第78話 受付嬢ちゃんでも不安になる

 ――夢を見る。


 ここではないどこか。

 遙か遠く、されど間近、セピア色の断章。

 見覚えのない憧憬――未知と既知の混ざり合う、不可思議な感覚。


『必ず、戻ってくる』


 あまり見ない立派な意匠の大剣を背負った男が、女に語り掛ける。

 男の後ろから見るような視線であるため、男の方は顔が見えない。

 女の方は見える。

 普通に綺麗で、普通に可愛い。そんな女性だ。


『この村はギルドの拠点が近い。あそこにはゴルドおうもいる。あのヒトは凄いよ。ゴルド翁ゼオムの戒律を破って降りてきたからこそ、ハロルドにも対策が取れた。危ないと思ったら村のみんなで拠点にお邪魔するんだ』

『嫌です。私はここで貴方を待ちたい……』

『それこそ駄目だ。俺からすれば、君が生きていてくれないと戦う意味がない』

『だって……だって!!』


 女性はわっと涙を流し、男に縋りつく。


『人類存亡を賭した最終決戦なのでしょう!? 国をも滅ぼす魔将ハロルドが何体も控えている!! それは、いくら貴方がアーリアル屈指の剣士だったとしても、死地ですッ!! 婚約者が死地に赴くと知って平静でいられますかッ!! 自分だけ安全な場所に避難しようなどと思えましょうかッ!?』

『分かってくれ、リブラリア。それに俺は死ぬつもりはないよ。頼れる仲間も沢山いる。みんなこの戦いを勝って帰ろうと意気込んでいる。この戦い、人類が生き残る道はあるさ』


 男は女性を優しく抱き、その額に口づけした。女性――リブラリアと呼ばれたローテールの髪の女性は暫く男の胸に顔をうずめてぐずっていたが、数分すると、ゆっくりと顔を離した。


『矢張り私はここで待ちます。村の皆も、死ぬときは故郷で死にたいと言っている。私は死ぬ気はありません』

『しかし、ここもいつ魔物に攻め入られるか――』

『貴方は勝つのでしょう? であるならば、私はそれを信じて待ちます。貴方の後ろには私たちがいる。貴方がもし志半ばで力尽きたら、私も死後の世界までお供します』


 女性の目は、強い目だった。

 もうこれ以上はてこでも動かない、そう確信するほどに強い目。


『生きて帰ってきて、また私を抱いてください。シグルさん』

『……ああ。我が誇りと剣に誓って』

『――隊長、そろそろ』

『分かっている、ネス。リブラリア……俺は君を愛している。俺が俺である限り、永遠に』


 ネスと呼ばれた部下らしき男を従え、シグルと呼ばれた男がマントをはためかせて遠退いていく。


 その顔を見て、驚くことはなかった。


 雰囲気は違うが、その顔立ちを見間違えることはない。


 そこにいたのは、まぎれもなく今はブラッドリーと呼ばれる男だった。




 ◇ ◆




「――貴様は何をしてる」


 はっ、と。

 

 弾かれるように視界が遠のき、月明かりに照らされる暗い部屋の天井が視界に広がります。これまでの曖昧な距離感の声ではない、明瞭な子供の声でした。

 誰に話しかけられているのかと一瞬戸惑いましたが、子供の声は自らに向けられたものではなかったことをすぐに知ることとなります。部屋にはもう一人、招かれざる誰かがいたのです。


『――彼女に危害を加える意図はない。人間で言うならば、女神の慈悲だよ』

「信じると思うか。この鬼儺が、貴様らを」

『信じるさ。君はヒトの中でも極めて知的で理性的だ。女神の慈悲が如何なるものか、既に想像がついているのではないかな?』

「そうだな。そしてその慈悲とやらが、貴様らに齟齬なく正確に伝わっていると考えるほどお人よしでもない」


 開かれた窓、部屋に立つ二つの影。

 ここはシオリの寝ていた宿屋の一室です。


 影の一つは二代目クロエくん。

 もう一つの影は――。


『お初にお目にかかる、お嬢さん。数奇な石よ。夜分に許可も得ず勝手に寝所に踏み込んだ非礼、どうかご容赦願いたい』


 それは、美しい青年でした。

 上等な白いローブに身を包み、アクセサリのようにいくつもの本を吊り下げ、シルクのように純白な肌を持っていました。唯一つの致命的な違和感を除けば、シオリは見惚れていたでしょう。


 その唯一つの違和感とは――彼の体はその奥の光景が見えるほどに薄く透け、足がないのに浮遊していたことです。


『わたしの名は【エインフィレモス】。人間から見れば魔将ハロルドと呼ばれる存在だ』


 シオリは、ひっ、と叫び声を漏らしました。


 魔将との遭遇はすなわち、死を意味します。

 シオリの全身が震えあがり、歯ががちがちと鳴ります。

 逃げようにも恐怖で体がまともに動きません。

 クロエくんがシオリを庇うようにエインフィレモスをねめつけます。


「彼女に何をしにこんな所までやってきた? まさか怖がらせに来たとでも?」

『そんな意図はなかったのだが、恐怖を与えてしまったことは謝ろう。ごめんなさい』


 まるで人間のようにぺこりと頭を下げたエインフィレモスの姿は場違いなまでにシュールでしたが、急に場を支配する張り詰めた気配が少しだけ軽減されます。


 そこに至って気付いたのですが、シオリの体が震えていたのは魔将の存在のせいだけでなくクロエくん自身が放つ殺気も原因のひとつだったようです。

 クロエくんが殺意を引っ込めたことで、やっとそれに気付きました。


「……チッ、心に鬼は棲んでないらしいな。それで?」


 先を急かすような二代目クロエくんに急かされ、肩をすくめたエインフィレモスは手に持った本をパラパラとめくりました。


『私は彼女の夢に過去の情報を少し挟んだだけですよ。なにも実害はない。ただ、将来に確定して起きる事象に対しての事前説明だと思ってください。今後の事象に対して手間を省いただけです』

「要するにみてーな奴か」


 突如、触ってもいないのに部屋のドアの鍵が開き、パジャマ姿の眠そうなサクマさんと同じく眠そうなセツナちゃんが入ってきました。神秘術のセキュリティがある筈の鍵に術式の割り込みをかけ、強制的に開錠したようです。


「防護術式に変な数式が混ざってるようだから様子見に来てみれば、どんなに対策してもどこかで誰かが穴を縫ってきやがる」


 唯でさえ眠たげな顔が忌々しげに歪み、不機嫌二倍といった様相です。

 若干のお前が言うな感はありますが、サクマさんに対し、エインフィレモスは身構える事もなく恭しく一礼しました。


『初めまして、稀人まれびとよ』

「……色々と気になることばかり言いやがる。今度じっくり問い詰めたいもんだ」


 クロエくんといいサクマさんといい乙女の部屋に容赦なくずけずけ入ってきますが、シオリには文句を言う余裕もありません。むしろ魔物が部屋に侵入したことに気付いて助けにきてくれているのでしょうから縋りつきたい気持ちです。

 エインフィレモスは慇懃な態度を崩さずサクマさんに向かい合います。


『稀人よ、どうかお目こぼしを願いたい。既に送るべきものは送りました』

「送った内容をこっちで精査させて貰いたいもんだ」

『その必要はありません。【黒き風刃】がここに居る以上、その意図は暴かれるのが必然。後の判断は、当事者である皆さま次第でございます。それでは、失礼……』


 ひゅるり、と風になびくように揺れたエインフィレモスは、そのまま形を失い消えてしまいました。

 サクマさんがポケットの中で何かを触りながら小さく舌打ちします。


「探知に反応なし。どういう原理だよ。もしかして情報体か?」

「そんなことより、シオリ怖がってる」


 魔将が消えても未だに動けないでいるシオリの元にセツナちゃんが近づき、ぴょんとベッドに飛び乗って両手でシオリの頭を抱きしめます。セツナちゃんの匂いと子供特有の体温の高さが、ゆっくりシオリの緊張をほぐしていきます。


「いいこ、いいこ。もう大丈夫」


 頭をなでなでしてくれるセツナちゃん。

 もしかして天使でしょうか。

 安堵で自制心の外れたシオリは、そのままセツナちゃんを抱きしめて眠りに就いてしまいました。




 ◆ ◇




 翌日、クロエくんがギルド権限でシオリから一日時間を貰い、その日の夜の夢の事について聞いてきました。同じ宿の冒険者たちも同じくです。


 ちなみに今のシオリは精神安定のためにセツナちゃんを膝に乗せ、右手をグラキオちゃんと、左手をパフィーちゃんと繋いでいます。夜の恐怖が癒えていきます。

 もしかしてここはユートピアでしょうか。

 一生居座ることも吝かではありません。


「なんで毎度毎度シオリばかりがピンチになるのじゃ!」

「今回は実害はなかったってハナシだし、ピンチじゃないんじゃない?」


 危機感なさげにサーヤさんが言いますが、こっそり宿のセキュリティを強化していたらしいサクマさんとフェルシュトナーダさんは数列相手に睨めっこしています。昨晩から作業をしているのか、サクマさんの目下にはありありと隈が浮かんでいました。

 二人は話に参加しなくていいのかと思いましたが、ニーベルさん曰く「あの二人は術式で話の内容録音してるから」だそうです。妙なところで似たもの同士のようです。


 周囲の視線に晒され、一度咳払いしたシオリは語ります。

 夢で見たリブラリアとシグルの会話を。

 シグルの顔がブラッドリーさんにしか見えなかったことを。

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