃんの純真無垢な感謝の心と良心を含んだもの。サクマさんが恨めし気にこちらを見ていますが、シオリは先ほど言った言葉の通り、断ることを選択肢として否定はしません。


 否定はしませんが、それはそれとして断られたシェリアちゃんは悲しむでしょう。


「だぁー!! 断るなんて一言も言ってないからその目をやめてくれっ!! いいよ分かったよ受けるよ! 報酬は!!」


 育成を終えたシェリアちゃんがいつでもパーティ申請にイエスしてくれます。

 腕利き冒険者との信頼と繋がりはお金に代えがたい価値があるのです。

 今とどう違うかについてはシェリアちゃんに相談してください。


「つまり! シェリアが俺に釣り合う実力と能力を手に入れるまで俺が育てて、育て終わったら正式加入と!! 別に割に合わないとまでは言わねぇけどさぁ……なーんか問題の中心に俺がいるのがなぁ」


 若干ぶーたれつつも、シオリの予想通りサクマさんは依頼を受けました。

 後ろでシェリアちゃんがガッツポーズしています。

 人知を超えた未知の術式を手繰るサクマさんの指導で彼女も自信が付く筈です。


「つってもなー。現状シェリアって後衛として完成されてんじゃん。具体的に何が欲しいの? パワー? 手数? 精度?」

「それは自力で上げるから、新しい神秘術に手を広げたいかな……サクマが戦いで欲しくなるような!!」

「……とりあえず、クロエが使ってた風分身でも参考にするか」


 ここから先は彼らが決める道です。

 シオリは事の次第を見守ることにしました。




 ◆ ◇




「という訳でこれをお前に託す」

「キュー」


 見覚えのない、兎とトカゲと猫を足して三で割ったような不思議な小動物――或いは魔物の幼体に見えなくもないものをサクマに差し出されたシェリアは困惑した。


「何です、これ?」

「神秘数列で組んだ擬似生命体だ。シェリアの命令に従うよう設定してあるが、基本は自己学習。きみの生活や戦いを観察し、それを行動に反映する使い魔だと思え」


 ツカイマが何なのかシェリアは分からないが、差し出された生物を受け取ってみる。

 くりっとした瞳、ふわふわの白い毛。

 そして背中から生えた可愛らしい羽。

 しかしシェリアはこの小さな生物の体に内包された高密度の神秘感じ取り、息を呑む。これは順序が逆で、生物として存在するというよりは、異様なまでの情報密度が逆に実体を発生させている。


「周囲の神秘を吸収するが、食い物を食えばそれを神秘に変換したり、神秘を蓄えたり、神秘を分け与えたりも出来る。こいつを育てれば戦いの幅は大きく広がるだろう」


 サラっと言っているがトンデモ便利生命体である。

 まさかその日のうちに作るとは思わなかったが、これを育てたらどうなってしまうのか好奇心が抑えきれない。

 同時にしかし、これを育て切ればこの生物が相棒になってしまうのでは、とも思う。

 すると、サクマが頭を掻きながら言葉を付け加えた。


「俺はこれ以上育てる子供増やすと大変だし、育て切れば、まぁ、パーティメンバー増えるし。シェリアが不測の事態に陥った時に守ってもくれる訳だから。すべてはきみの育て方と、きみ自身の成長次第だ」

「サクマ……」


 それは、シェリアにも死んでほしくないというサクマの真心だったのだろう。


「つまりこの子はサクマと私の愛の子だと!」

「えぇ、話そっちに持っていくのか……?」

「大事に育てるわね、パパ!!」

「激しく選択を間違えたかもしれん!」


 なお、この神秘生命体はエレミア教本にある古代語にして「寄り添う者」の意味を持つ「ポチ」という名前を付けようとしたが、何故かサクマが拒否反応を示したためシェリアの提案でシラユキという名前になった。


「子供の頃にお世話になった占い師さんの名前から取ったの。よろしくね、シラユキ!」

「きゅー!」


 セツナが「かわゆい」と捕まえて頬ずりしている様は癒されたが、シオリは可愛い動物より可愛い幼女の方が好きらしい。

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