第82話 受付嬢ちゃんでは口を挟めない・前編

 俺は、所謂凡庸な一般人ってヤツだった。

 いや、訂正。今も根は変わってない。


 生まれて育って、なんとなくで生きてきて、そしてなんとなくで社会に出た。

 二十歳になったのを機に大人の真似して酒飲んだり煙草吸ったりしながら、面白くもねぇ仕事を腰痛と肩こりに耐えながらこなしたわけよ。


 そのやっつけ精神が悪かったのか、運が悪かったのかは分からん。

 分からんけど、俺は当時の上司に滅茶苦茶に目をつけられてよ。

 やることなすことケチつけてくる。

 俺の仕事だけ必死こいて粗探す。

 確かに俺が悪いけど俺だけが悪くて起きた訳じゃないことを、全部俺のせいみたいに語る。

 挙句、言葉遣いの一か所一文字でも気に入らなかったら肩掴んで的外れな説教。


 上司が良い行いをしているなどと思っている同僚は見当たらない。

 だが、絡まれるのが嫌だから関わろうともしない。

 誰も助けてくれない。

 辛かった。

 人が信じられなくなりそうだった。


 嫌いとか憎いとかじゃない。

 ただ、何もかも厭になった。


 仕返しする気にもならず、仕事にも手が付かず、上司は勝ち誇ったような顔で俺の評価を下げまくって退職にまで追い込んでくれたよ。俺はそれ以上自分の将来とかそんな先のことを考えたくなくて、だらだら町を彷徨った。

 無職だって言えば家族に何か言われる。

 誰かを頼るのも、仕事のこと聞かれるのが嫌だからしたくなかった。

 そのうちどこにも俺の居場所がない気がして、俺の事を誰も知らない場所に行きたいってすごく思った。


 そんな折に、声が聞こえたんだ。


 声――いや、言語だったのかは分からないな。

 今となっちゃ何を言っていたのかは思い出せない。

 でもそれは明確に誰かに何かを伝えるような意志がある、声のようなものだったんだ。


 視界が光に包まれて、気が付いたら俺は着の身着のまま見たこともない場所に寝転んでた。


『こんなところでどうしたんですか? もしかして貴方も体調が悪いの……?』


 で、当てもなく途方に暮れてたら偶然一人の女の子に出会った。

 名前――マリーナちゃんっていうマギムだ。

 その頃はマギムなんて言語の意味は知らなかったけどな。

 俺のいた世界にはマギムしかいなかったし。

 とにかくその子に連れられて町に来て、話を聞いて、ケモ耳だのしっぽだのが生えた連中を見て、俺はここが自分のいた世界と根本的に異なる世界なんじゃないかと思った。


 ……。

 ……話、続けるぞ。


 そこは海に浮かぶ島だった。

 ただ、のどかではなかったな。

 そこは半ばアーリアル歴王国の植民地と化した場所だった。

 具体的には、医療独占を笠に着た商人連合による実質的な支配だよ。


 当時、島では流行り病が蔓延してた。

 商人連合はこの病を治す薬草をたんまり持っていたんだ。

 しかし、連中は人道支援とかそんな小綺麗な美辞麗句を並べながら、契約書に詳しくない島の人達に押し売り同然でサインさせて薬草をべらぼうに高い値段で売りつけ、みんなを借金漬けにしてた。


 マリーナは病気にかかったせいで歴王国の商人に目を付けられて、薬草で病気を治した代わりに両親は書類を書かされ奴隷同然。

 金払えないなら島の特産出せとかいってタダ働き。

 挙句、利子分を相殺出来てねぇからマリーナちゃんに商人連合の商港都市で働けと来たもんだ。


 マリーナちゃんは綺麗な子だった。

 そんな子が味方の一人もいない異国の連中しかいない場所で仕事とか、その先の事は想像したくもねぇ。誰も味方がいないんだ。何されても逃げられない。あの子もそれは分かってた。


『ごめんね、パパ。ママ。わたしが病気なんかになったばっかりに……! サクマくんもごめんね、せっかく家まで連れてきたのに、嫌なものばっかりみせちゃったね……』


 健気な子だったよ。

 外見的には俺は歴王国の連中に近い。実際周囲はそれを訝しがって俺の事を相当睨んでた。それでも困ってた俺を気遣ってくれたマリーナちゃんに、何か恩を返したいって思うのは当たり前だろ?


 その時の俺は傷心だったし、きっと惚れてたんだと思う。

 惚れて無理はない女性だとは、思うけど。


 ところが当時の俺はいきなり知らない土地に来たばかり。

 周囲からすれば異様に上質な衣服と、財布と、たばこと100円ライター。

 あとはこれ、このスマホくらいしか持ってなかったのよ。

 神秘術なんて扱える訳もねぇし、そもそも通貨のロバルも持たねぇ文無し野郎。

 異世界に来れるならもっと準備しとけばよかったと思ったよ。


 気まずい生活だったな。

 食ったことない飯ばっかりで腹の具合も何度も悪くなったっけ。

 島国の暮らしに必要なスキルは就活じゃ身につかなくて、まるで役立たず。

 異郷の地に来てまでこんなのが俺の運命なのかってな。

 せめて現代知識を活かせればとも思ったけど、いくら御大層な知識も思い出せなきゃ意味ねえわな。

 ニコチン中毒で苛々してたし。

 俺はいよいよヤケクソになってスマホに……。


 え? スマホって何かって?


 あ、すまん。

 スマホってのは俺が持ってるこの板切れだ。

 ニーベルにだけ、ちらっと言ったことあるな。

 いい加減気になってるやつもいたか?

 こっち風に言えば神秘道具ってヤツだな。


 一定の条件が揃えば、これは映像を記録したり、遥か遠くにいる人間と会話したり、本も持ってないのに情報を得たり、暇つぶしに何かしら出来る便利な代物なのさ。

 ちなみにこいつも煙草ほどじゃねえが簡単に手に入るぞ。俺の故郷ではな。


 で、このスマホは話しかけると望んだことを勝手に調べてくれる機能ってもの一応あったんだ。そこまで高度な言語読解能力はその時はなかったんだけどよ。あー、さっき言ったけどこいつは本来限定的な条件が揃わないと機能を発揮できねぇんだ。俺はそのとき、条件が揃ってないからてっきり使えないもんと思ってた。


 ところが、そこで大きな転機があった。


『――マザー端末より逆アクセス。データ最適化。対象のマスターアクセス権限を再登録しました。初めまして、ユーザー。サポートツール『Hai-mereハイ メレ 』の起動が完了しました。これよりユーザーのサポートを行います。なお、当システムはマスターのオーダーをハイメレが受諾するという形式に則るため、ハイメレは自己判断能力を持ちません。よって実行できないオーダーもございます。ご了承ください』


 どういう理屈かは今もよく分からん。

 異世界Wi-Fiなんてサービス聞いたこともねぇし、無料アプデの理由も分からねぇ。とにかくその時から、俺のスマホは『頼めばなんでも答えてくれる』道具になった。しかもアプリ拡張機能まで追加されて、神秘術とかはあらかじめ設定すればオートで動かせるようにまでなっちまった。


 これ、どういうことか分かるか。


 ――そう、そういうことだよフェルシュトナーダさん。

 これさえあれば、俺は自分が術に詳しくなくとも幾らでも高度な神秘術を処理できる。

 しかも人間の頭より圧倒的に速い処理速度と規模、正確さでな。


 バッテリーも無限になってるし、術の書き換え機能が材質にまで変化をもたらしたおかげで魔物に噛まれても傷一つつきやがらん。『反則権能チート』さ、まさに。困ったときには何でも教えてくれる神のお告げだよ。


 俺はその力に、浮かれたよ。

 凡人の俺が人生で初めて手にした、特別な力だもの。

 元居た社会で生きていたら絶対に手に入らない力を手に入れたときの万能感は、まさに蜜の味。力に溺れるなって言葉くらい知ってたが、実際の力を前にすりゃあ、そりゃなんとなくで生きてきた傷心の現代人は溺れるさ。


 それに、当時の俺には島の状況は明瞭な正義と悪の対立関係に見えた。

 商人連合はどうみても悪どかったし、島の人間に罪はなかった。


 俺はスマホの力で当時まだ誰も発見できてなかった薬の調合法を再現することにした。道具が足りなくて塵漁ったり、知らない人の家に行って相当頼み込んで譲ってもらったり借りたりしてさ。詐欺師だインチキ野郎だと相当蔑まれたが、結果を見せれば絶対にひっくり返せると固く信じた。

 マリーナちゃんも手伝ってくれてさ……ちょっといい感じの空気になりかけたり、一緒に風呂入ろうとか言われて文化性の違いにドギマギしたり、なんやかんやで非日常の刺激を充実感として受け取ってたんだ。


 やがて薬は完成。

 最初は相当警戒されたよ。アーリアルと同じ手を使うんじゃないかってさ。でも必死になって薬の事を説明して、どうしても子供を死なせたくない親御さんの許可を得てやっと一人、治した。

 治してしまえばあとは皆縋ってくるわな。


 全員治したよ。

 これから歴王国の商人どもが食い物にしようとしてた人達、全員分治してやった。ついでに商人どもが病原を持ち込んでた事が判明して住民の怒りは大爆発。俺も義憤ってヤツに駆られて、商人どもが作った借用書だの何だを全部奪って燃やしてやった。


 この島はもう自由だ、ってよ。


『すごい、すごいわサクマくんっ!! 貴方って本当に、神様の遣いみたいよ!!』


 マリーナちゃんと抱き合って喜んで、宴会して。

 踊りなんかも楽しんじゃって。

 本当に……何も考えず、浮かれてたよ。


 ……。

 ……それで面白い冒険譚に続けば、ラノベだったんだがな。


 おかしくなり始めたのが一週間後だった。

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