第69話 ■■■■ ■■■ ■■■■■

 シオリは賢明に走り続けました。

 パフィーちゃんに護衛されながらも、セツナちゃんを助けるために走りました。


 ネックレスの反応によると、先ほどからセツナちゃんの居場所は殆ど移動していません。

 それが無事に隠れているというのなら安心出来ますが、町の地図を頭に叩き込んでいるシオリは、セツナちゃんがいる場所が隠れるスペースのない広場であることを正確に把握してしまっていました。


 隠れられない場所、動かないセツナちゃん。

 最悪の想像を、浮かべずにはいられませんでした。

 もし運命に意思があるのなら――お願いします、どうかヒトに慈悲を。


 力を振り絞って広場に到着したシオリは、そこで心臓が凍り付くような光景を目撃することになったのです。


「――終わりだ、化け物ッ!!」


 三人の見覚えのない男たち。

 ケレビム、ディクロム、マギムの男たちが、見たこともない装飾の槍を携え一人の少女――セツナちゃんを包囲していたのです。声も視線も態度も、この魔物襲撃がある中で明らかにセツナちゃん個人に向けた敵意、いえ、殺意でした。


 何故、どうして、どんな理由があって――。

 そんなことを考える余裕はありません。

 シオリはただ、叫びながら彼女の下に走る以外の選択肢を持ちませんでした。

 パフィーちゃんがシオリ以上の速度で駆け抜けますが、それよりも僅かに、彼らが槍を放つ方が勝りました。


 日常ならば僅かに思える距離が、今は永遠のように遠く。

 三本の槍は正確に、冷酷に、セツナちゃんの胸元へ吸い込まれていきます。

 しかし――シオリの予想に反し、槍は空を切って互いにぶつかります。


「くそっ、躱した!?」


 一瞬セツナちゃんを見失った彼らは、目の前の不自然な場所に影があることに気付いて上を見上げ――そこに、信じがたい光景を観ました。


 蒼穹の下に広げられた純黒の羽根。

 翼で空に逃れたセツナちゃんがそこにいました。

 パフィーちゃんが茫然と呟きます。


「黒い羽……ナフテム? アサシンギルドの、子供?」


 彼女に羽があるなど、今まで聞いたこともありません。

 ナフテムは自らの羽根を隠す術を持つと聞いたことがありますが、それなら翼の生える場所に紋様のような痣が浮かんでいる筈で、サクマさん達が気付かない筈がありません。シオリも宿で一緒にお風呂に入ったことがありますが、彼女の背中は雪原のように白い肌があるだけでした。


 セツナちゃんは、焦る男達を感情のない目で見下ろすと、ぼそりと何かを呟きます。


「喧嘩……だから……必要……」


 何を言っているのかはっきりとは聞き取れませんでした。


 次の瞬間、セツナちゃんは急降下してマギムの男を蹴り飛ばします。

 ゴキャァッ!! と、生々しい打撃音を響かせて男が悲鳴とともに地面に叩きつけられました。非力でか弱い彼女の体躯からは想像もつかない凄まじいパワーです。彼女がそんな怪力の持ち主である素振りなんて見たことがないのに。


 セツナちゃんはそのまま視線を横にずらし、ケレビムの男の髪を耳ごと鷲掴みにし、空中に持ち上げて一回転させ、反応が遅れたディクロムの頭に叩きつけました。

 ディクロムの固い角は魔物の皮膚さえ貫くのに、それに無防備に叩き付けられた人間はどうなるのか――答えは目の前で即座に出ました。


 ぞぶり、と肉を貫く異音。


「ご、ぶ、……え? あ、ああ!! あぎゃああああああああああああああああッ!?」


 ディクロムの頭から反り立つ二本の角が同時に背中に突き刺さり、ケレビムの男が悲痛な絶叫をあげます。それでもセツナちゃんは止まらず、そのまま掴んだケレビムの耳を掴み、力任せに引っ張ります。


 ポンポロ三の身体を伸ばして遊んでいる時とは明確に違う、ヒトを傷つける為の動き。彼女の手は、そのまま掴んだケレビムの男の耳をぶちぶちと耳を塞ぎたくなる音をたてて引きちぎりました。


「ギャアアアアアアッ!? ひぎぃ、はっ、ガッあっ!!」


 痛ましい傷を負って鮮血を散らしながらのたうち回る相手の姿に、シオリは絶句しました。仕事柄血まみれの冒険者や重傷の冒険者を間近で見たことが何度かありますが、これは、それとは決定的に何かが違います。

 血を噴出するケレビムを角から外し、彼女を捕まえようとしたディクロムが叫びます。


「あ、悪魔の子が!! ……ギャッ!?」


 セツナちゃんを捉えようと構えた刹那、彼の目の前にセツナちゃんが瞬時に移動し、身を翻して華麗に腕を躱します。彼女はそのままディクロムの仲間の血で汚れた双角を白い手が汚れることも厭わず掴みました。


「なっ、やめろ! 放せ、放せぇ!! ぐっ、がぁぁぁぁぁ!!」


 彼女の腕を掴み返して引き剥がそうとするディクロムですが、どれほど筋肉を隆起させても子供の細腕が引き剥がせず、逆に角がメキメキと音を立てて曲がっていきます。


 シオリも、パフィーちゃんも、そしてディクロムの男も、次に何が起きるのかを理解し、しかし防ぐことは出来ませんでした。


 ――バギギィッ!! と音を立て、彼の双角がへし折られました。


「ギャアアアアアアアアアアアアッ!! グゥ、グアァァァアアアアアッ!?」


 折られた角から鮮血を噴き出してもがき苦しむディクロム。

 ディクロムの角は血管も通った立派な身体器官です。

 極めて丈夫であるが故、折られた際の激痛は想像を絶すると言われています。


 両腕にケレビムとディクロムの返り血を浴びたセツナちゃん。

 その姿は普段の可憐なそれと掛け離れた、悪魔的な残虐さを内包していました。


 セツナちゃんはこちらに気付いていないように手に持った角を見つめ、そして先ほど引きちぎり投げ出した耳を見つめ、角の片方を手放して耳を拾います。


 根拠はありません。

 しかし、恐ろしい事が起きると本能は告げていました。


「あーん」


 ――セツナちゃんは大口を開けて、二つをごくりと丸呑みにしました。

 パフィーちゃんが絶句し、一歩下がりました。


 途端に彼女の頭から茶色の犬耳が、お尻から尻尾が、そして額に二本の角が生え揃います。

 ぺたぺたと血に汚れた手で自分の角を触るセツナちゃんは不意にすんすん、と鼻を鳴らし、こちらを振り向きました。


「――シオリ! わたし、わるいやつらやっつけたよ! シオリをいじめたひとたちのなかまを!!」


 セツナちゃんは無邪気な、そして、まるで偉いことをしたから誉めてほしいと言わんばかりの期待を込めた笑みを浮かべ、シオリに走り寄ってきました。


 口元や手に付着した血を、泥遊びでついた汚れとでも思っているかのように。

 後ろでもがき苦しむ人々など、もう見ていないかのように。


 この日、シオリは初めてセツナちゃんを怖いと思いました。









  第69話  シンクニ ソマル シロイキミ



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