第70話 そして謎だけが残された
身体を血で汚しながら満面の笑みを浮かべるセツナちゃん。
彼女の笑顔はきっと可愛いと思っていました。
でも、これは――。
直後、シオリとセツナちゃんの間に巨大な斬撃が通り過ぎます。
「まさか、既にここまでの力をビルドていたとは……!! すまないボーイたち、先に撤退するんだ!! シフタロト!!」
『任せよ!』
その男――貴族風の服を纏った派手なロール髪の男がパチンと指を鳴らすと同時、苦しんでいた三人が光に包まれその場から姿を消しました。直後、男は振り向きざまに指揮棒のような形状の剣で背後から迫るナフテムの少年の刃を防ぎます。
ギャリンッ、と、余波だけでヒトを斬り殺せそうな殺意に満ちた音が響き、鉄火の火花が散ります。
セツナちゃんにも驚きましたが、ナフテムの少年もまだ齢十歳少しに見える外見と不一致なまでの腕前と殺意に表情を染めています。
「グゥ……なぁクロエくん! ジャストワンタイムでいい、休戦できないかね? ワガハイ、この件が終わったらそっ首プレゼントしても構わないぐらいのインポータントミッション中なんだが?」
「三十年の間に寝惚けたか、【遷音速流】ッ!! 貴様の心に潜む巨大な鬼、狩らずして何が
「やはり、君はアサシンにしては情に厚いんだよなァ……つぇいッ!!」
二人の刃はまさに嵐と嵐が激突したような激しさで、絶え間ない剣戟の音と火花、余りの速度に発生する突風が周囲に吹き荒びます。
しかし、シオリはそんな光景も忘れるほど、あることに思考を奪われました。
きっと気のせいだ、そうに違いない、だけど、あれは――。
特徴は一致していませんが、受付嬢として培ったカンが告げています。
【遷音速流】と呼ばれたあの巻き毛の男を、その喋り方を、シオリはよく知っている気がしました。
足止めされたセツナちゃんも思わず動けなくなるほどの応酬が二人の間で繰り広げられます。一秒どころか一瞬以下の速度で刺突、斬撃、受け流し、回避などの戦闘動作が同時に繰り出されます。
素人のシオリでもはっきりと分かります。
この二人の技量はもはや人類のそれではありません。
パフィーちゃんが滝のような汗を流して警戒しているのは、彼女はあの応酬の一つ一つがどのような鍛錬と経験を積んだ人間によって実現するかをよく理解しているからなのでしょう。
圧巻の真剣勝負、純粋なまでのヒトとヒトの殺し合い。
斬り合う二人の影はしかし、やがてそこに介入するもう一人の影によって一時中断させられました。
「――そこまでだッ!!」
今度はシオリを庇うように、ブラッドリーさんの登場です。
その視線は以前にデクレンスに斬りかかったときに匹敵するほど鋭く、放つ圧に思わず相手二人も同時に刃を切り払って距離を取ります。
巻き毛の男が歯がみして呻きます。
「くっ、シグルくん。君は……君も、きっと分かってはくれないだろうね」
「邪魔をするなシグルッ、この男は俺がッ!!」
「……お前らが本気でやり合えば、決着が着く頃には、避難所諸共町が壊滅する。それでも続けるのなら、二人とも俺の敵と見なす」
ごく自然に、相手二人はブラッドリーさんをシグルと呼びました。
次々に押し寄せる情報にシオリの頭はパンク寸前です。
更に、闖入者は止まりません。
ドゴンッ、と、音を立てて広場の石畳を砕きながらなにか巨大なものが空から落下し、石畳を粉砕しました。
土煙の中からのそりと巨大な影が立ち上がります。
一瞬魔物と見間違うほどの巨体。
しかし、それは確かにヒトのシルエットをしていました。
「おうおうおう!! 懐かしい顔がひぃ、ふぅ、みぃ!! 同窓会をしているのなら何故俺を呼んでくれなんだ!! ツレないぞお前ら!! ガーッハハハハハハハハ!!」
身長二マトレを超える巨躯に野太い手足と声。
岩石を掘り起こして作ったような勇ましく厳つい顔の男が、周囲の屋根の上から差す逆光を背に豪快に笑いながらこちらを見降ろしています。彼は落下してきたのではなく、信じられない事に自らの脚力でここまで跳躍してきたようです。
武器の類は一切持たず、巌の如き腕には先ほど遭遇した鳥の亜人の魔物の首が握られています。
素手で仕留めたのだとしたら、まさに常識外れ。
彼は斬り合った二人とは別の意味での超越者のようです。
力なくぶらりとぶら下がる魔物をぽい、とその辺に捨てるマナーの悪い男性を見た【遷音速流】とクロエと呼ばれた少年がぎょっとします。
「ウゴェェェェェッ!! 【神の腕】ジンオウッ!?」
「何故今日ここによりにもよって呼んでもいない貴様が……これだから単細胞生物はッ!!」
シオリは思わず口元を押さえて驚きます。
【神の腕】ジンオウと言えば文句なしに有名な第二次退魔戦役の英傑。
彼の乱入は彼らにとって望まないものだったようです。
特に【遷音速流】の行動は非常にスピーディーでした。
「……イヤー、本日はお日柄もよく。じゃ、ワガハイ用事があるんでゴーホームします。あと頼んだぞキミたち!!」
「なっ、逃が――」
一瞬のスキを突き、神秘術の光に包まれた【遷音速流】が光となって消えます。反応が僅かに遅れたクロエくんの首筋を狙った一太刀は、すんでのところで虚空を切りました。
「……」
クロエくんは暫く刀身を見つめて沈黙し、静かに納刀します。
その背中からは堪え切れない激情が暫く風となって逆巻きましたが、それもやがて収まりました。
その間にも人がどんどん増えます。地面を術で変形させて移動してきたサクマさん、空を飛んでやってきたニーベルさん、サーヤさん、グラキオちゃんにソックリな愛でたいケモっ子美少女、更に鳥の魔物相手に戦っていた護衛冒険者さんたちも駆けつけます。
真っ先に飛び出したのはサクマさん。
ジンオウさんの登場あたりで驚いて転んでいたセツナちゃんに駆け寄ります。
羽、角、耳が生え返り血を浴びた彼女の異様に周囲がぎょっとする中、彼の動きには何の躊躇いもありません。
「セツナ!!」
「あ、サクマ! ねぇきいて、わたし――」
褒めてほしいという意思がストレートに伝わる彼女の愛らしい笑顔。
しかしサクマさんは笑顔の彼女の頬を、一発大きくパァン、と引っ叩きました。
セツナちゃんはどうして叩かれたのか分からない顔で、浮かべた笑顔がいびつに崩れていきます。
「サク、マ……?」
目元に一杯の涙を溜めたセツナちゃんの肩をサクマさんが掴み、叫びます。
「言うこと聞いて、大人しくしてろって言ったじゃないかッ!!」
「だって……みんなよろこぶと思って、ひなんじょに、シオリをいじめたひとのなかまが……わたしも……」
「だったら何で俺のところに来なかった!! 俺が、シオリが、みんながどれだけお前の事を心配したと思ってるんだッ!! 何かあってたらどうする気だったんだ……ッ!!」
「ほめてくれるって……エッグ、思って……ふ、ぅぅ……うぇぇ……」
恐らくは初めてサクマさんにここまで怒られたのでしょう。
堪え切れない涙をぼろぼろと流すセツナちゃんの額から角が縮んで消え、犬耳と尻尾が消え、羽がしゅるしゅると背中の中に納まり、いつものセツナちゃんの姿に戻ります。
サクマさんは、堪えていた堰が外れたように涙を流して彼女を抱きしめました。
「馬鹿野郎ぉ……馬鹿野郎ぉぉぉーーーー!! 心配かけさせやがってぇぇぇーーーーッ!!」
「ふぇ……、うわぁぁぁぁぁぁーーーーーん!! わぁぁぁーーーーーーん!! ごべんなざぁぁーーーーーい゛ッ!!」
号泣するサクマさんに抱きしめられ、セツナちゃんも抱き返しながら号泣します。
まるで母親と子が再会したような光景に、気がついたらシオリも、ニーベルさんたちも、その場の多くの人が瞳に涙を浮かべました。
遅れてやってきた人たちが無事なセツナちゃんとシオリの姿を見て抱き着きながら大泣きし、暫く広場には号泣する人々の声が響き渡りました。
……が、釣られ泣きしたジンオウさんの野太い鳴き声にみな段々と平静さを取り戻していくのでした。
「う゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!! お゛れ゛、ごの゛手の゛バナジに弱い゛ん゛じゃぁぁぁぁーーーーーーーッッ!!!」
(うっさ!! もう煩いを通り越して騒音ッ!!)
(腹の底まで響く重低音のせいで耳塞いでも防げない)
(セツナちゃんびっくりして泣き止んじゃったよ)
結局、耳を押さえて業を煮やしたグラキオちゃんが「おいこのデカブツ!! 喧しすぎて耳がおかしくなるから泣き止まぬかみっともない!!」と彼を氷のハンマーでぶん殴るまで彼の号泣は続きました。
怒るグラキオちゃんも可愛いですね。
あんな獣成分増量の変身を残してたなんてずるいくらいの可愛さです。
――かくして、【
この大事件は、唯でさえ話題の大きかった西大陸中央第17支部へ更なる混乱を齎すことになるのですが、この時のシオリたちはそこまで先を考える余裕はありませんでした。
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