第71話 咎負いの閑話
転移の光の中からアジトの一室が見えた途端、崩れ落ちた。
荒れる息を整え、自分の喉元を触る。
ぬらりと滑る感触は、喉を中ほどまで切り裂かれた痕。
「刀に塗った致死性の毒を、風圧で刃にして……やれ、やれ。そこまで恨まれてる、か……ッ」
あと髪の毛一本で動脈をも切り裂いていた、殺意の塊のような斬撃。
傷口から侵入した毒は既に全身を蝕み始めている。
一度大きく息を吸い込み、持っていた万能解毒剤を心臓に注射する。
「~~~~~ァッッ!!!」
全身の肉という肉がはちきれてめくれ上がるような激痛。
想像を絶する痛みにその場でのたうち回るが、痛みを誤魔化す絶叫はせずに必死で唇を噛んで耐えた。
一分か、二分か、或いはもっとか。
時間をかけて、かつて【遷音速流】と呼ばれたは息を吐き、立ち上がる。
全身が冷汗まみれで顔面蒼白だが、解毒の痛みよりも意識するものがあった。
憎しみと覚悟で一分の隙も無く塗り固められたクロエの相貌だ。
「背負うべき咎、恨まれて当然の筋と納得はしていたが……やっぱキツイものだね。あのクロエくんが、さ」
『あの子供、昔は仲が良かったのか?』
「シフタロトか……さっきは助かったよ」
『それはいいが、本当に大丈夫かい、君?』
姿の見えない支援者は全てを目撃した上で、素直に彼を心配した。
『こんな寂れたアジトじゃなくて拠点に転移させてもいいんだぞ? 女神様もそれくらいの休息に目くじらを立てるお方ではあるまいに、自分を追い立てすぎではないかな? 単身ギルドに潜入していた件といい、危険な仕事をしすぎだよ』
「優しいな、君は……昔のクロエくんも、いたいけな優しさを秘めた子だった。でも、その優しさを踏み躙った報いが先ほどのみっともないワガハイだ」
『……余人に立ち入れる間柄ではないようだな。分かった、後でまた連絡しよう。それまでは、せめてしばしの休息を取りたまえ』
繋がりが途絶え、静寂の中に荒い吐息だけが響く。
クロエから大事な仲間を――特別だと知っていた命を奪った。
そうするしかなかったという言葉を免罪符にする気はないから、彼の殺しを否定は出来ない。
否定できないにもかかわらず、続けなければいけないことがある。
針のむしろを歩くような罰だからこそ、誰かに甘えることは出来ない。
今はまだ、倒れ伏す訳にもいかない。
この道は、自分で最期まで突き進むと決めた道だ。
「女神様……我らが女神様の為に……新たなる、世界――」
自分に言い聞かせるようにぶつぶつと呟きながら、起こした体を壁に預け、ずるずると壁で身体を擦りながら歩く。
夢遊病のように虚ろに、しかし目だけは覚悟を湛えたまま。
彼の姿は、やがて闇に閉ざされた空間へと消えていった。
◇ ◆
ギルド西大陸中央第17支部は半ばパニック状態に陥っていた。
これまでに確認されたことのない新種の魔物や飛行する魔物の群れの出現、及び町内への魔物の侵入。避難誘導の不備と思われる子供の行方不明とそれを追った職員の安否確認。
結果を見れば民間人にも冒険者にも目立った被害はなかったが、魔物襲撃のどさくさに紛れて再び【
彼らが【異端宗派】であったかどうか実際のところ確証はないが、セツナは「シオリを襲った人達と同じ」と断定し、転移の際に使われた術が同じで、なおかつデクレンスの際も今回の際も「シフタロト」という言葉を発している。
恐らくは彼らの後方支援をしている何者かの名前と推測されるが、詳細は不明。報告所には【異端宗派】と類似性がある、程度の内容で書き留められることになるだろう。
そして、混乱に拍車をかけたのが、町に
ずっと行方がはっきりとしなかった【神の腕】ジンオウもそうだが、それ以上に扱いに困るのがアサシンギルドの現頭首【黒き風刃】クロエである。
ずっと謎に包まれていたギルド認可の暗殺集団の頭首がいきなり堂々とやってきて町にいるのだから、ギルドでさえどう扱えばいいか分からなかった。
アサシンギルドは、ギルドの一部という扱いではあるが、その超法規的特権はギルドのエリートである第三審査会ですら介入が許されないアンタッチャブルな存在だ。
その頭首であるという人物が子供であることも混乱を招いた。
当の二人は、忙しいギルドに邪魔にならないよう町外れで隣り合って話をしていた。
何もない地面にどっかり座り込むジンオウに対し、クロエは切り株にハンカチを置いて座り、足を組んでいる。二人の性格の差がよく現れていた。
「話には聞いてたが、本当にちびっ子のままなんだなぁお前さん」
「そういうお前も大して変わってないだろ」
「こちとら長寿族なんでな! ガハハハ!」
本来、クロエが30年前の第二次退魔戦役で活躍した【黒き風刃】クロエと同一人物であることはありえない。黒い翼のナフテムを含め、有翼の種族は平均寿命が60年ほどと他の種族より短いため、順当に年齢を重ねていれば本物のクロエはもう老人に近い年齢の筈だ。
しかし、ジンオウは彼がクロエである確信があったし、どうやって今も若い姿のままでいるのかも何となく想像がついていたので聞くことはなかった。
「ところで今更だが、あのシグルのそっくりさんは誰だ? よく考えたらあいつ死んだ筈だろ」
「知らん」
そっけない返事にジンオウは呆れるが、続く言葉に耳を傾ける。
「最初はシグルに化けた化生かと思ったが、奴の中には確かにシグルがいるように思える。それに、化物ではあるが鬼ではない」
「元々ちょっと化物みたいな奴だっただろ。あいつの剣の叩き降ろしは俺でも死ぬ威力だったぞ」
「そうじゃない。
「そりゃいつの話だ?」
「去年」
「で、首落とされたのにあんなに堂々と冒険者してんのか。成程、確かにこりゃ分からん。魔将の連中はそんなに気が長くない――逆にお前さんは気が長すぎる」
不意に、ジンオウの目が鋭く細まる。
「……仇討ちの為にそこまでするか。いつかヒトじゃなくなっちまうぜ?」
「結構だ。アレを見たろう。30年の時が経過しても、奴は老いてさえいない」
「ルーのことか……アレの腹の内を見抜けなかったのは別におめぇさんのせいじゃねえだろ。あんなことになるまで全員仲良く気付かなかった」
命懸けの激しい戦いに身を投げ出した、あの戦役。
それは血と涙の記憶であると同時に、彼らが輝いていた時代でもある。
「ゴルドバッハのじいさんだって、孫みてぇに可愛がってたおめぇさんを責めちゃいまい」
「……」
クロエは
その中でも特に彼を可愛がったのが【数学賢者】ゴルドバッハだった。
擦れた子供で素直さなど欠片もないクロエに優しく知識や常識を教え、クロエ自身も口には出さずとも慕っていたのは誰でも分かっていた。
奴が、その時間を永遠に奪い取った。
「お前さん自身が鬼に変じるつもりかい?」
ジンオウが夕暮れを眺めながら問う。
クロエが誰よりも憎む心の鬼が、彼自身にも垣間見えた。
「ヒト殺しは、所詮ヒト殺し。誰にも必ず応報があるべきだ」
共に夕暮れを眺めたクロエの言葉は、まるで自分に向けているかのようであった。彼の耳に揺れるそれぞれ形の違うイヤリングに、ジンオウは「そうか」と漏らす。
別にジンオウは納得はしていない。
だが許容した訳でもない。
「俺ぁ思ったようにやるだけだが、理由は知りてぇなあ。あんなに仲良くやってたのに、なんで殺っちまったのか。俺にはそれが奴自身も苦しめてるような気がしてなんねぇ」
と、二人の元にギルドの職員が走り寄ってくる。
ギルド支部長のフームスとその部下数名だった。
彼は急いでいたのか荒れる息をゆっくり整え、立場上目上であるクロエの前で一礼する。
「申し訳ございません、至急確認したいことがあるのですが……冒険者が四名行方不明になっています。クロエ殿たちが相対したという【異端宗派】らしき人物も四名。その四名はこちらの者達で間違いがなかったか確認していただきたいのですが」
フームスが差し出した資料をクロエは無言で確認すると、その中の一枚を抜き出して風で操りフームスの手元に飛ばした。
「あの、これは……?」
「その男は【異端宗派】の幹部格だ。そいつの扱いはアサシンギルドに一任して貰う。他は興味が無いから指名手配なりなんなり勝手にしろ」
その書類には、シオリの担当冒険者であり奇術師の異名を持つ男――あの愉快な走り方で周囲を苦笑いさせていたスピネルの顔写真が印刷されていた。
(誰にも渡さない……あの悪鬼の首を刈り取るのは、この俺だ)
――そして翌日。
クロエは隙あらばニッコニコ顔で世話を焼こうとしてくるシオリという奇怪な受付嬢に付きまとわれて盛大に気勢を削がれ散らかした。
「おいフームス。あの女どうにかしろ。気が抜けてかなわん」
「ああ、彼女ちょっと……いや大分……いやかなりその、年下好きといいますか……でもほら、彼女の紹介してくれたお店のオムライス美味しかったでしょう?」
「それはそうだが……ピメンも抜いてくれたし」
アサシンギルドの頭首クロエ――外見年齢12歳。
復讐の為に成長を止めたその肉体は味覚もそれくらいで好みが停止しており、ピメン(サクマ曰く「ピーマン……異世界でも子供を苦しめるのか!」とのこと)抜きを要求する様はばっちりシオリの可愛がりゾーン圏内だった。
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