第68話 邪法の怪鳥

 見慣れた町の、見慣れない姿。

 喧騒と雑踏の消えた静かな道。


「ぜはっ、ぜはっ……このクソ肺がぁッ!!」


 切れ切れになる息と体力を煙草にたっぷり含まれていた有害物質のせいにし、足に気合を入れて走り続ける。

 この世界に来て煙草を辞めてからどれだけ時間が経っただろう。

 最初は無意識に胸ポケットを探っては苛々していたというのに。


 ニコチンとタールのない世界は地獄なんて言葉もあったが、なければないで人は生きていける。住めば都とまでは言わないが、タブレット端末でネットニュースを見られなくとも必死に生きれば順応していく。


 それでもサクマにとって、身近な人間の死という代物は未来永劫受け入れがたいものだと確信している。


 この世界は、命が軽い。


 もちろん人殺しは重罪だ。

 葬式があれば人も泣く。

 死別による心の傷が癒えない人なんて珍しくもない。


 それでもこの世界は、理不尽なまでに人の命が狩られていく。


 市販の風邪薬で助けられるような命が母親の手から零れ落ち、熊より大きく凶悪な魔物が油断した冒険者の肉に齧りつき、そして個々の死は悲しくとも世界の死の数は減る様子もない。

 それが当たり前の世界だ。

 あの優しいシオリさえそれを受け入れている。

 そのたびにサクマは、己の世界との差異に苦しみ、苛まれる。

 愚かで傲慢にも、何も無くしたくないと思ってしまう。


「ハァッ、場所……ッ! 面倒事のオンパレードじゃねえか!!」


 二人の周囲を把握するために『網』を広げたことで、厄介な事実ばかり浮かび上がる。


 まず、セツナは町の中心に向かっていたが、移動速度がゆっくりになった。

 逆にシオリの移動速度は少し上がり、着実に彼女に近づいている。

 いっそ追跡用にあんなネックレスを渡さなければ彼女まで危険な場所に出てこなかったのではないかとさえ思い、毎度肝心なところで空回る己の低俗な予測能力に嫌気が差す。


 シオリを追う冒険者が四名、恐らくは護衛。

 ランク的には中堅一人とそれ以下三名。

 そこいらの雑魚魔物なら何の問題もないが、シオリたちの近くに先ほど空から襲来した魔物が接近している。


 おまけにセツナの近くに桁違いの反応が二つ。一つは既に近くにおり、もう一つは急速接近している。他にも細かな反応が三つあり、もはや敵か味方かすら分からない有様だ。特に桁違いの反応たちは危険度にして12オーバー、余波だけで町が滅んでも可笑しくない。


「ハァッ、ハァッ……なんにせよ、こんだけ離れりゃ周囲の目もねぇ! 移動速度を上げる神秘術使うか!」


 一応は転移魔法も存在するが、転移の瞬間に強い反応に勘違いで攻撃されたら目も当てられない。そもそも転移魔法は誰でも使える代物ではない以上、周囲に見られればサクマが【異端宗派(ステュアート)】だと勘違いされる恐れもある。

「こんな時でも保身ばっかり考えやがって、このろくでなし野郎!」


 自分が嫌になって自身を罵倒する。

 セツナに渡したネックレスには守護の神秘術という保険をかけてはいるが、先ほど空から飛来した魔物のチゴリウスのように術に長けた相手では安全とは言い切れない。

 

 速度を上げるものとして定番の風(セプテム)ではなく地(クァトル)の神秘術で体に角度と推進力、摩擦を無視する移動法を付け加え、サクマは地面を滑るように加速する。

 だが、術を使って移動を始めた途端、近くにいた魔物が急接近してくる。


「グゲエエエエエエエエッ!!」


 東南アジア風の民族衣装を思わせる、鳥頭に翼と融合した手の亜人種。

 随分と汚らしく耳障りな声で喚く魔物は両手に握った杖のようなものをこちらに向け、神秘数列に干渉して移動を妨害してきた。


「こっ……の……!!」


 怒り――純粋な、いつ以来抱くかも分からない激情がサクマの腹の底から湧き出す。


「邪魔してんじゃ……ねぇえええええええええええええッ!!!」


 手に握られた光る板きれ――スマートフォンの画面が光る。

 サクマの怒気に満ち満ちた咆哮は、死への恐怖を遥かに上回る膨大で純粋なエネルギーとなって魔物を極光の中に消し飛ばした。




 ◆ ◇




 シオリは、こんなことならもう少し運動に力を入れておくんだったと後悔しながら必死で走っていました。

 セツナちゃんは町の中心部に向かっているようですが、追いかけるために酷使する心臓と肺がはちきれそうです。デスクワークだけに齧りついているつもりはありませんでしたが、思いのほかシオリは運動不足だったようです。


 そんなシオリとは対象的に身体が資本の冒険者たちは空を見る余裕があります。


「おいおい、上! なんか来てんぞ!!」

「マジかよ、空から魔物の群れが!!」


 見れば空中には町に迫る無数の魔物の編隊と、地上から断続的に放たれる強力な神秘術の閃光が光っています。術が放たれる度に何かを貫くような亀裂音が響き、魔物の編隊が一体ずつ落ちていきますが、既に町に侵入した魔物がいるようです。


 嘗て恐ろしい魔物に襲われ傷を負ったあの日を思い出し、心臓の下辺りがきりりと痛みます。それは余りにも明確過ぎる死への恐怖でした。


 しかし、足を止める訳にはいきません。

 シオリでさえこれほど恐ろしく思うのならば、セツナちゃんはきっともっと恐ろしい筈です。一刻も早く彼女を連れ戻さなければ手遅れになってしまいます。


 送り出した冒険者が命を落とすことは、割り切れます。

 しかし、身近で大事なものを守れないことを、割り切れません。


 何とか間に合って欲しい――そんな淡い希望も虚しく、とうとう町に到達した魔物たちが急降下を開始します。

 その一体が、よりにもよってシオリの目の前に降り立ちました。


「クケエエエエエエエ!!」


 突如現れた烏頭の魔物の威容、無機質な瞳。

 全身の毛穴が総毛立ち、死の一文字が脳裏を過ります

 でも、セツナちゃんの顔が脳裏に浮かんだシオリは足を止めずに死の物狂いで魔物を突き飛ばしました。


 ――うわぁぁぁぁ!!


「グゲエエエッ!?」


 鳥は当たりどころが悪かったのか首がガクリと曲がって怯み、その隙にシオリは強行突破します。どうやらこの魔物はくちばしが大きすぎて首の頑強さが足りていないようです。

 冒険者さんたちも弱点に気付いたのか武器を手に接近します。


「打たれ弱いなら一気に!!」

「ゲゲゲェェェェェッ!!」

「なにっ、小癪な!!」


 踏み込もうとした瞬間、鳥の手に持つ杖が光り、水柱が噴出します。

 冒険者さんたちは咄嗟に躱しますが、放たれた水柱の一部が近くの民家を下柄ごっそり抉り取りました。一撃でも受ければ身体がバラバラに破壊されかねない威力です。

 推定危険度6相当。

 この場の冒険者さんたちでは厳しい相手だと直感します。


「こいつ、水棲の魔物でもねえのになんて力使やがる!!」

「だがこっちに気が逸れた……! 俺らじゃ厳しそうだから上手いこと誘導して防衛線の連中と一緒に仕留める!!」

「シオリはどうするんだ!?」

「今合流したって俺らで守り切れんッ!!」


 ――構いません、行ってください!

 シオリはセツナちゃんを確保したら何とか近くのシェルターに向かいます。

 幸い町に侵入した魔物の数は少ないですし、なんとかして見せます!


「クッ……無茶し過ぎなんだよお前さん!! 死んでたら冒険者一同許さねぇからなぁッ!!」


 ここまで来れば意地でもセツナちゃんを助けなければなりません。

 震え始める足を殴りつけ、疲労に喘ぎながらシオリはひた走ります。


 シオリはまだセツナちゃんの笑顔を見たことがありません。

 セツナちゃんは感情の起伏はありますが、笑ったり微笑んだりしません。

 それが余計に小動物的な可愛らしさを帯びていますが、サクマさんやニーベルさんでによれば笑うともっと可愛いらしいです。

 彼女の素敵な笑顔を見ることもなくお別れするなんて悲しすぎます、寂しすぎます。セツナちゃんには笑って、泣いて、いつか好きな男の子が出来たりする、そんな人生を送る権利があります。


 セツナちゃんのところまであと少し――!


 力を振り絞ったその時、シオリの目の前に真っ赤な光が広がりました。驚いて足をもつれさせ、地面にびたーん! と叩きつけられると、真っ赤な光が倒れた自分の上をゴウッ!! と通り過ぎたのを感じます。


 起き上がって振り返ると、後ろにあった広場噴水が粉砕され、破壊された瓦礫が赤熱しています。転んでいなければシオリちゃんは骨すら残らなかったでしょう。

 つまり、これは攻撃です。


「クク、クケケケケケケ!!」


 目の前に、絶望がいました。


 町に侵入した同種の魔物。

 一匹を退けた先にいる、今度は偶然の通らない一匹。

 デクレンス一派に捕まった時のような恐怖はありません。

 ただ、自分は死ぬだろうという漠然とした意識が浮かびました。


「カアアアァァァ!!」


 魔物は勝ち誇ったような鳴き声を上げ、両手の杖に炎(ウーヌス)の神秘術を纏わせていきます。転んだシオリも必死で体を起こそうとしますが、このままでは間に合いません。


 ここまで頑張ったのに女神エレミアは何もしてはくれません。

 そんなこと、本当は知っていました。

 受付嬢は冒険者さんたちが生きて帰るかどうかで神頼みしません。

 この世界は、人の運命は、なるようにしかならないからです。


 それでもシオリは最後まで諦めたくなくて、声にならない声で叫びながら炎を睨みつけました。

 非力なシオリに戦いなんて出来ません。

 都合よく戦いの神秘術を覚えてもいません。

 シオリは人より努力が得意なだけの、ただの非力な受付嬢です。


 ただ、理不尽な世界に対してシオリは必死で生きました。

 この気持ちだけは、最後まで嘘にしたくありませんでした。


 目の前で膨張していく炎の塊は、シオリめがけ――。


「討伐対象確認……始末」


 物陰から突如現れたパフィーちゃんが魔物の首を出刃包丁で、心臓を牛刀包丁で刺し貫きました。

 燃え盛る炎塊はただの炎のまま霧散します。

 急所を正確に刺し貫いた、一撃必殺の見事な奇襲。

 魔物は悲鳴すらなく静かに崩れ落ち、そのまま動かなくなりました。


 包丁に付着した返り血をビュッと振り払ったパフィーちゃんは、口元にマフラーを巻いて普段と違う戦闘を前提とした装束に身を包んでいます。シオリが口を開くより先に、パフィーちゃんが包丁を腰のベルトに差しながら口を開きました。


「自らに頼れと要求したにも関わらず先に死亡しては、要求の意味が消失する。一方的な戦線離脱は……容認できない」


 シオリちゃんはその言葉を無視して、避難しててと言ったのに何で出てきたの! と叱りながら彼女の手を引っ張ってセツナちゃんの方へ向かいました。こうなったらパフィーちゃんを連れてセツナちゃんも回収するしかありません。


「疑問。シオリの判断能力の正確性を疑う」


 なんか言っていますが、説教も質問もしている暇がありません。

 シオリちゃんの仕事はパフィーちゃんの戦闘能力を測ることではなく、冒険者でもないパフィーちゃんが戦闘に参加することがないよう避難誘導すること。でも進行方向にシェルターがないし置いても行けないので連れて行くしかありません。


 ――いいですね、パフィーちゃん! 私より前に出ちゃダメだからね!


「……理解不能。シオリの戦力分析能力には致命的な欠陥が存在すると指摘」


 パフィーちゃんは非常に不満そうな顔で、しかし素直についてきました。

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